疎遠
これは、私が結婚してからの悩み、義家族のこと。
残したくて書き綴ることにする。
まずはわたしのことを少し話します。
私は、11歳離れた姉と8歳離れた兄がいる。
家庭はどちらかといえば貧乏だったけど
家族からは末っ子のせいもあってか
すごく可愛がられて育った。
気はどちらかといえば弱くてすぐ泣く性格だった。
20歳のときには夜の世界へ踏み込んだ。
だんだん夜の世界にも慣れ始めた21歳の時、お店の先輩から
「紹介したい人がいる。ラインからしてみない?」
と言われた。
渋々、了解して、ラインを始めた。
そして、遊んで
気づいたら付き合ってた。
そこからが私の今の人生のはじまり。
彼の名前はれいた。
わたしの2つ上で当時は23歳、わたしが21歳だった。
れいたとはすごく気があって、一緒にいて楽しくて笑いあって幸せだった。
そこまでいい仕事はしていなかったけれど、楽しかったから一緒にいた。
れいたは母子家庭で育ち、家族は母、姉2人がいた。
姉2人は実家にはいなくて
実家に母と彼で2人で暮らしていた。
姉とは付き合っている間会ったことなかったけれど、お母さんは家に行ったときに居るから何度も会ったことがある。
優しい、お母さんだった。
お互いにとくになにも話さないけれど
そのときはいいお母さんだな、と思っていた。そのときまでは。。。
そして、
付き合って一年半くらいのとき
妊娠した。
嬉しい思いと、少し不安な気持ちが入れ混じる。
とりあえず、れいたの母へ報告した。
「うちの息子でいいの?わたしみたいに離婚はしたらダメだよ。れいたは父親がいなかったから、、、きっと父親にしか話せないこともたくさんあったと思う、、、、、。」と言って泣いていた、、
きっと、大事な一人息子がいなくなるさみしい思いもあったと思う、、、
そのときは頑張ろうって思った。
わたしの親にはまだ妊娠したことを言えないでいた。
姉にだけ伝えた。
「お姉ちゃん、、、私、、、妊娠したの」
泣きながら伝えた。
お姉ちゃん自身はバツイチで子供を連れて実家に帰ってきていて、いろんな経験からじっくり考えて私にいった。
「産みたい気持ちはわかる。でも、れいたくんは経済的には厳しいし、それに姉が2人いるのがすごく気になる。すみれには幸せになってほしいから、、。わたしみたいになってほしくないから、今回は残念だけど、、、、。お母さんたちには黙っていまのうちに、、、」
と言った。
そんなこと絶対に出来なかった。
絶対産みたいと思っていたから。
それでもお姉ちゃんは結婚に反対していた。
お兄ちゃんも何も言わなかったけれど、
反対しているような感じがした。
それからどんどん
お腹の赤ちゃんは育っていくなか
ずっと親には言えず、
気づけば、5カ月になっていた。
もう、言わないと、やばい。
そんな焦る気持ちで
ある日お母さんに言った。
「お母さん、話がある。あのね、いま、お腹に赤ちゃんがいるの」
心臓がドキドキドキドキした。
お母さんは泣いていた。
「さみしい、、、さみしい、、」と。
わたしが結婚して実家からいなくなるのが寂しかったみたいだけれど、
最後に言った。
「あちらの家族から可愛がってもらわなきゃね」
わたしは「ごめんね」と言ってお母さんと抱き合って泣いた。
それから、お父さんにも伝え
お腹も大きくなり
両家の顔合わせをすることになった。
そのとき妊娠7カ月だった。
親だけ顔合わせする予定だったけれど
れんたの1番上の姉が、れいたに
「あんた、顔合わせにあたしたち兄弟呼ばれてないけど、なに?」
と言われたそう。
わたしはなんで兄弟も絶対集まらないといけないのだろうと思った。
けど、うちの親は
「結納があるから集まるんだろうね。きっと。」そう思っていた。
わたしも気持ちだけでも、
結納があるだろうと思っていた。
顔合わせする場所は、ギツギツした雰囲気は嫌だから、気楽がいいからと
綺麗な居酒屋の大人数が入る個室にした。
そして、顔合わせの日。
れんたの母、姉2人、2番目の姉の子供2人、
私の父、母、姉、兄、姉の子供
みんな集まった。
最初はれんたの母が
「ご挨拶が遅れてすみません。」と
頭を下げた。
そこから
ちょこちょこみんなで話していたけれど
れんたの1番上の姉はとくになにも話さず
ツンとしていた。
すごく苦手なタイプだな、と思った。
途中でトイレに行ったとき廊下ですれ違ったとき
目が合って少し微笑んだけど
向こうは無表情だった。
2番目の姉は実は顔合わせまでに付き合っているころ、2回会ったことがあった。
1番目の姉に比べると話しやすいし、
自分から話しかけてくれるような人だった。
けれど、2番目の姉は弟大好きなブラコンで
顔合わせのときに「いくつになっても可愛い。弟大好きなんです。ブラコン」
そんな言葉が聞こえて
わたしは少しドン引きした。
れんたの母も酔っ払ってたのかしらないけれど
すごく、れんたへ引っ付いてベタベタしていた。
正直、気持ち悪いと思ったけれど、
無事に顔合わせも終わった。
終わったときにれんたの母は
「やっと終わった」とつぶやいた。
そして家に帰ると
わたしの家族がすごく怒っていた。
お母さんがわたしに言った。
「結納は?結納はなんでなかったの?嫁にはやらないよ。手ぶらで来て失礼よ。」とカンカンに怒っていた。
お姉ちゃんも
「手ぶらなんてあり得ないし、妊娠させた側なのにすみませんの一言もないし、こんな息子だけど、とかの一言もなかった。結婚しなくていい」と。
お父さんも
「母子家庭でお金ないのは充分にわかってる。わかってるけどこんな大事に育てた娘を手ぶらで来られた人にあげたくない。大金を上の包めと言っているんじゃない、ほんの気持ち、少しでいいんだ。犬とか猫をもらうんじゃないからね。結婚はよく考えたほうがいい。うちのこと馬鹿にしている」
と言っていた。
わたしはすぐにれんたへラインした。
「れんた、あのねうちの家族が結納あると思ってたんだけど、なかったから怒ってるんだよね。」
すぐに返信がきた
『え、無理よ。うちお金ない』
「もう結婚するなって。なんのための集まりだったのって」
ラインじゃ話が長引くから
れんたと直接会って話をした。
「すっごく怒ってるよ。うちの家族。もうわたしも嫌だ。べつに結婚しなくてもいい。そもそもお母さんは結納ていう考えはなかったの?」
そんな風にわたしは言った。
すると、れんたは泣きながら
『すみれまでそんなならないで。結納はするから。お母さんは結納するならするし、しないならしないて感じだと思う』
そう言ってきた。
納得いかなかった。
結納するなら、するってなに?結納のことなにも言ってこなかったんだから最初からする気はなかったんでしょ。
私は、家族からもたくさんいろんなことを言われ、結婚なんてどうでもよくなっていた。
とりあえず、れんたと話して結納はするからと言われ一旦お互い家へ帰った。
れんたは、妊娠がわかったときに貯金がなかったから引っ越し費用とかに困らないようにと、銀行から80万ほどお金を借りていてくれたけど、
そのお金を結納に使うといった。
実際にはその頃れんたは中型自動車免許を取るために自動車学校へ行っていたので
残りは50万ほどだった。
それを結納に使ったら、引っ越しなんてできないし、
そのときはまだ新しい仕事始めたばかりだったから給料も当たり前にもらえてなかったし
赤ちゃん産まれてからも余裕がなくなるからわたしは、そのお金は使いたくない、と答えた。
れんたの月給は安いから、不安でしかなかった。
れんたは、
『でもそれを使うしかない、頼れる人もいないから。俺は昼も夜も働く覚悟だよ』
と言った。
もう私はどうでもよくなってきて
「じゃあもう好きにして」
と答えた。
そして、
後日、れんただけうちに謝りにきた。
お母さんも来ると言われたけど
うちの親がれんただけでいいと断った。
れんたはスーツをきて少しの結納をもってわたしの親に頭を下げた。
「この度はうちの家族が失礼なことをしてしまい、すみません、、」
泣きながら謝っていた。
お父さんとお母さんは優しく答えた。
「お母さんとお姉ちゃん方が少しダメだったね。すみれを幸せにしてね」
れんたの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
かなり泣いていた。
れんたもたくさん悩んだんだろう、
どうすればいいか分からなかったんだろうなって思った。
れんたはうちから帰るとき言った
「ほんとにすみれの家族いい人だ」と。
それからは、ちょこちょこうちに来るようになって
引っ越しは赤ちゃん産まれて落ち着いてからでいいかもねとお互いに話して
籍を入れて、わたしの実家へ一緒にれんたも住むことになった。
わたしは顔合わせから義家族には会っていなかった。
会ったらお義母さんが謝ってくるかな?なんて考えていた。
気づけば腹の赤ちゃんはもう10ヶ月になっていた。
たくさんお腹を蹴って、元気いっぱいで繋がっていることが嬉しかった。
そんなある日、たまたまれんたの実家へ遊びに行った。
顔合わせ後、行くのは初めてだった。
いつもなら義母が気にかけてくれるのに
全く話もかけてこなかった。
わたしは正直、相手側の家族を怒らせといてわたしにだけでも謝罪の言葉はないの?と思った。
そんなことを考えていると動けないくらいお腹が痛くなった。
慌てて病院へいった。
赤ちゃんは無事だったけど、妊娠する前から卵管水腫があった為、どうやらお腹の赤ちゃんがそれを押してかなりの激痛が来たらしい。
どうにか点滴もして落ち着いた。
安静のため5日ほど入院することになった。
そんな入院中でさえ、義母がお見舞いに来ることはなかった。
心配の伝言でさえなかった。
それから退院して、一週間後陣痛がきた。
病院へ着き、10時間後くらいに
無事に男の子を出産した。
義家族は退院する最後の日にお見舞いに来ると言った。
だけど最後の日にちょうど赤ちゃんが
黄疸検査で引っかかり
保育器に入ることになってしまって
義家族は来なかった。
それから退院して
一週間くらい経ったとき
旦那が義家族へ赤ちゃんを見せに行きたいからと、
しつこかった為、
生まれて間もない赤ちゃんを
嫌々ながらも見せに行った。
普通、義母という存在は
生まれたらすぐ病院へかけつけるもんじゃないのか?
と思った。
義家族は、1番上の姉以外は
2番目の姉の家へ集合していたので
2番目の姉の家へ赤ちゃんを見せにいった。
すぐ義母がわたしが抱いていた赤ちゃんを
取り上げて抱いた。
すっごく嫌だった。
それからお祝いにと
1番上の姉からご祝儀、
2番目の姉からお洋服、
義母からもご祝儀をもらった。
そのときの義母からの渡し方が
今でも忘れられない。
義母は、ご祝儀を旦那へ渡した。
封筒をピラピラさせながら
「オムツ買うくらいしか入ってないわよ」
と言った。
なんだかイライラした。
それからは、本当に会いたくもなくて
次に子どもを見せに行ったのは
生後3カ月のとき。
そのときも2番目の義姉の家へ集まった。
1番上の姉は仕事で来れなかった。
わたしはとにかく早く帰りたくてたまらなかった。
義母が大嫌いだからだ。
その日の帰り際に、義母が言った。
「お父さん、お母さんによろしくお伝えください」と、ため息まじりに言ってきた。
すごくイラだった。
家に帰ってわたしのお母さんから
「なんで、入院したときや、生まれたときすぐにお見舞いにも来なかった人に子ども見せに行かなきゃいけないの?」
と言われた。
もうわたしも嫌になっていて、
旦那へもう行かないことを告げた。
それからもう何年経ったかな?
2年、、?あれから今日まで一度も会っていない。
旦那ももう会わなくていい、俺も家族は捨てるからと言ってくれている。
俺の家族が全部悪いからと。
そもそもこんなふうになってしまったのは
結納がなかったことから始まった。
きっとあったらここまではなっていなかったと思う。
わたしがイラつくのは
義母がわたしにだけでも
謝罪してほしかったのに
何にも言ってこなかったこと。
嘘でもいいから、「失礼なことしたね。ごめんね。」って言ってほしかった。
ある日わたしはふと思った。
あの顔合わせの日、旦那はいったい
どんなふうなメールのやり取りを
家族としていたのだろう。と気になった。
夜中、旦那が寝ているとき
携帯を見た。
2番目の姉とのメールが残っていた。
顔合わせの日にちにメールのやりとりをスクロールさせる。
案の定、悪いことはたくさん書かれていた。
「噂通り、変わってるね。親。
とにかくお母さんと謝りに行くしかない。わたしから結納はしなきゃと電話はしといたよ。けど、向こうがいろいろ言ってたのは言ってないから。」
わたしはてっきり、れんたは結納の件は義母にぜんぶ話していたと思っていたからびっくりした。
全部の内容は、義姉に話していたようだ。
わたしは結納の話になったとき、
旦那に貯金は使いたくないと言った。
その貯金を使えば2人の住むアパートへ
引っ越しができなくなるから。
そのときのこともメールで書かれていた。
『すみれが、貯金を使いたくないて言ってる』
「だから、それはれんたのお金でしょ?すみれにどうこう言われる筋合いはないよ。仕方ないでしょ。そもそもそのお金ちゃんとあるの?すみれのこと疑っているわけじゃないけど、あっちの親が受け付けないから、貯金あるから確認してみて。通帳記帳してみて」
と書かれていた。
それを見たとき、あー疑われてたんだな
と思った。
そして、兄弟3人でのメールのやりとりも見つけた。
2番目の姉「れんたが結納しなきゃいけなくなって、いろいろ教えてやって」
1番上の姉
「はぁ?いきなり結納?あんなとこで?お互いかしこまった感じはやめようみたいな感じだったのに?」
れんた「だね( ̄∀ ̄)」
1番上の姉「うち金ないじゃん。そもそもあっち結納の仕方知ってんの」
2番目の姉「あっち?知らないだろうね。」
1番上の姉「知らないよね。あっち。貯金とか彼女に渡してるんでしょ、それから出すしかないよ」
2番目の姉「そうよね」
そんな会話だった。
わたしは結納のやり方知ってんの
という馬鹿にした言い方にイラッときた。
いやいや、そっちが知らないから
こんなことになったんでしょ、と。
わたしはメールのやりとりを読んでいるうちにイライラが募った。
もう終わったことだけど、イライラが止まらなかった。
次の日、れんたへメールを見たことを言った。
「このやりとりなに?噂通り変わってるってなに?」
旦那はその噂というのがよく覚えてないのか
「お母さんが独り身なのに結納とかいうからそんなこと言った」
と答えた。
でも、わたしはきっとその噂というのは
顔合わせすると決まったとき
親のみの顔合わせだったが
うちは兄は呼ぶといったからそのことだと思う。
うちの親がうまく話せないから
よく話せる兄もいれば話しやすくなるだろう、という考えだった。
2番目の姉はそのとき「えーお母さんがかわいそうだから、わたしも行く」
と言っていたそう。
結果的には、1番上の姉が全員会わないといけないとダメと言ったから
全員顔合わせをしたけれど、
そのときの内容じゃなければ
噂通りという言葉にならないからだ。
メールの話題は結納のことなのに
噂通りとなることはおかしかった。
前々からなにか思ってなければ
噂通りにはならない。
そして、わたしはれんたへ言った。
「前あったことをごちゃごちゃ言いたくはないけれど、なんで義母はわたしにだけでも謝ってこなかった?謝る機会がいくらでもあったのに!」
れんたは泣いた。
「俺もあの時は本当に悩んだんだよ。うちが全部悪い。お母さんには謝らせるとか考えてはなかった」
わたしは謝らせるってなんだろうと思った。謝らせるんじゃなくて、義母本人が謝なきゃって思って自ら謝ってくるもんじゃないの?と思った。
れんたは「もう会わなくていいし、俺も会わないし連絡もとらないし、子どもの写メも送らない」
と言った。
れんたは本当に全く実家へ帰らなくなったし、
家族と連絡もとらなくなった。
それから数ヶ月してたまたま
SNSを見ていると、
2番目の姉が友達の投稿したSNSへ
コメントを書いてあるのを見つけた。
そのコメントは
「嫁に弟とられた。くそ」
「うちの弟、嫁にとられたからダメ!育て方間違えた」と。
取られた、ってなに?なんでも嫁のせい?と思った。
SNSに書くなんて、なんて子どもなんだろうと思った。
心からイライラした。
けれど、もう会ってもないし
会う気もないし
もうこれでいいや、と思った。
言いたい奴には言わせとけ。
はいはい、どうせ嫁が悪いですよー
そちらは全く悪くないですもんね^ ^
そんなふうに強気でいることにした。
何度か義家族のことが嫌になって
離婚しようとれんたへ言ったことがある。
れんたは嫌だと言った。
けれど、
この先のことを考えると億劫できつかった。
二度と会わないなんて出来ることなのだろうか?
冠婚葬祭は?義母が死んだら?
考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうだ。
れんたのことは好きだけど、
こんなに義家族が嫌だから、、
ほんとは仲良くしたかった、
可愛がってほしかった、、、。
けどもう無理だから、、
ただ1つだけ心強いことは
れんたが味方でいてくれてること。
そこは救い。
義母の味方する旦那もよくいると聞く。
そんな中れんたは味方でいてくれる。
でも、もういつかは、、
離婚をしたい。
離婚をすればあっちの家族も喜ぶことでしょう。
今は疎遠状態だけれど、離婚してれんたが義実家へ戻れば喜ばれるだろう。
なにがわたしにとって、息子にとって
れんたにとって
1番いいのか、
どれがずっと幸せになれる方法なのか
わたしは今日も悩みながら生活している。
読んでくださり、ありがとうございました。
いろんな思いが募りに募って
残しておきたくて書かせていただきました。
人それぞれいろんな意見があると思いますので
これを読んで気を悪くされた方、すみません。
もしあのときあんなことがなければ
楽しい毎日を送っていたのかな?と
義家族とうまくいってる想像をするときがあります。
あのときへ戻れるならば戻りたい、
やり直せるならやり直したい、
でも、もう今更できなくて、
全てはあのときから崩れ始めてしまいました。
この話をもしも義家族が見るときがあったら、
もし読んだら、
感想を聞きたいですね。
「これを読んでどう思われましたか?」
読んでくださった方、ありがとうございました。