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「イチコの哲学」  作者: 京衛武百十
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「シャレにならない(後編)」

それは、現国の干早田暁樹ひそうだあつきでした。彼が女子更衣室の前に現れた時、私は何となくピンと来てしまった気がしました。何しろ彼は、女子からは<悲愴>ってあだ名されるくらい、女子を見る目が危ないっていう評価が鉄板の、嫌われ教師ワースト3に入る人物だったからです。しかし、現場を押さえなければ確定的な証拠は得られません。


私達は念の為により犯人からは見付かりにくいようにと、一年用の女子更衣室がある一階ではなく、見通しもいい二階の渡り廊下のところから監視していましたが、さらに身を隠して様子を窺います。すると干早田暁樹は、きょろきょろと辺りを窺う様子を見せた後、思った通りに女子更衣室のドアを開け、中に入っていったのです。この学校では、人命にかかわるなどのよほどの緊急事態でもない限り男性教師が女子更衣室に入ることは認められていません。それは必ず女性教師か、女性職員が行うことと決められているはずです。男性教師である干早田暁樹が女子更衣室に入ることは、不法侵入の現行犯でもありました。


それを確認した瞬間、突然カナが走り出しました。まさかと思いました。私達はあくまで犯人が誰であるかということを確認し、可能であれば犯人が女子更衣室に出入りするところをカメラで押さえればそれで目的は果たされるのですから、あえて危険を冒す必要はありませんし、私もさすがにそこまでのことは想定していませんでした。


なのにカナは、渡り廊下から更衣室のある校舎に入り、階段を駆け下ります。慌てて私達もカナを追いかけました。できれば止めたかったですけど、到底間に合いませんでした。


「先生、探してるのはこれか?」


私が更衣室に駆け込んだ時には、すでにカナは干早田暁樹と対峙し、盗撮の証拠品であるカメラを突き付けていたのです。


なんて無茶なことを!。これでもし彼が逆上し襲い掛かって来たりしたらどうするつもりなのでしょう?。蛮勇にも程があります。私は次に起こるであろう事態を想像し、体が緊張するのを感じていました。けれど、


「あ、いや、違うんだ…これは、その、あの…」


私の予想に反し、干早田暁樹はただオロオロとするだけで飛び掛かったり逆上したりすることはありませんでした。拍子抜けしたと言ってもいいくらい、私はその無様な姿に心底呆れていました。その時あることを思い付き、カナの横に立ちました。そしてスマホのカメラで彼の姿を写真に収め、言いました。


「干早田先生。お話があります。私達と一緒に総合自習室に来てください。断っておきますが、あなたが女子更衣室に入っていくところもカメラで押さえてあります。私のスマホはクラウドサーバーと常に同期させてますから、もしこのスマホを奪って壊しても写真も動画も消せません。クラウドサーバーにはパスワードも設定していますから、パスワードを解析した上でアクセスして消すような時間もありません。なのであなたにはもう言い逃れする方法はありません。大人しくしてもらえますね?」


反撃を考えても無駄なことを徹底的に思い知らせるために、私は容赦なく告げました。すると干早田暁樹は見た目にも意気消沈し、うなだれて立ち尽くすだけでした。もっとも、実はクラウドサーバー云々の話は口から出まかせだったので、開き直られたり本当にスマホを奪って壊されたりしてはマズかったのですが、思った以上に上手くいきました。カナの早まった行動も、怪我の功名と言えるかもしれません。


ただ、この時、うなだれる干早田暁樹を見詰めるカナを何気なく見た時、その、本当に汚く下劣なものを見るような侮蔑の視線には少し驚かされましたが。彼女もこんな表情をするんですね。


とにかく、私達は干早田暁樹を伴って、図書ホール一階の総合自習室へとやってきました。途中で逃げられたり飛び掛かられたりしないよう、私とイチコが前、カナとフミが後を歩き、しかも常に数メートルの間隔を保ちながら。しかし干早田暁樹は完全に観念したのか逃げる様子も暴れる様子もなく連行されてくれました。


総合自習室に着いた私達は、思った通り個室が空いていることを確認して、干早田暁樹と私とカナとイチコが同じ個室。フミには携帯で110番をコールする用意をした状態で、隣の個室に待機してもらいました。もし干早田暁樹が暴れるようなことがあればすぐに電話してもらうためです。


個室と言っても、空間が区切られていてある程度外の音が遮られるというだけで、全面ガラス張りの周囲からは丸見えの小さな部屋ですが。本来は四人くらいの小グループで作業をするための部屋です。ここなら、図書ホールにいる生徒の視線もありますし、同時にこちらの声は外には漏れにくいという、非常に都合の良い部屋でもありました。


干早田暁樹を座らせ、その反対側に私達三人が座り、スマホの録音アプリをオンにし、問いました。


「干早田先生、あなたが犯人ですね?。」


「…はい」と、彼は呆気なく認めました。


その後、どのようにして女子更衣室へ侵入し、カメラを仕掛たのかを詳細に本人に語ってもらい、カメラに映ったイチコへの謝罪をさせ、イチコに教頭先生を呼んできてもらって、教頭先生の前で改めて経緯を説明しました。当然教頭先生は驚き、校長に報告する為に干早田暁樹を連れて行ってしまいました。そこから私達は、担任を通していろいろと事情を聞かれ、校長先生とも話し合いの場を持ちましたが、干早田暁樹とはもう顔を合わすことはありませんでした。


それからどうなったのか結論から申し上げると、干早田暁樹については、本人が非常に反省している様子であること、イチコに対してすでに謝罪したこと、他に余罪が無かったらしく今回が初めてであったらしいということから、教育委員会とも協議したうえで事件にはせず、二度と同じようなことはしないという念書を書かせた後に自己都合による退職という形に落ち着いたのでした。


正直申し上げて甘いと私は思いました。もっとしっかり罰してやるべきだと思いました。だけどこれが表沙汰になったら、きっとマスコミがハイエナのごとく押し寄せて、被害者であるイチコに対してもメディアスクラムによる取材攻勢をかけるでしょう。昼となく夜となく、イチコの家にまで押しかけて根掘り葉掘り訊き出そうとするに違いありません。それは、イチコとイチコの家族にとって今回の事件の実質的な被害よりもはるかに大きな精神的ダメージになることが容易に想像できました。


学校内で起こった事件について、よく学校側が『被害者への影響に配慮して』みたいな理由で公にしないことがあるようですが、これまで私はそれを、不祥事を公にされたくない学校側だけの都合だと思っていました。しかし、現に身近でこういうことが起こると、騒ぎが大きくなることによる二次被害が確かにあるということを実感させられました。


だから今回だけは、干早田暁樹が二度と事件を起こさないという大前提はありますが、あえてこのまま幕引きにするという選択もありなんだと思いました。


そして当のイチコはと言うと、事件の翌日にはもうそんなことなんてなかったみたいに普通にしていました。今回のこともお父さんに話したと言ってましたが、実質的な被害が無かったことを知ると『そうか、大変だったな』の一言で済ませてしまったそうです。イチコもまた、それで十分のようでした。


それは、私には到底理解できない感覚でした。だけど、イチコ本人を見ていると、そういうのも別に間違いではないかもしれないと思えてしまうのがまた、不思議で仕方ありませんでした。フミやカナに訊いても、「ま~、それがイチコですから」と言うだけだったのです。


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