7ページ 甘い香り
「とりあえずここでいい?」
船津 仁美(女子10番)は後ろからついてきている1班メンバーに声をかけた。
「ちょっと待って。念のため、誰かいないか確認してから入らないか?」
日暮 佳典(男子10番)がドアを開けようとする仁美を制止した。佳典が前へ立ってドアをそっと開ける。真っ暗で人がいるかどうかはわからない。
「飯島くん、ちょっとペンライト貸してくれない?」
「あ、う、うん!」
飯島 芳史(男子2番)がポケットから慌ててライトを取り出した。驚くべきことに、1班の支給武器というのはこのペンライトだった。攻撃も防御もできないと宇井 愛菜(女子1番)は憤慨していたが、殺されるかもしれないという恐怖感がある今となっては、こうした小さなライトがあることで電気をつけずに済み、結果として自分たちの居場所はわかりにくくなるという利点があると全員が感じていた。
「誰もいないみたいだな」
佳典はホッとため息を漏らして教室へ入った。おそるおそる、愛菜、芳史、仁美の順に入ってくる。
「とりあえずさ、今日はここにいようぜ」
「階段からも遠いしね」
佳典たちが入った部屋は、1年5組。この階は主に理系の実験をする部屋が入っており、理系科目が必修の1年生の頃は本当によく利用したものだった。とりあえず座って一息つくことにする。
「ねぇ」
愛菜が座ると同時に言葉を吐いた。
「これ、夢じゃないんだよね?」
誰もがそう思いたいものだった。しかし、これは現実だ。既に自分たちの目の前で湯前兄弟が死亡したのを見せ付けられた。百花に突きつけられた銃も、偽物という感じはまったくしなかった。
「夢だったらいいのになぁ」
芳史がホゥッとため息を漏らす。それを引き取るように全員がため息をついた。
「でもさ、ひょっとしたらウイルスから病気を発症しないかもしれないじゃない?」
仁美が少し楽観的なことを口にした。佳典もそう思っている。ひょっとしたら発症しない可能性だって十二分にあるのだ。
「そもそも、あのウイルスに感染させられたっていうのも根拠がないじゃない」
「そうかもしれないけど……でも、あの伊藤とかいう人が嘘を言っているようには見えなかったわ」
愛菜はどこか楽しそうにすら見える紗弓の姿を思い返して身震いした。
「でもまずは薬を見つけて飲んでおく必要がありそうだな。薬飲めば、発症の可能性はだいぶ抑えられそうだし」
「簡単に見つけられたらいいんだけど……探すには移動するしかなさそうだし」
仁美がウーンと悩む素振りを見せる。どこにあるかは、誰も見当がつかないだろう。
「誰もどこにあるかは把握できてないだろうから、探し回るしかないんだろうけどな」
「一番安心できるものを探すのに、一番危険なことをしなきゃなんないのか」
愛菜がウンザリした様子で頭を抱えた。クラスメイトとはいえ、音駆のような考えを持っているものが他にもいる可能性があったため、安易にウロウロできないと1班では全員が考えていた。
「基本的に、女子はここから動かないほうがいいと思う」
「え?」
佳典の提案に、仁美と愛菜は同時に声を上げた。
「だって、万が一危険があったらヤバそうじゃないか?」
「でも……」
戸惑う愛菜を遮るように、佳典は続けた。
「船津は帰宅部だろ? それに、宇井は軽音楽部。二人とも文化系クラブと無所属だから、こんなこと言ったら悪いけど体力には自信なさそうだし」
「でも、日暮くんも美術部じゃない」
「あ〜……そうだけど、中学はサッカーしてたからさ」
「え!? そうなの?」
仁美が意外!とでも言いたそうな顔をした。確かに、おとなしそうな雰囲気を漂わせる佳典がサッカーボールを蹴っている姿など思い浮かべにくい。
「あんまりみんな、俺がサッカーしてたって思わないらしくって」
「見えないよ〜! へぇ、そうなんだ〜」
愛菜もさぞかし驚いているようだった。
「芳史も地理研だけど、昔は水泳やってたもんな?」
「……。」
「芳史?」
芳史はハッと気づいたように佳典のほうを向き「あ、あぁ! でも小学校のときだよ?」と答えた。
「水泳かぁ! なら、まぁ成長期の男子だし体力そこそこあるかもね」
仁美が安心した表情を浮かべた。
「じゃあ、私たちは男子留守の間はどうしよう?」
「とにかく、バレないように姿が見えにくい場所で隠れとくのが一番じゃないかな」
「ジッとしてるの苦手なんだけどなぁ」
佳典は苦笑いしつつ「なんかあったら大変だろ?」と愛菜をたしなめておいた。愛菜は「はぁい」と苦笑いしながら答えた。
「いま何時?」
仁美は携帯電話を没収されたため、時間がわからなくなっていた。佳典が腕時計を見て「今は4時30分だな」と返した。
「どおりで。外が暗くなってきてる」
「……夜になったらなんか怖い」
「でもさ、夕食時にはみんなに会えるんだ。明るい場所でメシも食える。元気出そうぜ」
「そうね。愛菜、大丈夫よ」
「うん……」
愛菜と仁美はそっと体を寄せ合った。佳典はさっきから何も喋らない芳史に目をやった。不安そうに膝を抱えて座る芳史の顔色がどことなく悪いように見えた。
2階にいる渡部 音駆(男子14番)の班では、誰も口を開かないまま座り込んでいた。特に音駆はブルブルと体を震わせている。
「大丈夫だって、音駆」
安藤 輝(男子1番)が優しく音駆に声をかけた。
「でも……でも……おれ、あんなこと言ったからきっとみんなに……」
「そんなことないって。あれは無理やり言わされたようなもんじゃないか」
佐々木 稜(男子5番)が同じように音駆のフォローに当たる。説明会時の一件で、きっとクラスメイトは音駆に対して不信感を抱いたと彼は震えていた。狙われるのが自分だけならまだしも、3班全員が疑われる可能性もあった。
「ゴメン……ゴメン、おれのせいで」
「大丈夫だって」
音駆は震えて嗚咽を漏らしながら俯いたままだった。
「ふぅ……」
音駆は稜に任せて、輝はもう一人部屋の隅で震えている女子、北山こよみ(女子3番)に声をかけた。
「大丈夫? 北山さん」
「安藤くん……」
顔色が良くない。それもそうだろう。こんな事態に陥って、冷静でいられるほうがどうかしている。事実、さっきから輝も心臓がドクドクと激しく鼓動している。
「気分悪い?」
「ちょっと……。それに、なんかさっきから甘い香りがしてきて余計に」
「甘い香り?」
輝は鼻をクンクンさせてみるが、そんな匂いはしてこない。神経質になっているせいだろうと輝は思った。
「おれもさっきからするんだ」
「え?」
音駆も同じように答えた。
「そうなの?」
稜は不思議そうな顔をした。どうやら、稜は感じていないようだ。
「変だね。俺たちはなんともないよな?」
「あぁ……」
稜と輝には感じられず、こよみと音駆には感じられる香り。甘い香りのようだ。
「なんなんだろう……」
不安そうに音駆は呟いた。
「大丈夫だって。偶然だろ、偶然」
ここはなんせ調理室だ。何かの調味料か料理の匂いが残っているのだろうということも考えられる。輝は特に気にせず、こよみのそばに座った。
「あの……顔を洗いたい」
急にこよみが輝の袖を引っ張った。
「顔?」
「うん……」
「そうだな。気分転換にいいかもよ? 行くか」
こよみの手を繋いで輝は入口へ向かった。
「佐々木、音駆のことヨロシクな」
「うん!」
暗い廊下へ出ると、緊張感が高まる。
「手、放すなよ?」
「わかった……」
こよみも緊張しているが輝の表情も硬いまま、二人は部屋を出た。