2ページ キスしたい
「あ〜……かったりぃ」
いよいよ始まった補習。3月21日の1限は生物だった。8時45分からミッチリキッチリ詰め込んで補習を行う。きっと春も近づいてきた麗らかな日に補習なんぞ変なことをしているのは楼桜高校くらいのものだろう。
「ちょっと! しっかりしなさいよ、そうじゃないとあたしたちまで評価が下がるのよ」
そういって航平に文句をつけてきたのは、委員長の吉田雅恵。吹奏楽部に所属している彼女は何かと仕切る役が好きなようで、今年1年間ずっとクラス委員を勤め上げてきたという、よく言えば頑張り屋、悪く言えばでしゃばりな子だ。
「へ〜へ〜。そうね、ちゃんとやらねぇと吉田サマの点数が下がりますもんね」
「とにかく、ちゃんとしてよ!」
雅恵は不機嫌そうにそっぽを向いて問題集を解き始めた。こういううるさい子が航平は苦手だ。そういう意味では、冴子も同じ部類に入るのだが幼なじみという仕切りがあるため、そこまで苦手意識はない。
「なぁなぁ、やっぱ吉田って怖ぇよな」
そう言って右隣から話しかけてきたのは、クラス一のおっちょこちょい男子代表、渡部 音駆だった。軽音楽部に所属するちびっ子で、体育祭や文化祭という学校行事になると俄然張り切る本物のお調子者だ。今回のこの集中補習でも何か楽しいことを探すと言って張り切っている。
「そりゃーな。委員長様だし、逆らうと何されることやら」
「俺みたいにもっと気楽に生きればいいのになぁ」
「オレもそう思うぜ」
そんな話をしていると、前からクシャクシャになった紙が飛んできた。
「んだよ」
開いてみると、綺麗に整った字でこう書かれていた。
『うるさいから黙ってくれない?』
そう書いてきたのは野口 沙耶。国立大学を目指しているとかいう勉強虫で、分厚いメガネが特徴。21世紀の今、こんなメガネをかけている人はまずいないだろう。例えるなら、ちびまる子ちゃんの丸尾くんのようなメガネだろうか。
(怖い女その2)
航平は笑いながら沙耶をシャーペンで指した。さすが楼桜高校。勉強虫が大勢いると航平は改めて思った。同時にため息が出る。こんな環境で3年間過ごさないといけないのか。航平も頭が悪いほうではないが、ここまで勉強しようとも思わない。どうやったらそんな風に勉強できるのか不思議だ。
(やっばいやばい。体なまってきた。あーあ。エロ本もないしなぁ)
まさかエロ本を持ってくるわけにもいかない。そんなものがバレでもしたら、クラスで軽蔑どころでは済まないだろう。きっと停学を喰らうかもしれない。それくらい厳しいのが、この楼桜高校という学校だ。
そうこうしているうちに、1時間目の生物が終わった。
「いよっしゃあ! 終了っ! 悠斗、便所行こうぜ!」
「おいおい、大きい声でそんなこと言うなよ〜」
「いいじゃん! ほら、行くぞ行くぞ!」
冴子が最低、とでも言いたそうな様子で航平を見ていたが、特に気にせず教室を出た。教室を出るとすぐに、生物の金田に呼び止められた。
「大西」
「はい?」
「……。」
ジッと航平を見つめる金田。実はアメフト部の顧問でもある。
「先生?」
ハッと気づいたように金田は視線をいったん外してから言った。
「しっかり頑張れよ」
「はぁ……」
何をかはハッキリ言わなかったが、この流れからすると補習のことだろう。航平は適当に返事をしてトイレへ向かった。
「あぁ〜もう! 悠斗、今日って何時間目までだったっけ?」
航平はイライラした様子で悠斗に聞く。悠斗は「航平なら絶対覚えてないと思ったけど」というおまけの返事がついて返ってきた。
「6時間目までだよ」
「マァジかよ……その後は?」
「6時間目が3時10分に終わるから、それから掃除。4時から3時間目の英語文法テストが悪かった人は再テスト」
「げっ! それ、気ぃ抜けねーじゃん!」
「まぁそうだね。頑張らないと」
「……チェッ。ほどほどに頑張るか」
航平はチャックを閉めて手を洗う。そのとき、予鈴がなった。
「げっ! 悠斗、急ごうぜ。予鈴が鳴った」
航平は慌てて外へ出ようとしたが、その手を悠斗が止めた。
「おっ、おい悠斗」
「……。」
悠斗は答えない。それどころか、強く航平の手を引く。
「おっ! ひょっとして悠斗もサボりたくなっ……」
振り返った航平の目に映ったのは、異様な目をした悠斗だった。何か、獲物を狙うかのような目だ。
「悠斗?」
「航平……」
悠斗はそっと航平の制服のボタンを外し始めた。やがてシャツが露わになり、悠斗はどんどん行為をエスカレートさせていく。
「ちょ、お前なに!? そういう趣味あったの?」
航平は強引に悠斗を引き離そうとするが、悠斗の力が異常に強くて引き離せない。
「……いいね」
「なにが! キモい! 放せよ!」
「航平……」
遂にシャツのボタンが外れた。真っ赤になった航平は全力を振り絞って悠斗を突き飛ばした。
「ななななな、なんなんだ!?」
とにかく教室へ。ひょっとしたら悠斗はそういう趣味があったのかという考えがグルグル巡る。教室へ帰る途中、クラスメイトの宇井愛菜と佐々木 稜が手を繋いで歩くのを見た。
(え? アイツらって……そういう関係!?)
航平はちょっと興味が出てきて、のぞいてみた。するとシャツを脱いで今にもヤバい雰囲気になりそうな二人が目に入った。
「マッ、マジですかぁ!?」
思わず大声を出してしまった。バレるかもしれないと思ったが、二人は航平の声どころか存在にも気づいていない。
「……?」
何かが不自然だ。何かが変だ。
「そういえば……」
航平は思い出した。稜は、北山こよみと付き合っているはずだ。それなのに、なぜ宇井とキスなどしているのか。あの人思いな稜が絶対するはずのない行為だった。そして、二人の目が航平の視界に入った。それは、紛れもなく悠斗と同じうつろなものだった。
「なんだ……? なんか……ッ!?」
人の気配がして振り返ったが、そのときには既に遅く、航平の頭に衝撃が走った。
「……。」
ガッ、ピー、と機械音が意識が薄れる航平の耳に聞こえてくる。そして、聞き覚えのある声が聞こえた。
「こちら、本校舎。実験完了。28名中1名のみ効果ナシ。ただし、現段階」
「……。」
(実験って……な……に)
航平の意識はそれを最後に途絶えた。