ひととき
遅くなって申し訳ありません。
************で目線が変わります。
朝起きた時、私は大きな寝台のど真ん中に陣取って大の字で寝ていた。淑女らしからぬ事態にぞっとしたけれど、あくまで平静を装って状態を起こす。
こほんと一つ咳払いをしてなかったことにした私は、鋭い何かを感じて顔を上げた。顔を上げた先には皇帝陛下がいる。どうやら感じた何かとは皇帝陛下の視線だったらしい。
優雅にソファに腰かけ、なぜだか本を片手に私を眺めている。ものすごい仏頂面で、不機嫌なのがありありと伝わる。その瞬間私は察した。おそらく私の絶望的な寝相の悪さが皇帝陛下の眠りを妨げてしまったのだろう。
「へ、陛下…。申し訳ありません…っ!私が陛下の安眠を妨げてしまったのですね…っ」
その場に正座し、頭を下げた。けれど特に返事もなくて、許される気配もない。
そういえば私が今いるのは寝台の上で、私が今身を包むのはうっすい寝衣だった。
絶望感に打ちひしがれた。これでは反省のはの字も伝わらないのではないだろうか。朝から見たくもないものを見せつけられて寝台も占領されたのだ。不機嫌にならないはずもない。傍にいてほしい男はここにはいないし、いらない嫁は近くにいる。これはもう神様だってお怒りになるほどにひどい事態だろう。
「ほ、本当に‥‥‥申し訳ありませんでした。どのような罰でもお受けいたします…。どうかこの身一つでお許しくださいませ…っ」
寝台から下り、土下座なるものをした私に、陛下はぎょっとしたように声を発した。
「もう良い…。……それよりも着替えてくれないか…?それでは風邪をひくし、中が見えてしまいそうだ。今侍女を呼ぶ」
最後の方はきちんと聞いていなかったと思う。結局、(自分でやるべきことにもかかわらず)陛下に侍女を呼ばせてしまい、(自分が出ていくべきなのに)陛下に出て行かせてしまった自分自身にめまいがした。私はなかなか都合の良い相手なはずだからいきなり死刑なんてことはないだろうけれども。国に害が及ばないとも限らないのだ。それよりも何よりも、不本意な嫁がさらに陛下にいやな思いをさせてどうするのだ。
しっかりしろ!そう自分に喝を入れて、私は侍女のみなさんに着替えを手伝ってもらった。
なんか皇妃(偽物だけど)のドレスにしては質素じゃない?
そんなことを思いつつ、私は簡素なワンピースを見下ろした。動きやすくて、結構好みで、なんだか少しうれしかったけど、きっと穀潰しにはこれで十分だということだろう。
妙に納得がいって、私はまた自分に静かに喝を入れた。偽皇妃の任、頑張れ、私!
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皇帝陛下が自分のミスに気付いたのは朝目が覚めてからだ。5日も前から、今日は視察に行くことが決まっていた。彼女が嫁いでくる日程も決まっていたから、デートも兼ねて共に行く予定だった。ところが初夜における予定外のやり取りに想像を絶するほどのショックを受けた皇帝陛下はそれを伝えることを完全に忘れていた。
伝えなければ。けれど昨日の今日でデートに誘うような真似はどうなのだ?いや、しかしこれは視察。あくまで公務の一環だ。だが、下心がないわけではない。しつこいと思われないだろうか…。
読みかけだった本を手にするも集中することなど当然できず、思い悩み、眉間にしわが寄る。それを目撃されたなど夢にも思わない皇帝陛下は朝起きてからの妃の言動に再び驚かされることとなった。
「へ、陛下…。申し訳ありません…っ!私が陛下の安眠を妨げてしまったのですね…っ」
ああ、起きてしまった。寝ぐせで髪が少し乱れていても愛らしい…。
彼女に寄こしていたぶしつけな視線を本に降ろした後、さりげなく横目で確認し、緊張でいっぱいになった皇帝陛下は残念なことに雑念だらけで妃の言葉など耳に届いてすらいなかった。公務に誘っても良いか、けど断られたらショックで倒れる…などとひたすら迷走していたのである。
「ほ、本当に‥‥‥申し訳ありませんでした。どのような罰でもお受けいたします…。どうかこの身一つでお許しくださいませ…っ」
妃が激しく勘違いしているにもかかわらず、皇帝陛下にはやはり彼女の声など聞こえず、緊張から直視することも叶わず、本に集中しているフリをした。
朝から寝台に正座する彼女が愛くるしいだとか、やはり美人だとか、デートに誘っても引かれないだろうかとか、思考は四方八方に飛んでいくのだ。彼女の言葉に耳を傾ける余裕はつゆほどもない。
けれど、寝台から下り、土下座なるものをした妃に、陛下はぎょっとした。
落ち着け。見るな。昔よりも体のラインが女性らしくなっただとか初めて明るいところで見た寝衣が妙に色っぽくて似あってるだとか考えるな…。姫も姫だ。なぜそのような態勢になる。気のない男にそのように隙を見せてどうするのだ。ああ、動くな、中が見える。いや、動かなくても中が透けているんだ。自覚してくれ…。
緊張により震えそうな声も、浮ついた気持ちが出そうな軽薄な声も押さえつけるように皇帝陛下は低い声で言った。
「もう良い…。……それよりも着替えてくれないか…?それでは風邪をひくし、中が見えてしまいそうだ。今侍女を呼ぶ」
思ったより低い声が出たがこれで自分の心が悟られることもないだろう。そんなことを考えながら皇帝陛下は侍女を呼んだ足で部屋から出て行った。
いったん落ち着かねば、誘うに誘えないだろう。そう言い訳を自分にし、静かに執務室へと向かったのだ。