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キャンバスエンディング  作者: 任 ひとし
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プロローグ

「やってらんねー」


下書き用の鉛筆を部屋の隅っこに放り投げ、習慣的にタバコを出して口に銜くわえた。何本目だろうか、気づくと吸い殻で灰皿が山積みなっていた。


ベランダの窓を開けると今度は暑い日差しが目にとびこんでくる。


その熱気といい、不快感といい、俺はすぐやる気をなくしてしまった。


この作品に取り掛かったのは2週間前だ。


F6号のキャンバスにはまだ二本の十字線が描かれているだけだ。


後悔でしかなかった。アクリルを買えばよかったな。衝動買いの結果だった。誰かが自分の才能のサイズを見計らって、分を知れと嘲笑ってるかのようだった。


一から十まで、何から何までが行き詰まっている。


この状況に絶望を感じた俺が真っ先に取った行動は、まずトイレに向かうことであった。


この時、俺の頭の中の色は隅々まで茶色に変わる。


頭に糞が詰まってるというのはこういう時のことだ。


うんこってやっぱり大事だ。俺はうんこをするとき、生きてるということを実感する。


食べて、寝て、描いて、うんこをする。


貴重な時間ではないか。絵を描くのもうんこをするのと一緒だ。


何かを生み出すこと、うんことお絵かきは大して変わらない。


俺のうんこパターンは大体こうだ。


創作活動の辛さとニコチンによる強い排便欲求が重なり合い、粘土のような臭い個体を体内から排出する時の快感が通常の2倍に増すのである。小さなカタルシスとも言える。


便座に座り、体内の全エネルギーをうんこだけに集中して、宇宙人みたいにぽっこりと出た腹部に力を入れると、それはぶりっとはみ出てきた。だがその音の勢いはあまりすっきりしたものではなかった。


何分間の悪戦苦闘の末、やっと用を済ましたものの、今度は名残惜しい残便感と疲れが同時に襲ってくるのだった。


疲れた俺は再びタバコに火をつけた。そして、大の字になって白い天井を眺めた。


「うんこだなぁ」


森山直太朗作曲の歌詞が自然と頭の中で流れた。


この瞬間を経験するのは、今回で何回目だろう。


暇な時ほど、俺は切実に肉体を持つ苦しみを感じる。人生の限界にぶつかった時の虚しさと悔しさは想像を絶するものだ。


俺の人生と言えば、それは「うんこ」そのものである。 神は「うんこあれ」と言われた。するとそこにうんこがあった。生涯初の記憶だった。俺は床の下に転がってるうんこをあちこち触りながらも、不思議な物体として感じていた。 こちこちに固まったうんこ。


それが自分から出たものなのか、他の子のものなのかは分からない。


俺はまだ神経が発達していない嗅覚でその匂いをくんくんと嗅ぎながら、手の平にのせて握ったりもしてみた。妙に甘辛い匂いだった。うんこが俺にくれたその意味とは?なぜそれが印象深く記憶の底に残ったのか、未だに考えて悩んだりもする。


創世記の話となると聖書は欠かせない。俺の母は日本でもごく少数の、活動的で信仰深きクリスチャンである。俺は信仰心というものを知らずに、母の意思で洗礼を受け、日々の糧を与えられた。


宗教的な面を除けば母はほかの子供たちのお母さんと大して変わらない普通の母親だった。子供の俺に童話を読んくれたり、時々ディズニーアニメを見せてくれた。


その光と色の世界は、異質的に俺のことを渇望した。


数多くの童話の中で、母が一番たくさん俺に読んでくれた物語は『旧約聖書』だった。


でもそれって童話なのかな。まあ、わからないけど。


聖書は俺の人生に大きく関与してきた。


モーセのエジプト脱出、ダビデとゴリアテ、ソロモンの審判、ソドムとゴモラ、そしてノアの方舟。


ノアの方舟は俺の一番好きなパートだった。想像するだけでわくわくした。神の選ばれしノア一家が巨大な方舟にメスとオスの動物達を二頭ずつ乗せて、大洪水の中で生き延びるサバイバルゲーム。ちなみに動物が好きだった俺はアジアゾウが搭乗したか否かをすごく心配してた。


そしてその年頃の子は誰もが電車が好きだった。


あまりにも印象が強かったのか、俺は保育園のお絵かきの時間に、「ノアの列車」という題名で絵を描いた。車両ごとに穀物と植物、哺乳類、両生類、魚類など、様々な動物達とオモチャをいっぱい乗せて走って行く長い大陸横断鉄道を描いた。


それを見た保育園の先生は、お母さんに俺の描いた絵を見せてよくほめてくれたりした。


俺が絵に興味を持ったのはその時だった。俺の人生の輝かしいひと時だった。


その頃はみんな俺の絵に興味を持ってくれた。


俺は主に、七色のクレパスでスケッチブックに絵を描いてた。


当時は俺だけが作れる作品があった。


クレパスで書きなぐったような絵はいつの間にか抽象的に発展していた。小学生が描いた抽象画ってどんな感じなのかって?今その絵を思い返してみると笑えてくる。だが、小学生の時に数々の大会で受賞した経験を通じて、俺は自分の才能を信じて疑わなくなった。


それから俺は抽象画に固執するようになった。そして時々写生大会でも受賞したりした。そうやって人生初の達成感を感じて、自己愛は深まって行くばかりだった。


母よく俺に膝枕をしてくれながら呪文を唱えるかのよう、こうお祈りした。




「天にまします我らの父よ。ソロモンの知恵と、ダビデの勇気、モーセの信仰、ヨシュアの大胆さ、テモテとパウロの忠心と信実、マタイの回心、ペトロの反省と、サムソンの力、ヨブの最後の祝福、そしてイエスキリストの愛を、一度だけ息子にお許しください。」




毎日こんなお祈りを聞きながら寝てたなんて……疑う余地もなかった。


そうやって俺という「怪物」が誕生した。


そして、いつも俺はそこにとどまっている。


今考えてみるとその儀式は多重人格を形成する一つの過程であった。果たしてそのお祈りに出てくる人物の中で、一人でも俺に似ている人物なんていただろうか。


外から聞こえてくる電車の通過音で俺は現実に戻って悲観的になった。ベッドに座ってキャンバスから離れてみても、何を描けばいいかまったくもって見当がつかなかった。確かに、何かを描きたいという欲求があったのにも関わらずだ。


俺の中では既に生と死の自己省察が始まっていた


俺は自分自身を規定することに必死である。俺という存在はどのような存在なのか。他人から認められたいという欲望はどこから来たものなのか? あらゆる邪念が俺を捕えようとしたが、結局結果は出せなかった。今この瞬間は一つのマトリョシカである。一つの悩みがまた別の悩みを産む苦痛の連続。そしてこうしている間にも過ぎ去って行く刹那の厳粛さと残酷さ。その後に残る虚無感を果たして言い尽くせるだろうか?


描かなくちゃ、絶対描いてみせる、と頭の中で繰り返してみたが、目的性と方向性は8月の蒸し暑い風に乗って茫然と流されていくばかりだった。


そこで俺はまず冷静さを取り戻して、なんらかのアクションを取ることにした。


俺が何をしようとしたか、それを定めるためには何かの行動が必要だ。参考になるような行動。まず部屋から出ること、鑑賞すること、爆発すること。


その時、俺は以前京橋の大きい美術館に行った時持ち帰ってきたパンプレットを思い出した。


今月、とあるギャラリーで開催されるジャン・アラン・マルティネズの作品展のパンプレットだった。買ってから長い間読まずにいたせいで、用紙が古びて色あせたデッサンの参考書の塔の間に挟まっているのを恐る恐る崩れないようにジェンガみたいに引き抜いた。それはまるで片づけられずに積もっている記憶のがらくたの入った書類ケースみたいだった。


お盆前後でバイトのシフトがぎゅうぎゅうづめ状態だったせいで、展覧会に行くなんて思いもよらなかった。しかもひどいのは開催期間がまもなく終了するということだった


そのことを思い出した途端、俺は上着と似合わない半ズボンを脱いでジーンズに着替えた.


上着は昨日コインランドリーで洗濯したから、この程度ならば多分ギャラリーを歩き回る時、他人の痛い視線は免れるだろう。


俺はリュックにノートとペンを入れた後、家を出た。玄関の日影から抜け出して強烈な直射日光を片手で遮って両目をぎゅっと閉じた。そして年式の古いアパートを後にしたまま駅の方に向かった。



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