部室のお人形さん
懐かしい。
学校の敷地内に入り、そう感じた。
運動部のかけ声、足音、吹奏楽部の少したどたどしい演奏。
ここで生活していたのが、ほんの数年前のように感じる。実際は、10年以上経っているのだが。
ここは、私の母校。昔から『そこそこの進学校』で、文武両道を売りにしている。昨年、私の娘もこの高校を受験し、なんとか合格してくれた。
今日は、その娘に頼まれて、部活で使う道具一式を、懇談の前に部室棟に届けに来た。
何度か補整工事を行ったようで、外装が変わっている所もあるが、建物自体はそのままだ。
部室棟の下まで行くと、娘が待っていた。
「あ、お母さん、ありがと~!」
「ったく、高校生にもなって…」
「えへへ、ありがとう。お母さん大好き!」
「こんな時だけ、虫の良い…」
と言いつつも、顔が少しにやけてしまう。流石、私のことをよく分かっている…。そろそろ子離れしないと…。
「部活は?まだ、始まらないの?」
「うん。体育館の順番待ち。みんなのんびりお弁当食べたり、宿題したりしてる。」
へぇ、そっかと軽く返して尋ねた。
「今、部室に誰かいる?」
私が尋ねると、娘は不思議そうに言った。
「いや、いないけど?どうかしたの?」
「なら、部室、見たいなぁ。」
久しぶりに学校に来て、なんとなく見たくなったのだ。
「別に良い…と思うけど、私が着替え終わるまでだよ?」
「はぁい。」
娘に続いて、階段を上る。部室棟2階の一番奥。そこが、バレー部の部室だ。私は高校時代、バレー部だった。そして、娘もバレー部に入った。大会の応援に行くと、たまに懐かしい顔に会えるのが嬉しい。
少し軋むドアを開け、中に入ると、部室独特の香りがした。汗と、様々な制汗剤の香りが混じったような。『匂う』というよりは『香る』程度だが、窓を開けてもなかなか取れなかったのを覚えている。
「懐かしいなぁ。」
そう呟き、辺りを見ていると、娘が言った。
「ごめん、ちょっと窓開けて。 」
「はいはい。」
窓の方に行く。 そこに、人形が置いてあるのに気が付いた。
「あ、これ!」
ん?と、娘が振り向く。
「お母さん、それ、知ってるの?」
「えぇ。私の頃もあったわ。倒したら駄目なんでしょう?」
「うん、気を付けてよ。」
「分かってるって。」
ただ、
「新しくなったみたいね、この子。」
私の記憶に有る人形は、 もっと古くて、髪はボサボサで、右腕がうっすらと青く変色しており、薄気味悪いものだった。 今、目の前にあるこの人形は、左腕に小さなシミがあったり、埃をかぶり薄汚れている程度で、 比べ物にならない程、まだ綺麗だった。
名前は、そう、確か…
* * *
『タエコさん』というその人形は、窓辺に足を投げ出すような形でいつも置いてあった。
倒すと、練習中に怪我をするだとか、レギュラーから外されるとか、試合でミスして負ける、といった、ジンクスめいた噂があり、そんな馬鹿なと思いつつも、誰も近寄ろうとしなかった。
私は中学生の頃からバレー部だった。その時に仲良くなった百合と、同じこの高校に入り、そのまま一緒にバレー部に入った。
練習がキツくて辛いときもあったが、『仲間と一緒に』、とても充実した日々、青春していたと思う。
あれは確か、2年のある冬の日だった。
練習が終わり、部室で着替えているとき、誰かが当時流行っていたバンドの話をし始めた。話が弾み、着替え終わった後も、百合と私を含む5人ほどが残った。その内、私たちはそのバンドの真似をして遊び始めた。盛り上がり、暑くなってきたので窓を開けた。
それがいけなかった。
ボーカルの真似をしていた百合が、最後のキメのジャンプをした。その足元に、ボールが転がっていた。ボールで足をひねり、そのまま後ろへ―――開けられている窓へ。
一瞬のことだった。百合と目が合った。何が起きているのか分からない、と言う顔をしていた。百合がこちらへ伸ばした手は宙を掴み、そのまま窓へと吸い込まれていった。『タエコさん』と共に。
あまりのことに茫然となった。
だがすぐに、誰かが言った。
「せ…先生よばないと!」
その声で我に返った。二人が職員室に走っていった。私は、窓辺に駆け寄る。
「百合!」
下を見ると、百合は雪の上に落ちていた。私ともう一人は、外へでて、百合の所へ。
その雪は、ちょうど朝生徒の一部と職員が除雪し、積み上げたものだった。私たちは雪の上によじ登る。
「百合!百合!」
「…うっ…」
意識は有ったが動けないようだった。
その内先生が来た。すぐに救急車も呼ばれ、百合は病院へ。雪の上には、百合と一緒に落ち、下敷きになった『タエコさん』が残されていた。
先生に事情を話し、帰るように言われ、家に着いて少し後、百合の母親から電話が入った。
落ちた衝撃で混乱し、動けなくなっていただけで、今はピンピンしている。ただ、大事をとって、精密検査を受けるよう勧められたので、2・3日入院する、と。
面会は可能だと聞いたので、翌日、見舞いに行った。
「…大丈夫?」
なんと声をかければ良いのか分からず、出てきた言葉はそれだけだった。
「…うん…。」
そのまま会話が止まる。四人部屋の病室。カーテンを閉めていたため、その空間には二人きりだった。沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは百合だった。
「あ…のさ…」
「うん?」
しかし、視線をさまよわせ、口ごもる。
「どうしたの?何処か痛いの?」
「違う…!」
また沈黙。何か考えている様だったので、私は黙って待つ。
どれくらい経ったか。百合は、意を決したようにこちらを見た。
「あのさ…私、『タエコさん』と落ちたよね…?」
「…うん。」
「っ!」
百合は青ざめた。ジンクスのことを気にしているのかと思い、咄嗟にフォローした。
「大丈夫だよ!あんなの唯のジンクスだよ!嘘に決まってる!」
しかし、そうではなかったようで、首をただ、ぶんぶんと振った。
「そうじゃない、そうじゃないの…これ、見て?」
左の袖を捲り上げた。肘の少し上の辺りに痣ができている。
「…どうしたの?それ…」
「…このこと、誰にも言わないでね?」
そう言うと、百合は捲し立てるように続けた。
「落ちる時にさ、『タエコさん』に当たったじゃない?私の方が重たいから、私が先に落ちるはずだったの。実際、ほんの一瞬だったけど、左側に『タエコさん』、見えたんだよね。でも、自分が落ちてるって、分かった時に左腕を、物凄い力で引っ張られたの。で、痛いって思ったら雪の上に落ちてた。」
ふぅ、と息をつき、私を見た。
「ねぇ、『タエコさん』、何処に居た?」
「…百合の…下に…雪と百合の間に…居たよ。」
私は百合と目を合わせることができなかった。
「そんな顔しないでよ。」
優しい声だった。そろりと見上げる。百合は、何故かほっとしたような、嬉しそうな顔をしていた。
「私ね、もっと勢いよく落ちてたら、後遺症が残るような怪我になってたかも知れないんだって。これって、『タエコさん』が助けてくれたってことかな?」
まぁ、検査はまだするみたいだけど、と苦笑い。
「そうだよ…きっとそうだよ!」
私も嬉しくなった。
『タエコさん』は、呪いの人形なんかじゃなかったんだ。皆のことを見守ってくれていたんだ。
そう結論付けて、その日は帰った。
百合に異常はなかった。退院後すぐに学校に登校、部活にも復帰した。
『タエコさん』は、何事もなかったかのように、窓辺に戻された。
『タエコさん』のことを皆にも話したら、と勧めたが、腕の痣は少し嫌なようで、話をして見せなきゃいけなくなるくらいならと、断固として拒否された。そのため、部室に誰も居ないときに二人でこっそりと布で拭いたりして綺麗にしていた。
それから、先輩から聞いていたようなジンクスも起こらず3年になり、引退したのだった。
* * *
そういえば、高校を卒業してから、百合や、バレー部の皆と会っていない。バレー部同窓会ってことにして、久々に集まるのも良いなぁ、などと考えながら、娘に話しかけた。
「『タエコさん』、懐かしいなぁ。この子は『タエコさん2号』ね。」
そう言うと、娘がこちらを向いて言った。
「え?タエコサンて、誰?」
「え?…この人形…名前変わったの?」
「さぁ?」
人形を見ると、目が合った気がした。
「じゃあ、この人形、なんて名前なの?」
「『ユリさん』だよ。」
はじめまして、または、お久しぶりです!!
Transparenzの佐倉梨琥です!!
ギリギリになってしまいましたが、夏のホラー2015、書けました!!初ホラーです。
もともと、怖い話とかが結構好きなので、考えていて楽しかったです。ただ、これを書いているとき、家鳴りみたいな、ドン、という音にびびってました(笑)
百合は結局どうなったの?と思われるかもしれませんが、敢えて書いていません。気持ち悪い、もやっとした何かを残せる話が書きたかったので。そこは、ご想像にお任せします。
実際に書いてみて、プロの方は本当に凄いなと、改めて感じました。頑張ります。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。少しでも、怖い、と楽しんで頂けていれば嬉しいです。
それではまた、どこかで。