六話 フィロの秘密
その日の夜は、薬のお代としてもらった木の実や魚、果実の砂糖漬けなどで、食卓を囲んだ。
ロステムは、今日は体調がよさそうで、よく笑い、よくしゃべった。つられて、ルチカも行商の苦労話などを面白おかしく話した。
マヤが湯浴みで不在の時、ルチカとフィロとロステムが三人で茶を飲んでいた時、ふいに、ロステムはフィロに切り出した。
「君、体に何かくっついてない?」
ルチカは、とっさに表情をつくることができなかったが、フィロは努めて、平静な態度を保とうとしていた。
「そんなのないよ」
「嘘だ」
「本当だよ」
「僕、見たんだ。暴走した馬を君が木に縛り付けた時さ、僕と同じくらいの子が馬をあんな風に扱うなんて、すごいって思ったけど、何か別の力が働いてた。あの時、馬を木に縛り付けたのって、縄とかじゃなよね、あれ何?」
フィロは首を振った。
「・・・・・・お前の見間違いだろ」
「『それ』僕と母さんを殺す?」
「・・・・・・こいつは、そんなんじゃない」
「よかった、じゃあ、いいじゃない。僕にも教えてよ」
「だから、言えることじゃなくて・・・・・・言えないんだ、ごめん」
フィロは、困惑していて、ルチカもこの場をどう取り繕えばいいのか分からなかった。
ロステムはそんな二人の様子をじっと見つめた。
「分かった、もう聞かない」
その場がしんと静まった。沈黙が流れ、やがて、ルチカが重々しく口を開いた。
「私たち、出て行くよ。ロステム」
「何で、そうなるのさ?」
騙してる相手に世話になるなんて、できない。ルチカが言葉を重ねようと口を開くのをロステムは制した。
「お願いだ、そんなこと、言わないで、頼むよ」
ロステムは、涙を流した。
「僕、不安なんだ、毎日。君たちに助けてほしいんだよ」
ルチカもフィロもかすかに頷くことしかできず、結局、返事を保留するしかなかった。
その夜、ロステムは喘息の発作を起こした。
咳がやまず、喘鳴(ヒューヒュー、ゼーゼーという呼吸音)を伴う呼吸困難を繰り返したが、比較的軽い症状であったため、ルチカとフィロの処置で、発作はやがて治まった。
ルチカは、マヤに茶をすすめかが、マヤは黙って、首を振った。
マヤはロステムの額に手を置き、呟いた。
「咳が夜通し続く時は、この子、全然眠れないのよ。同じ歳の子がしてる楽しいことやしたいこと、我慢ばっかりしてるの」
「はい」
「あの子が、私の言いつけを破って、馬に乗ったって聞いた時、ああ、私があの子を縛り付けてるもののひとつなんだなあって・・・・・・だから、怒れなかったのよ」
「大切なものが自分を縛るって、コインの裏表みたいなものじゃないですか」
マヤはルチカを見つめた。
「そういうの、切り離せたほうがいいんでしょうけど、できる人のほうが少ないような気がします」
ルチカの言葉に、マヤは涙を流した。
マヤもずっとロステムにずっと寄り添い、ロステムが眠りについたのを確認し、マヤもようやく床についた。
ルチカは眠れず、休んでくれというマヤの言葉にもかかわらず、眠るロステムを見ながら、壁に寄りかかっていた。フィロは土間にいた。松明を立てかけ、地面に蹲っている。
「何してんのさ?」
「蟻、捕まえてんの」
フィロはルチカに布袋を差し出した。
「煎って、食おうと思ってさ」
「・・・・・・現実逃避、してんじゃないよ」
「逃げようが、立ち向かおうが、飯はいるだろ」
空が白みはじめているのが分かった。
「やっぱり出て行こうか?」
こぼすように、フィロは呟いた。
「・・・・・・あんな風に言ってくれたのに?」
「・・・・・・俺がどじったせいだよな、ごめん」
「そんなこと、今、どうでもいい」
「うん」
「せめて、もう一日、私たちにできることしてから、出て行こうよ」
ルチカは、眠っているロステムの方を見ながら、言った。フィロはうんと頷いた。
ルチカはフィロの腕に目をやった。
「それ、痛む? 昨日もざわざわしてたよね」
「ううん、熱いだけ」
フィロは腕を押さえた。
「最近、俺の危険とか察知して、勝手に動くんだよね」
ルチカは、思い返していた。過去の自分と弟のことを。
毒草の棘に蝕まれ、高熱から回復したルチカには、毒の後遺症として、全身に赤黒い痣が残った。特にひどかったのは、顔の痣で、面積の半分以上が醜く変色した。
ルチカは周りの人間から、鏡を見るなと言われた。皆は気を遣って、言おうとはしなかったけれど、正視に耐えないほどひどいものであったのであろうことはだいたい、分かってしまった。
自分の顔が見えないルチカに比べて、一番身近な存在であるフィロが一番苦しんだのだ。
自分のせいであるという自責の念が余計にそうさせたことは容易に想像ができた。
その上、フィロの痣が、肩から腕にかけてで、ルチカよりもはるかに軽傷ですんだことが、彼の覚悟に拍車をかけた。
フィロは、ルチカの痣を治す薬を探し出すと決意した。どんな手を使ってでも。
その薬がフィロの腕に、今、現在ずっと棲んでいるのだ。
普段は、葉の入れ墨のようになっている。日に一度、寄生主の血液を吸うとき、入れ墨が生き物のように動き、寄生主の手の甲に深紅の美しい花が咲く。その花は、虫を吸い寄せる。その虫をすり潰しると、皮膚の薬になり、ルチカの痣を治すのだ。
この虫の皮膚薬は、ルチカの痣に格段に効いた。特に集中的に塗りこめた顔の痣は、ほとんど元通りの状態になったと言っていい。
ルチカは、弟が裏の世界で、売買契約を交わし、この寄生植物を手に入れた弟への反発から、フィロの治療を頑なに拒んだ。ルチカが弟の執念を思い知らされたのは、飲み物に睡眠薬を盛られ、意識を失っている間に、顔に薬を塗られた時だ。
「どうしても治療を拒絶するなら、これからも同じような方法をとるだけだよ」
ルチカはフィロのこの言葉を聞いて、彼の覚悟を痛烈に感じたのと同時に、ルチカが治療を拒絶するたびに、フィロはどうしようもなく傷ついていたことを知った。
「行商人が、特に薬を扱う商人が気味悪がられたら、商売なんてできないだろ」
フィロのその言葉に素直に従うしかなかった。
自分たち姉弟の関係を壊さないでいられるために。
そこまで自分を追い詰めていたのか。弟の意志の前に、ルチカはかける言葉を見失った。
血を吸い続ける以外は、フィロには危害を加えない。将来的に寄生主にどういう影響を与えるのか。書物でいくら調べても分からなかった。だったら、自分たちで情報を集めるしかない。
以来、この不気味な生き物から恩恵を受けながらの共生がずっと続いている。