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よんワン

「ご、ごめんね、神無月くん……」


 ピスタちゃんのリードを引っ張りながら歩く俺に、如月さんが耳元でささやくように謝ってきた。


「いえいえ、くじいた足で無理に歩くとクセになっちゃいますからね。こんなのお安い御用ですよ。体力には自信がありますから」

「重くない……?」

「あははは、巨大なダンベルを担いでると思えば大丈夫っす」

「………」


 あ、ヤベ―! と言ったあとで気がついた。

 全然フォローになってねーよ、俺のバカ!


「ああ、違う、違うんです! ええと、俺、中学高校大学と陸上やってて……。ダンベル担ぎながら走りまわってたりしたことあって……。別に如月さんが重いとか、そういうんじゃないです! むしろ、ダンベルの方が重いっていうか。50㎏以上ありましたし……」

「50㎏……」


 ああああ、俺のバカバカバカバカ!

 どんどんドツボにハマっていく。


「と、とにかく! ダイジョブですから! 如月さんはその子犬をしっかり抱いていてください」

「……はい」


 そう返事をしたあと、突然ピスタちゃんがリードを引っ張った。


「うわっ!」

「ひゃ!」


 いきなりの展開で、急にもたれかかってくる如月さん。

 俺は「ひゃう」と心の中で声をあげた。


「ちょ、ピスタちゃんっ、ど、どうしたの?」

「ウー……キャン!」


 なんだろう、ピスタちゃんの様子がおかしい。

 すると、如月さんが言ってきた。


「神無月くん、ピスタチオたぶんヤキモチ焼いてるんだと……」

「ヤ、ヤキモチって……え、俺に……?」

「キャン!」


 そ、そうなのか?

 犬って飼い主に忠実だと思ってた……。

 ピスタちゃんは肯定も否定もせず、ずんずん進んで行く。


 ど、どっちなんだ!?


 ううむ、と悩みながらも進んで行くうちに、如月さんがポツリとつぶやいた。


「私、こうしてオンブされるの、父親にされて以来です……」

「へ、へええ」

「堅物な父親にどうしてもおぶって貰いたくて……わざと転んだフリしたりして……」

「あははは、けっこう甘えん坊だったんですね、如月さんって」


 おんぶしてー。とねだる幼少時代の如月さんを想像し、なんだかニヤけてしまう。


「あったかい……お父さんみたい……」

「へ!?」

「ひゃっ!」


 思わぬ言葉に、俺は思わず如月さんを落っことすところだった。


「あ、あっぶね……!」


 慌てて体勢を整えて、よいしょと如月さんを背負い直す。


「もう、びっくりしたー。変なこと言わないでくださいよー」

「ご、ごめん……別に変な意味じゃ……」


 背中の上でドギマギしてるのを感じて、俺もなんだかドギマギし始めた。


「………」

「………」


 なんとなく気まずくなりかけたところで、突然ピスタちゃんがリードを引っ張り出した。

 俺たちに「はよ! はよ!」と言っている(ように見える)。


「と、とにかく……急ぎましょう!」

「そ、そうですね……!」


 俺はピスタちゃんに連れられて、如月さんのマンションに向かった。



     ※



「ここ……ですか?」


 如月さんを背負う俺の目の前には、巨大なマンションがそびえ立っていた。


 で、でけえ……。

 これでもか、というくらいの高層ビル。

 首を真上にあげなければ、最上階まで見ることができない高さだった。

 俺の木造2階建てアパートとは大違い……いや、桁違いだ。


「ここの……何階ですか?」

「えっと……十五階……」


 ふごおおお!

 マジか。

 たぶん、その部屋の家賃だけで俺の一ヶ月分の給料が飛ぶ。


「ど、どうやって入るんです?」

「えっと、そこで部屋番号入れて……パスコードを……」


 マンションの入り口の自動ドアの横についている、タッチパネル式の機械。

 なるほど、あれがロック解除か。


 操作しようとした矢先、正面扉が開き、中からスカーフを巻いた小柄な中年女性が現れた。


「あら? あらーっ、芽衣ちゃんどうしたのーっ?」


 なんとなくセレブっぽい人だが、なんだろう、すごく庶民的な感じの話し方だ。


「おはようございます、弥生さん……ちょっと足を挫いて……」


 如月さんが説明しようとすると、中年女性は俺を見ながら「あらあらあら」と笑った。


「そんなカッコいい男の子の背中に乗っちゃってーっ……ウフフ、やだわ、こんな朝から……」


 か、かっこいい……?

 誰が?

 ピスタちゃんが?

 俺のこと……じゃないよな?

 今まで言われたことないし。


「いや、あの……」


 如月さんがしどろもどろし始めると、中年女性はニヤニヤしながら言う。


「いいのよ、私だって若いころはもっとキワドイ事してたから。むしろ貴方にしては頑張ったほうね。いつも仏頂面で彼氏とか出来るか心配だったけど……」


 ぶほおおっ!?

 ちょい待て!

 な、な、な、何を言っておられる、おぬし!


「まあ年頃の子なんだし……彼氏の一人や二人居るわよねー? じゃあ頑張ってね。オバちゃん応援してるわ」


 ど、どうも……と如月さんと一緒に会釈して中年女性を見送る。

 ヤバい、なんだかすごく勘違いされてしまった……。


 少し気まずい空気の中、俺は如月さんの部屋番号を入力し、マンションへと入って行った。



 十五階の如月さんの部屋の前まで来ると、ピスタちゃんが急かすようにくるくる回っている。

 如月さんがポケットから鍵を出して開錠し、中に入った。

 間取りはわからないが、とりあえず如月さんを下ろさないと。


「おじゃましまーす」

と言いながら、中に突き進もうとすると、如月さんの素っ頓狂な声が響き渡った。


「きゃ、きゃんなづき君!」

「え!? あ、はい」


 誰だ、きゃんなづきって……。


「ピ、ピスタチオをお風呂に入れてもらっても構いませんでしょうか」


 な、なぬ!?

 聞き捨てならないセリフに心が弾む。

 お風呂……。

 なんと甘美な響き……。

 カッポーンという効果音が脳内に響き渡る。


「ほ、本当ですか!? 俺がやってもいいんですか!?」


 ヤバい、一度やってみたかったんだ。

 犬が身体を洗ってもらいながら「もへら~」となっている動画をよく見てたから。


「あ、でも子犬はどうしますか?」

「いきなりお風呂もアレだから……とりあえずご飯あげて、蒸しタオルで拭くぐらいにしとくね。元気が戻ってきたらお風呂に入れてあげればいいと思うし……」


 なるほど。

 さすがは飼い主さんだ。子犬の扱い方をよくわかってらっしゃる。


 それよりも、だ。


 まずは如月さんを下ろさないと。


「じゃあ、リビングってこっちですか?」


 なおも進もうとすると、如月さんが「ぎゃあ」と言いながら首を絞めてきた。


 ぐえ。


「か、神無月くん! えっと、その……ち、散らかってるから……し、下着とかで……」


 し、下着……!?


 下着と聞いて気が付く。

 そ、そういえば、ここって女性の部屋じゃないか。

 子犬のためとはいえ、何堂々と入ってるんだ俺。


 すべてを察した俺は、その場で如月さんを下ろした。


「じゃあお風呂場はそっちなんで……」と指をさす如月さん。


 うう、今さらながら、めっちゃ気まずい……。


「ピスタチオ、洗ってもらって」と言う如月さんに「キャン!」と鳴くピスタちゃん。


 なんだか、すごく嬉しそうだ。

 そうか、風呂が大好きなんだな、ピスタちゃんは。

 ふわふわしてきれいだもんな。

 きっと、毎日如月さんに洗われているに違いない。


 ピスタちゃんに促されるまま、風呂場に到着。

 おおう、女性の風呂場ってなんかドキドキするわ。

 いやいや、いかん。余計なことは考えるな。


 今はピスタちゃんをお風呂に……。


 見るとピスタちゃんが「はやくはやく」と言った目で俺を見つめていた。


 おう、待ってなさい!

 如月さんとまではいかないけど、全身全霊きれいさっぱり洗ってあげるから!


 子犬用の風呂桶があったので、そこにお湯をためてピスタちゃんを入れてあげる。

 そして犬用のシャンプーをかけて、ゴシゴシと丹念にマッサージを繰り返した。


 いいのか? これでいいのか?


 よくわからないまでも、洗い続けているとピスタちゃんが気持ちよさそうに「クウン」と鳴いた。

 ふおおおお、た、たまらん!


「あはは、ピスタちゃんー。ほらほら、気持ちいい?」

「キャン!」

 

 やっべ、超かわいい。鼻血でそ……。



 そのままピスタちゃんの身体を洗い、最後にシャワーで流してあげる。

 ぎゅっと目を瞑りながら洗われるピスタちゃん。

 て、天使だ……。


 きれいさっぱりきれいになったところで、俺はタオルを探す。

 しかし、どこにもなさそうだったので風呂場から声をかけた。


「如月さーん」


 するとすぐに如月さんがタオルを数枚持ってやってきた。

「あれ? 捻挫は大丈夫ですか?」

「はい、湿布を貼ったのでなんとか……」


 どうやら湿布を貼って応急処置をしたらしい。

 歩けないこともない……ようだ。

 よかった。

 この状態なら散歩は当分ダメだろうけど、日常生活程度ならまず大丈夫だろう。


 如月さんは微笑みながら言ってきた。


「神無月くん、ありがとう……リビングで待ってて。私、ドライヤーかけてるから」


 ドライヤーと聞いてピンとくる。


「あ、それも俺やりますよ。一回やってみたかったんです!」


 そう言って、如月さんがタオルでごしごし水分を拭きとったピスタちゃんを再び独り占め。

 むふふ、こういう口実を作って触れ合う機会をたくさん作っているのだ。

 そんなズルい考えのもと、俺はピスタちゃんをドライヤーできれいに乾かしてあげた。


 うんうん、大人しくて可愛ええのう。


 ある程度乾いたところで、ピスタちゃんが何かに反応したかのようにキッチンにいる如月さんにダッシュしていった。

 どうやら、ご飯のにおいを嗅ぎつけたようだ。

 パタパタと尻尾を振る姿がまた可愛らしい。


「はいはい、ゴメンゴメン。リビングでね」


 そう言いながら、リビングまでご飯を運んでいく如月さん。

 ピスタちゃんの分と拾った子犬の分が乗ったお盆で両手がふさがれている。

 ご飯のにおいに反応しているのか、はしゃぎまわるピスタちゃんと子犬。

 しかし子犬の方はまだそんなに上手く走れないようで、とてっと転んでしまった。


 ああん、もう!

 見てらんない!


 俺は子犬を抱えた。


「ありがとう」と如月さんがお礼を言ってくる。

 俺は「どういたしまして」と答えながら子犬をリビングまで連れいった。


 リビングはものすごくきれいだった。

 ゴミだらけで洗濯ものを畳まずに散らかしてる俺の部屋とは大違いだ。

 掃除機をかけたのは、いつだろう。

 如月さんのリビングはゴミもなく、洗濯物もきれいに畳まれてきちんと整頓されていた。

 すがすがしい空気のにおいまで感じる。

 きっと俺とは違ってきれい好きな人なんだろう。


「はい、お待たせピスタチオー」


 如月さんはそんなリビングの床にご飯を置くと「ヨシ」と言ってピスタちゃんにご飯を与えた。

 すると、すぐに子犬もやってきて一緒にご飯を食べ出す。

 ピスタちゃんは一瞬、ビクッと顔を引いたが、すぐに子犬と一緒に食べ出した。


 ふぐおおおお、た、たまらん!

 俺もその皿に顔を突っ込ませたい!


 そんなことを思っていたら、なんだか腹が減ってきた。

 そういえば、朝から何も食べていない。普段はシリアル食品ばかりだから、そんなにがっつり食べるわけではないが、それでも腹は減った。


 どうやらそれが如月さんにも伝染したようで、

「あの……、神無月くんはご飯どうするの?」

と聞いてきた。


「ええと、とりあえず家に帰って何か食べます」


 子犬が少し心配だが、あまりおいとまするわけにもいくまい。

 すると、如月さんが言ってきた。


「じゃあ、私なにか作ろっか? 簡単な物しか出来ないけど……」

「え、いや、そんな。悪いですよ」

「ここまで連れてきてもらったお礼だから!」


 言うなり、いろいろと準備を始める。

 意外と強引な人だ。

 でも、いいのか?

 無理矢理ついてきた(というか連れてきた)だけなのに……。

 しかし、ご馳走をしてくれるっていうのだから遠慮なくゴチになろう。

 それにこの世に生まれて24年。

 母親以外の女の人の手料理って、初めてだ。

 ちょっとドキドキする。


 そう思っていると、如月さんは髪をしばり、エプロンを引っさげて鍋を手にした。


 おお、なんだかすごく料理が上手そうなイメージ。

 ドキドキしながら見守っていると、如月さんは収納棚から二つの袋を取り出した。


「神無月君……チ○ンラーメンとサッ○ロ一番、どっちがいい?」


 インスタントラーメンやないかーい!

 いや、まあ、インスタントラーメン好きだけど!

 大好きだけど!

 でも初めての女性の手料理がインスタントラーメンって……。

 ていうか、エプロン着る意味ないよね。


 思わずきょとんと見つめていると、如月さんはハッとして口をおさえた。


「あ、ごめん……。もしかして……チャル○ラ派?」


 ちっがーう!

 チャ〇メラ、好きだけど!

 めちゃめちゃ好きだけど!


 アカン……。

 この人、超天然だ……。


「あ、じゃあ、チキ○ラーメンで……」


 そうつぶやくと、「なにぃ!?」という目で俺を見つめてきた。

 ダ、ダメなの……?

 如月さんはしばらくチ〇ンラーメンの袋を眺めると、なぜか頷いた。


「わかったわ。任せて! こう見えて私……インスタントラーメンにはうるさいから」


 そ、そうですか……。


 俺は嬉しそうに鍋に水を入れて湯を沸かす如月さんを冷静に眺めつつ、リビングにいるピスタちゃんたちに目を移した。

 この溢れんばかりに可愛い子犬たちは、ピチャピチャと音を立ててスープを飲んでいる。


 ふおおお、可愛いなあもう。

 一緒に飲みたくなってきてしまうではないか。


 うつ伏せに寝転がりながらピスタちゃんの食べる姿を見つめていると、いい匂いが漂ってきた。


「お待たせ、神無月君」


 如月さんが、キッチンからインスタントラーメンを運んでくる。


「あ、すいません……」


 見れば、それはそれは見事なインスタントだった。

 具材はなく、入っているのは麺のみ。

 なんとも質素というか味気ないというか……。

 いや、食べさせてもらう立場だから文句は言えないが。

 しかし如月さんの「ほら、おいしそうでしょ」というドヤ顔がなんとも言えなかった。


「いただきます」


 割りばしを受けとり、もらったチキ○ラーメンをすする。


「どう!?」

「はい、おいしいです」


 思った通りのお味です。


「そう? よかった。実はチ○ンラーメンは得意じゃなくて……。他のインスタントラーメンなら簡単なんだけどね」

 

 いやいやいや。

 チ○ンラーメンこそ簡単だろう。

 お湯を入れて3分待つだけだ。

 わざと言っているのだろうか……。


 モヤモヤしながら俺がズルズルとラーメンをすすっていると、その匂いにつられてピスタちゃんがクンクンと鼻をならして俺の側によってきた。

 そして前足を上げて「くれくれ」とねだる仕草をする。

 くうう、なんて可愛いんだ。

 しかしラーメンはあげられない。


 代わりに俺の指を差し出すと、案の定カプカプと噛んできた。


「ふおおおお、如月さん! たまんないッス!」


 俺が興奮しながらそう言うと、如月さんはちょっと不貞腐れながら

「神無月くん、ピスタチオにぞっこんね」

と言ってきた。


「え? ぞっこん?」


 如月さんは割り箸を握りしめながら「だって……だって……」とつぶやく。


「私も……神無月君の指ハムハムしたいのに!」

「は?」


 俺が怪訝な顔をすると、如月さんは「あ!」と言って

「な、な、な、何でもない! 神無月くん、おかわりは!?」

と慌てふためいた。


 なんだろう、おかずが欲しいんだろうか?


 俺は首を傾げながら「あ、大丈夫です」と遠慮しておいた。



 食事の後、ピスタちゃんと子犬はお腹がいっぱいになったのか、ごろごろと絨毯の上に寝転がっていた。

 か、かわいい……。

 天使の寝顔だ。


 あまりの可愛さに、思わず顔を隠してしまう。

 指の隙間から眺めると、ピスタちゃんが「ふああ」と大きなあくびをした。

 それにつられて子犬もあくびをする。


 ふあおっ!?

 なんだ、この可愛さは……。

 い、いかん!

 あまりに可愛すぎて、見ているだけで死んでしまう。


『白昼の悲劇! 24歳の男性、女性のアパートで悶え死に。原因は子犬か』


 なんて新聞の見出しに出たくない。 

 もっと可愛くないことを考えねば……。


 そう思っていると、如月さんがどこからともなくパンダのぬいぐるみを持って現れた。


「ピスタチオ、パンダさん」


 何やらニヤついてパンダを振っている。

 なんだろう、全然可愛さが感じられない。

 と思っていたら案の定、寝っ転がっていたピスタちゃんは突然飛び起きて警戒心むき出しの顔をした。


「ちょ、ピスタチオ! パンダさんだって」

「ウー……キャン!」


 牙を剥いて威嚇するピスタちゃんに、ほれほれとぬいぐるみを向ける如月さん。


 ……な、何してんの? この人。


 必死で興味を持たせようとぬいぐるみを振りまくる如月さん。

 しかし振れば振るほどピスタちゃんが警戒心むき出しの顔をして威嚇していく。


「ウー、キャンキャンキャン!」


 ほ、ほんとに、何してんの……?


 しばらく見守っていると、子犬のほうがパンダのぬいぐるみに興味を示してトコトコと如月さんに近づいて行った。

「おっ」という顔をする如月さん。

 どうやら子犬の方が興味津々だったようだ。

 子犬はフンフンと鼻を鳴らして、パンダのぬいぐるみの足をカプッとひと噛みした。

 如月さんはしてやったりという顔で声高に叫んだ。


「きゃー、痛いよー、パンダの足痛いよー」


 その声の高さに、子犬はびっくりしながら猛ダッシュで逃げていった。

「なぜ!?」という顔で唖然とする如月さん。

 俺は「ぶふっ」と吹き出してしまった。


「いやあ、如月さんって面白いですね」


 唖然とする如月さんに、俺は手を差し出す。


「ちょっと貸してもらっていいですか?」


 あ、はい、とぬいぐるみを受け取る。

 俺はパンダのぬいぐるみを絨毯の上に置いて、クイ、クイとぬいぐるみの手だけを動かした。


「ピスタチオちゃん~。僕、パンダのガンガンって言います~。よろしく~」


 こう見えて俺はかつてパンダの着ぐるみを着てバイトをしたことがある。

 集客の要ともいえる着ぐるみ作戦。

 大事なのは人が動いてる(動かしてる)とは思われないことだ。

 あくまで自然に。

 本物のパンダがいるかのように。

 まあ、あまりに似すぎていて逆に客が逃げてしまい、クビになったわけだが。


 しかし、その時の経験を思い出しながら、俺はパンダのぬいぐるみを動かし続けた。

 まずは手だけを振って仲良くしようねアピール。

 そして、あまり気のない素振りも見せつつ、チラ見させる。

 興味のないフリをすると、意外と食いついてくるものだ。


 そんな昔の経験が功を奏したのか、「ウー」とうなっていたピスタちゃんが警戒心を解いて近づいてきた。

 そしてそのまま「キャン!」と叫びながらパンダのお腹に突進。


 ふふふ、我勝てり。


 俺は「あーれー」と言いながらぬいぐるみを寝かせると、そのままピスタちゃんに差し出した。

 するとピスタちゃんは甘えるようにパンダを枕にし出す。それにつられて、子犬もパンダに近づいていくと、そのお腹に顎を乗せた。


 な、な、なんじゃこりゃあ!!

 萌えまくりの光景じゃないか!!


「た、たまんないっすね」


 思わずよだれが出てしまう。


「そうだね……」


 如月さんもそう言って「もへら~」とした顔で写メを撮っていた。

 なるほど、この光景を残したかったのか。

 おぬしもワルよのう……。

 あ、俺も写メ撮らなきゃ。



 その後、まったりしている子犬たちを眺めつつ、如月さんと他愛もない話で花を咲かせていた。

 なんでも、如月さんはレクセクォーツという大手企業の支店営業責任者という肩書を持っているらしい。

 すげえ、キャリアウーマンじゃないか。

 新たに新設されたペット部門というところに抜擢され、その一環でピスタちゃんを飼いはじめたらしい。

 ペットを飼うってすごく大変なのに、尊敬するわ。


 俺も自分の職場のことを伝えた。

 カタコルという本屋で働いていること、店舗の大きさの割に従業員が少なくて毎日が忙しくて大変なこと、そしていつもデカい牛みたいな店長にどやされていること。

 そしてつい先日も、入り口に犬のコーナーを作ろうとして怒られたことなどを伝えた。


「あの本屋の犬コーナーって……神無月くんが作ったの!?」

「そうですよ。可愛かったでしょ? 渾身の力作です! でも、初めてまともに見てくれたのが如月さんだったんですよね~」


 思い出される。

 誰も見向きもしないコーナーで、如月さんだけが俺の作った売り場を見てくれたことを。

 しかも、俺が仕入れた本を買ってくれたことも……。

 そして、犬の雑誌と一緒にBL本も……。


「あ……」


 俺は、なんだか思い出しちゃいけないことを思い出してしまった。


「そういえばあの時……」

「か、神無月君!」


 突然、大声をあげる如月さん。


「は、はい!?」

「お腹すいてない!?」

「え、今、食べたばかりですけど……」

「あ、そ、そうね……。あはは。えーと、じゃあ、ゲームしない!?」

「ゲーム?」

「そう、ゲーム! 私、ゲーム好きで好きで……」

「いいですね。俺も好きです。どんなのあるんです?」

「えっと……。ときめきメモ……ああああ! やっぱいいですいいです! 二人でできるの、ありませんでした!」


 サッと棚から見えたのは、なんだか女の子向けの恋愛シュミレーションゲームだった気がしないでもなかった。すぐに隠されたからわからないが。


「じゃあ、映画! 映画でも見ませんか!?」


 そう言って、別の棚の引き戸を開けると、怪しげなタイトルの本がずらりと並んでいた。


「ひいっ! こっちじゃなかった!」


 バタンと勢いよく引き戸を閉める如月さん。

『筋肉質な君とランデブー』という、なんだかすごそうなものがチラッと見えたが……。


「あははは、こっちでした~」


 そう言って、別の引き戸を開ける。

 おおう、アニメばっかり。

 マニアックな人は好きだけど、どうしてこうオタクって自分の趣味を隠したがるんだろう。


 すると、トテトテとピスタちゃんが近づいてきて「キャン!」と声をあげた。


「ん?」


 ピスタちゃんが吠える先。

 そこには、先日買ってもらった犬の雑誌と、1冊のBL本が……。


「あ……!」


 慌てて如月さんがひったくるようにその本をわしづかむと、おもむろに背中に隠した。

 は、はや……。


「ど、どうしたんですか?」


 尋ねると、如月さんは笑いながら答えた。


「い、いえ……会社の資料だったもので……アハハ……」

「『上手な君の躾け方』ですか?」

「………」


 あれ?

 急に黙ってしまった。

 どうしたんだろう、と思っていると如月さんはそのまま、バックに高速移動。


 そして壁に顔を押し付けてふるふる震え出した。


「ド、ドウシテ……知ッテルンデスカ……」


 なんでカタコトの日本語なんだ。


「いやだって、この前買ってましたよね、その本。まがりなりにも本屋の社員なんで、買ってもらった本のタイトルくらいは覚えてますよ」


 ひいええええ、と顔をおさえる如月さん。

 ほ、本当にキャリアウーマンなのだろうか……。

 如月さんはそのままグリグリと頭を壁に擦り付けていく。


「あ、穴があったら入りたい……」

「な、何してんすか! ハゲますよ! だ、大丈夫です! 俺、そういうの気にしませんから!」


 むしろ、気にされるほうが気を使う。


「ハゲてる女でも……?」

「いや、そっちじゃなく……BLとか、です。如月さん……その本、俺にも読ませてください」


 チラリ、と俺を見る如月さん。

 大丈夫ですよ、と頷く俺に安心したのか、「はい」とその本を手渡してきた。

 渡されたその本の表紙は、見事なまでのBLっぷりだった。

 キラキラとまぶしく輝く美男子が、もう一人の美男子の唇を無理やり奪おうとしている、なんともいえないシーンである。


 正直、俺はBLというものをあまり読んだことがなかった。


 けれども、昨今のBL本は異様な人気を誇っている。

 今や若い女性だけでなく男にも人気があるほどだ。

 こちとら、曲がりなりにも本屋の店員だ。

 今後の参考のためにも、という思いで俺はページをめくった。


「………」


 こ、これは……。


「如月さん……」

「はい!」

「ごめんなさい、俺には無理でした!」

「ふええ!?」


 本を差し出す俺に、ピスタちゃんが「クウン」と悲しそうに鳴いた。



最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございました。

一応ここで完結となっております。

続きはぜひ、皆様の脳内で(笑)

機会があったら続編を載せるかもしれませんので、その時はまたよろしくお願いします。


そして最後に。

こちらは神無月視点になります。

同じく如月さん視点もございますので、ぜひご覧ください。

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