第十七話 死にそうになりながら告白したので困っている
テアの額から汗が零れ落ちた。彼女が極限の緊張状態であることは間違いない。いつも興味深そうに視線を向け、耳をぴこぴこさせて反応する彼女の姿はここには無かった。後ろから銃口を突きつけられて、慣れ親しんだ異世界人を殺せというだから当然だ。
「何悩んでるんだ? 撃てば、終わるぞ」
李は彼女の耳元で囁き続けている。この緊張状態で意味のわからない言葉で囁き続けられることは混乱を増すだけだろう。否、李はもとよりそれが目的なのだ。その目論見は成功し、テアは俺に銃口を向けていた。
混乱に震えるテアの様子を見ていると自分が生きて帰れる気がしなくなってきた。この状況でテアが俺を撃ったとしても、彼女は悪くないはずだ。だが、撃たれる前にどう思っていたのかは伝えなければならない気がした。二日しか生活を共にしていなかったが、彼女は俺のことを信用してくれていた。いつの間にか、彼女の可愛さに惹かれて、ドキドキする中で護りたいと思うようになっていた。
それを表す言葉を俺は持っている。
「テア」
呼びかけにテアは目を大きく見開いた。汗が彼女の額から顎に掛けてまた一筋の線を描いた。
「テア ユラン」
「アス……」
「ヤバト テア イル ユラン」
「アス ティラン……」
「俺を撃て」
テアの手は大きく震えていた。オリーブグリーンの瞳は潤んでいて、こちらをまっすぐ見てはいなかった。これで良い。少しでもテアが生き残る可能性を増やせたなら、死ぬ価値はある。少なくとも無駄死にではない。
李は苛立たしげにテアに押し付けた銃口に力を込める。
「何、イチャイチャしてんだよ。ぶっ殺すぞ、さっさと撃て」
その瞬間、乾いた破裂音と共に腹に杭を撃たれたかのような衝撃が走った。予想していたよりも痛い。自分の腹部を見ると既に大量の血が吹き出していた。
――そうか、テア、撃ったのか
全身から力が抜けて、コンクリートの床にそのまま零れ落ちた。血が灰色の床を少しづつ染めていくとともに視界が端から白くなっていく。不思議と痛みは段々と薄らいでいった。白くぼやけた視界の端にいるテアは茫然自失という様子で固まっていた。
そんな彼女をよそに李の狂気に満ちた高笑いが部屋を満たした。
「カレシが馬鹿なら、くっ付くカノジョも馬鹿だな!」
李は銃を持っていた腕を振り上げて、テアを殴りつけた。彼女はよろけながら床に倒れる。その衝撃で、持っていたリボルバーも床の上を滑って暗闇の中へと消えていった。
李はそんな彼女に銃口を向ける。
「やめ……ろ……」
薄れゆく意識の中で、本能的な庇護意識が体を動かしていた。だが、赤い轍を床に残すだけで、テアとの距離は全く縮んでいないように思えた。そんな俺に気づいたのか李は小笑しながら、一瞥する。
「死にぞこないが何か言ってやがるぜ」
「や……めろ……!!」
「まあ、ゆっくりそこで見てろよ。自分が好きな娘の死に様をな」
「クソ……ッ……」
「ひゃっはっ、アハハハッ! 異世界人は皆死ぬ運命なんだよォ!」
既に視界は完全に白んでいて、何がどうなっているのか分からない。しかし、何かに取り憑かれるように俺は地面を這い続けていた。手先と足の感覚も無くなってきた。このまま死ぬのだろうと確信したが、それでも執念のままに手足を前進するために動かし続ける。しかし、お迎えには歯向かうことが出来なかった。
意識が途切れる直前に聞こえたのは、李の甲高い高笑いと発砲音だった。
* * *
「アハハハッ、ざまあみろ! 異世界人なんぞが地球人様に楯突くからこうなるんだぞ!」
李は血塗れの男子高校生とぐったりと床に倒れた異世界の少女を嘲るように見下して、顎が外れそうになるほどの大笑いをしていた。部下たちはそんな李の様子に多少なりとも引いていたが、それでも異世界人が死んでせいせいしていた。黒龍集団の存在はこの地球から異世界人の影響力を消し去ることにある。そう彼らは信じていたからだ。
「くっ……私のせいで……」
もはや、七海の悔いの言葉に注目する者は居なかった。用済みで殺すだけの存在に興味など無かったからだ。
部下たちの興味はもっぱら異世界人にあった。しかし、彼らは死んだはずの異世界人がまだ動いているのに気づいていなかった。異世界の少女――テアのそのか細い、消えてしまいそうな呟きを聞くまでは。
「ウォラシュ オプ」
その瞬間、テアの傷口からスイカの種でも吹くように銃弾が飛び出した。みるみるうちに出血は止まり、彼女は俯きながらフラフラと立ち上がる。その姿に李もその部下たちも大した脅威を感じては居なかったが、銃口は彼女の方に向けていた。
「なるほど、アーティファクト持ちか……」
李はその顔をニヤけさせる。異世界人をいたぶるのは彼にとっては嗜好の一つだった。しかし、そんな一瞬の隙が、彼らに最期をあっけなく迎えさせた。
「フェミル、アヴェハヘラン エハル……!」
「何訳のわから――あッ」
それは目に見えない風の刃であった。一瞬にして複数の刃が的確にマフィア達の首を狙った。真っ二つにしたわけではない。それでは余計な力が要る。軽量的に、効率的にケリをつけるために頸動脈を狙ったのである。そうして、マフィア達は首を押さえながら、赤い轍を引きずって地面を這うことになった。
もっとも、彼女の一番近くに居た李も馬鹿ではなかった。ある程度異世界人の魔法について知識を持っていた彼は事前に首を押さえ、切創は手の甲に抑えられたのだ。しかし、一気に形勢は逆転していた。テアも必要以上に手を加えるつもりは無く、鋭い視線を李に向けるだけだった。
「クソ異世界人が……覚えてろよ……!」
ダサい捨て台詞を吐いて李は背を向けて走っていった。それを見届けて、彼女はすぐに遊の近くに近づいた。殆ど衰弱しきった遊を抱き上げて、彼女は長い詠唱を始めたのであった。