第十五話 やっぱりバイト先の先輩がヤバかったので困っている
複雑な構造の建物であった。一人残されれば出てこれなくなりそうな建物の中をギブソンの背中を追って進んでいく。廊下の間をフォーマルな服を着た人間が行き交っている。この場に似合わない男子高校生が居るのがよっぽど珍しいのか、こちらに向く視線が痛い。見上げれば仰々しい組織の名前が並んでいた。不思議と緊張感は無かった。多分、ギブソンの話にNSAだの、CIAだのが出てきたせいだろう。
ギブソンはそのなかの「内閣情報調査室国際部第14課」と書かれた一室の前で立ち止まった。ドアを開けると壁中に書類棚が配置された狭苦しい部屋が現れる。そんな部屋の中心、物が散乱している長机の上に見覚えのある人影が座っていた。
「東雲君、ようこそ内調へ」
「は、橋本さん!?」
ミディアムボブでカチューシャ編み込みの黒髪の女性――七海が、今度はエプロン姿ではなくスーツ姿で座っていた。
「だまし討ちのようなことをしてしまって、申し訳ありません。ですが、これが内調のやり方なので」
「は、はあ……で、でもギブソンさんが店に来たときは眠らされていたはずじゃ……?」
「あのときはまだお互いのことを知らなかったんですよ。そもそも内調の目的は黒龍集団の協力者である鶴川涼介の監視だったんです。私は黒龍集団に潜り込み、鶴川に接近した」
「鶴川さんが……黒龍集団の協力者だった……?」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うのだろう。ギブソンはそんな俺の様子を一瞥してから、腕を組んだ。
「それで橋本は俺と目的が合うから協力することになったってわけだ」
「でも、CIAとかと敵対することになるんじゃ……?」
「公調や警察庁からの出向者が多い内調は、プロパーの調査官が日陰者として扱われるんです。この第14課は生え抜きの調査官が集められた部署ですから、本庁に反感的な人間も多い。だから、そこは心配ありません。そんなことよりも、テアちゃんを救うことのほうが重要です」
そういって、橋本は長机から降りて、書類棚からファイルを一つ取り出した。そのなかから、一枚づつ紙を机に広げていく。どうやら、東京の広域地図の一部らしいが、幾つかの建物に赤いインクで丸が付けられていた。
「うちのチームが調べた黒龍集団の拠点です。恐らく、これらのうち何処かに李が逃げ込んだと思われます」
「これじゃ多すぎて手が回らんだろ」
「はい。ですから、大義派の動きと重ねて、どこに行くか検討しました。それで一番可能性があるのがここということになりました」
七海は長机の上から一枚紙を取り上げる。
「明日の午前6時、大義派の幹部がこの施設に現れるそうです。李はその目の前でテアを殺して、パフォーマンスとすることでしょう」
「趣味の悪いパフォーマンスだ」
「テアは助け出せるんですよね?」
「公式には動けませんが、私たちが潜入してテアを救い出すという算段を立てています」
「さっきも言ったかもしれないが、俺達に手を貸してくれる人間は少ない。それでも俺達は東雲菜々がヘマをしてまで護った娘を見殺しには出来ないんだ」
ギブソンの水色の目がはっきりとした意思を示していた。市井の人間にはこんな顔は出来ないだろう。責任ある任務を負ってきた人間だからこその覚悟であった。
それに答えなければならない。それにあれだけ健気で、可愛い女の子を見殺しにするなんてことは俺にも出来ない。
「俺も……戦います」
「無理はするなよ」
「黒龍集団に狙われている身なんです。俺はもう危ない橋を既に渡ってる。覚悟は出来てます」
「そうか、ならこれを渡そう」
そういって、ギブソンは懐から黒光りする何かを取り出してこちらに渡してきた。よく見るとそれは拳銃だった。戦うとは言ったものの実物を見て、体が動かなくなってしまった。自分が人を殺すかもしれないとは思ったことが無いからだ。
「マフィアと戦う以上必要なものだ」
「で、でも、俺……銃なんて撃ったことないですよ……」
「撃つときは両手でグリップを持って、脇を締めてまっすぐ敵を狙え。あと、撃つとき以外はトリガーに指を掛けるな。それだけ知ってればいい。素人に射的の腕前なんか期待してないからな。お守り程度のものと思っていればいい」
押し付けるように渡された拳銃とカートリッジはずしりと重かった。金属の重さだけではなく、人の命を奪うという責任の重さもあった。
まじまじと手にした拳銃を見つめていると、いきなり部屋のドアが乱暴に開かれた。ドアは書類棚に勢いよく衝突して大きな音を立てる。その入口には拳銃を持った男が数人厳しそうな視線をこちらに向けていた。思わず手元にあった拳銃を背後に隠してしまう。
「動くな! 橋本七海、ジャン・ギブソン、そして東雲遊! 内乱陰謀及び内乱等幇助の疑いで逮捕する!」
「内乱陰謀だと……?」
ギブソンが呆けたように呟くと、興奮気味の一人がトリガーに指を掛けた状態でこちらに銃を向けていた。
「動いた時点で撃つ!」
剣幕を前に俺達三人は目を丸くするほかなかった。