20ページ 狂気
「ねぇ……大西、遅くない?」
綾子が心配そうに航平の向かった方向を見つめた。暗闇が廊下を支配し、その姿はおろかお互いの姿も見えないほどの暗闇だ。
「まさか何かあったんじゃ……」
愛菜の顔がみるみる青ざめる。
「まさか! 航平くん、アメフト部で強いじゃん。何かあってもきっと相手を張り倒すぐらい……」
沙耶の声を掻き消すほどの悲鳴が聞こえた。女子全員の顔が引きつる。慶介は怖い顔つきをしながら、全員の前に立った。
「やめてよ! ねぇ、お願い!」
「やめろ! お前、そんなことするヤツじゃないだろ!」
「…子! 逃げて!」
慶介はそう遠くない距離で複数がもめているというところまでは想像できた。
「俺、様子見てくる」
「やめて……あたしたちだけって、すっごい怖い」
あさひが涙を流しながら慶介の袖を握った。
「悪い……でも、すぐ戻る。みすみす傍にいる危険な目に合ってるヤツらを放ってはおけない」
「旗本くん……」
綾子があさひの袖を握った。
「大丈夫。いざとなれば、4人いるんだし」
「……サンキュな、須藤」
慶介はニッと笑うとすぐに走り出した。あさひはギュッと綾子の手を握る。沙耶も愛菜と手を取り合い、今は航平と慶介が無事に戻るのを祈るしかなかった。
一方の慶介は、悲鳴が聞こえた教室に入るなり足を止めた。まさにいま一人、襲われようとしているところだったのだ。
「やめろ!」
慶介は渾身の叫びを上げた。ビクッとその人物が動きを止める。
「なんでだ! お前……誰だ!? どういうつもりだ!?」
「……リユウナンテナイケド」
明らかに声が人間離れしたものになっていた。機械的な不気味な声。慶介はおそるおそる、その人物の顔を確認しようとして凍りついた。
「航平……」
紛れもない、航平だったのだ。そして、いま航平が手にしているのはサバイバルナイフ。女子生徒に馬乗りになり、ナイフを首元に押し付けていた。
「は、旗本くん……」
その女子生徒は桃地 冴子だった。冴子は涙を流しながら、必死に航平の力に抵抗しているようだったが、男子生徒と女子生徒では力量が明らかに異なる。しかも、航平はアメフト経験者だ。文化部所属の荘一郎や女子委員長の吉田雅恵には抵抗の仕様がなかった。
「やめろ! どういうつもりだ?」
「ベツニ。ヤリタイカラ、ヤルダケ」
慶介はしばらく考えた。このままでは遅かれ早かれ、冴子に危険が及ぶことは間違いない。慶介はいま考えられうる最良の手段を取った。
「航平!」
航平はまだ完全に意識を取り乱しているわけではないようで、友人の声を聴いた途端に苦しそうな表情に変わった。
「皆も呼べ! 普段読んでる呼び方でいい!」
「どういうことよ!?」
雅恵が怯えきりながら悲鳴に近いような声を上げる。
「とにかく航平の名前を呼べ!」
「そんなでなんとかなるの!?」
荘一郎も甚だ疑問のようだったが、慶介にはこの考えしか浮かばなかった。
「呼べ! 航平!」
雅恵が大声を上げた。
「大西くん!」
「おおにっちゃん!」
「航平!」
「……ッ」
航平の動きが一瞬止まったのを、慶介は見逃さなかった。力が明らかに緩んだのを見計らって、冴子に呼びかける。
「桃地! 逃げろ!」
冴子はその瞬間を逃さなかった。思い切り航平の股間に蹴りというお土産も忘れずに。
「アッガー! 痛ってええええ!」
突然、航平が素に戻った。
「へ!?」
雅恵と荘一郎も呆気に取られた。
「……。」
そのまま、航平は眠るように倒れこんだ。
「どういうこと……?」
「……意外と単純だな」
慶介が一番呆気に取られていた。あさひから聞いてはいたが、実際にやってみるとやはり意外だった。
「そんな単純な理由ありかよ!」
別室では先ほどの少年が声を荒げていた。
「クソッ……。今回の実験の後、もう一回研究のやり直しだ」
「そうもいかないみたいですよ」
紗弓が冷たい声を出す。
「外を見てみてください」
紗弓の声につられて少年が外を見ると、予想外の光景が目に映った。