1ページ 特別補習
「えぇ!? なに、その特別補習っての」
大西航平はあからさまに嫌そうな顔をした。同級生であり航平の親友でもある小村悠斗も嫌そうな顔をしながら半ピラの紙を航平に手渡した。
「これだよ、この手紙。なんかさぁ、来年から実施するらしいんだけど、そのモデル学級ってことでウチのクラスが選ばれたんだ」
航平は悠斗から渡された手紙を見た。
「ゲッ、春休み入るなりすぐかよぉ」
日程は3月21日から28日までの1週間。現代文、古文、英語、数学、化学、物理、日本史、世界史。これらの科目で受験に必要な科目を選択し、1週間泊り込みで1年生から2年生にまで学習した範囲の復習を行うのだという。
「くっだんねぇなぁ、こんなの。受験勉強なんて3年生の夏休み明けからでいいじゃん」
航平はつまらなさそうに受け取った紙を息で吹き飛ばした。薄い紙は簡単に吹き飛ばされ、床の上に落ちる。
「それがそうもいかねーんじゃないの、ウチの学校の場合」
悠斗の言うとおりだった。
航平たちが通う私立 楼桜高等学校は大正元年設立の古い伝統がある高校だ。毎年東京大学、大阪大学、神戸大学、広島大学など国立大学の合格者をバンバン出す、バリバリの進学校だ。2年生からどころか、1年生から受験対策の補習などが行われてはいた。しかし、ここまで強烈な補習は航平たちにとっても初めての経験だった。
「なんで今になって……ったく」
航平はこの春休みに悠斗たちと沖縄へ旅行に行く予定だったのだ。もちろん、自分たちだけでお金は工面できるはずもないので親の協力もあってのことだ。しかし、この補習のおかげですべてがパァになってしまった。
「まぁ、旅行は夏休みにでも行こうぜ」
「そうだな。貯金もそれまでにもっとできるだろうし」
「それに、そのときのほうがさ……」
悠斗が耳打ちする。その内容を聞いて航平が赤くなった。
「なんでお前がそれを……!?」
「へへへ。そんなの、見てるだけで十分わかるっての」
悠斗が笑いながら自分の席へ戻っていった。朝っぱらから真っ赤になってしまい、とても授業に入れる気分ではない。
「なに? そんなに真っ赤になって」
振り向くと、悠斗の幼なじみで今は悠斗よりも航平とのケンカの回数が圧倒的に多くなった、桃地 冴子がいた。
「んだよ冴子。今日は暑いからしょうがねぇじゃん」
「今日の最高気温12度だけどね」
冴子はまったくもって嫌味な性格であると航平は日々感じていた。言葉に刺があるし、ボケても突っ込んでくれずに冷たい目で見つめてくるだけ。陽気でもないが陰気でもない、まったくもって掴みどころのない女子――それが桃地冴子という女子だ。
「キッツいねぇ、相変わらずサエちゃんは」
後ろから現れたのは快活で背が航平よりも高いバレーボール部在籍の小林あさひだ。ショートカットが特徴で、パッと見男子に見えることもあった。一度、体育でのバレーボールの時間に男子と間違えたときは強烈なレシーブを顔面に喰らわされた。それ以来、あさひとは何かと気が合うと航平は感じていた。
「何かまたご機嫌ナナメにすることを航くんがしたの?」
唯一クラスで航平を航くんと呼ぶこの女子は浜野 真奈。おとなしくて目立たない彼女が、なぜうるさい冴子とあさひと仲良くしているのか、2年B組の七不思議のひとつでもあった。
「そうじゃねぇよ、浜野。コイツがまた俺に余計なことを……痛ってててて!?」
「呼び方がなってないわねぇ! コイツじゃなくって、もーもーちーさん!」
「わぁかったよ、放せよこの暴力女!」
「わかってない! 覚えてなさいよ、後でどうなるか!」
「うるせー。この剣道バカ」
そう。冴子は県内でも有数の腕を持つ剣道選手だった。
「なんですってー! ナッツみたいなボール持って走り回るズンドウにそんなこと言われたくないわね!」
何を隠そう、航平はアメリカンフットボール部のエースなのだ。
「残念でした〜! オレはクォーターバックだからそんなにズンドウじゃないです〜!」
「キィィィ〜! 憎たらしい! アンタ、小さい頃はめちゃんこ素直ないい子だったのに!」
冴子はボカボカと航平を叩きながら暴言をどんどん吐き続けた。とても描写できるようなものではない。
「サエちゃんサエちゃん、よしなよ。チャイム鳴るよ」
真奈がなだめながら強引に冴子を航平から引き離した。
「ったくよぉ。ウルセェ女はモテねぇぞ」
「うるさい! 運動バカ! アメフトバカ!」
「残念でしたー! こないだの期末テスト、学年4番です〜!」
「ムーカーツークー! ちょっと待ってよ、真奈! あたしまだ言いたいことが……!」
ギャアギャアとわめきながら、真奈に無理やり席に着かされた冴子を悠斗はジッと見つめていた。
「お前さ〜、ホントに冴子が好きなの?」
「うん」
「っかぁ〜! 理解できないな、オレには。オレは真奈みたいにおとなし〜くて可憐な子が大好きだ」
「なら良かった」
悠斗がボソッと呟いた。
「へ? なんでだよ」
「だって、航平がライバルだったら俺絶対勝てないから」
「なぁんだよ、弱気だな相変わらず。強気で行かねぇと、冴子の尻に敷かれるぜ」
「そうそう。いつだって男は強くいないと、女の子を守れないよ」
後ろを見ると、ワックスで髪の毛をセッティングしながら机に座っている旗本慶介がいた。
「よぉ、ケイ。おはようさん」
「おはよ。朝から恋バナとはお盛んですな」
「よく言うよ。クラス一モテモテのお前が」
航平が慶介の腹にパンチを食らわせた。
「痛ぇな! お前、加減しろよ。アメフトバカのお前に殴られたらダメージ大だっつーの」
「んだよ、よってたかってアメフトバカ、アメフトバカッて。失礼な話だぜ」
航平がブゥッと頬を膨らませた。その頃、女子は女子で集まって恋バナをしていた。
「前から思ってたけど、サエって自分に正直すぎるよね?」
真奈が化学の準備をしながら、呟いた。
「え?」
「そうそう。航平の前に行くと、テンション上がりすぎ」
あさひがケラケラ笑う。瞬く間に冴子の顔が真っ赤になった。
「やっだぁ! そんなことないよ! あたし、あんなアメフトバカ大嫌いだもん!」
「またまた〜。無理しなくていいからね!」
「無理なんかじゃないってば……」
冴子は俯きながら航平のほうを見る。下品な笑い方。あたしには合わない。そう冴子は思っていた。
そして、これからもずっと、そう思えるはずだった。