第六話 不穏の影
小袋一杯にあったパンの耳を食い付くし、ゴミと化した小袋をあとで捨てるべくポケットに突っ込んだ頃。
あれから一言も喋らずに黙々と歩き続けていたユニアか立ち止まった。
「着きました。ここが中央広場、そしてあれが時計台です」
「なるほどな……大通りよりも人が多い」
どうやら俺はいつの間にか王都の中心にある中央広場まで来ていたようだ。
大通りよりも人が大勢いて人酔いしそうだが、そんな気持ちの悪さもユニアが指し示した時計台を見たとたんに吹き飛んだ。
「デカイ、というか……アレ、普通の時計台じゃないだろ?」
「えぇと、確かに普通ではないですけど……」
広場のど真ん中をぶち抜くようにして建っている背の高い時計台は、他に大きな建造物が王城を含めて片手程の数しかないことも手伝って凄まじい威容を見せている。
だがいかに圧倒的だろうと時計台は時計台だ。そこまで驚くようなことはない。……この時計台が普通であれば。
「猫神様と最初に会ったときと似た感じがするだよなぁ……」
目の前の時計台からは何とも言えない不思議な力を感じる。言葉にするのは非常に難しいが、とてつもなく大きく、漠然とした力だ。あえて例えるなら誰もいない神社の境内と、ロマンの塊みたいな巨大兵器や大戦艦が一緒になった感じ、といったところだろうか。
神聖さと力強さが一緒になっているこの時計台、推測でしかないがアーティファクトだ。というかそれしか考えられない。しかも世界の命運を左右できるレベルの代物のはず……
「なんでこんなアーティファクトが……いや、それがこの国の、というかこの世界の普通なのか?」
「い、いえ、この時計台はちょっと特殊で……その、これ以上は……」
「言えない?」
「言えないというよりも、知らないんです。わたしは」
神様の配下であるユニアが知らない、か。
「アンジュは知ってるのか?」
「ニャーン」
なんとなく知ってそうな感じはするな。教える気はなさそうだけど。
「ま、気にすることではないか。ユニア、他に知っておいたほうがいい場所は?」
「あ、はい。そうですね……まず時計台の向こうに見えるのが王城です」
王城か、確かに西洋風の白い城が見えるな。城のことはよく分からないが、かなり見栄えがいいほうに含まれるんじゃないだろうか?
「そして左に見えている道が西通りですね。そのほとんどが住宅街だと聞いています」
「聞いています? ユニアは行ったことがないのか?」
「外に出かけることはあまりなかったので……」
「……引きこもりか」
「うっ、いえ、その、まだ巣立ち前ですし……」
ユニアはネコミミをペタんと伏せて、心外だとでも言うように口を尖らせる。
この様子だと引きこもっていたのは間違いないようだ。ユニアの肌が白いのは日光に一切当たっていないのが原因か。しかしユニアがヒッキーとはなぁ。
『キミは引きこもりの上にヒモでしょうに』
こいつ直接脳内に!?
アンジュのやつテレパシーとは……なんでもありだなこの黒猫。あとヒモって言うな。
「だい━━マサ……んがあ……嫌な━━を出し……なけ……今頃は━━」
もう少し引きこもりの件で弄ってやろううかと思ったが……なにやらユニアが嫌な気配を発し出したし中止にしようかな、うん。
「あー、と、西通りの反対に延びている道はなんなんだ?」
「え? えぇと、その道は東通りですね。大きな職人街があって、中央通りでは手に入らない専門的な物を扱っているそうです。例えばこの━━」
ユニアはそこまで言うとダッフルコートのポケットの一つから、簡素ながらも綺麗な装飾の施された鞘に収まっている、白い短剣を取り出して見せてくれる。
「猫神様から護身用に貰った『白虎刀』を作った加治屋さんがありますね」
「凄いな、これ。刀身を見せてくれても?」
「少しだけですよ?」
ユニアがどこか自慢げに抜いた白い短剣の刀身は白銀に輝き、見ているだけで引き込まれるような、そんな美しさ魅せている。
それだけではなく、時計台ほどではないものの不思議で強力な力も持っているようだ。間違いないくアーティファクト……いや、魔剣や聖剣の類いだろう。
これほどの業物が護身用とは、猫神様はユニアの巣立ちを心配しているということか。無茶振りばっかりだけど。
「はい、おしまいです」
「あ、あぁ……」
「えぇと、また見せてあげますから……その、落ち込まないでください」
「……別に落ち込んではいない」
俺の言葉をどう受け取ったのか、ユニアは曖昧な笑みを浮かべたあとコホンと小さく咳払いして話を続ける。
「こういった専門的な物を扱うお店が多いので、東通りに向かう人は騎士や冒険者が多いですね」
「なるほど」
剣だの斧だのを担いだ冒険者じみた連中がよく事務所の前を通ると思ったら、東通りにある刀剣を扱つかう専門的な店に向かってたんだな。納得だ。
しかし専門的な店、か。
「……行ってみますか?」
「それはいいが、なぜ疑問系なんだ?」
「え?」
「え?」
なんで不思議そうな顔をするんだ。それともこれはあれか、異世界の常識というやつなのか。町に行ったら取り敢えず武器屋に行ってうんぬん的な感じなのか。
いや待て一旦落ち着け、単に話が噛み合っていないだけの気がする。
「行ってみたいのではないのですか?」
「だからなぜ疑問系……いや、俺が行ってみたいと思っていると? ユニアはそう思ったのか?」
「あ、いえ、その、行ってみたそうにしてたので……ご、ごごめんなさいっ! わたしの勘違いです! 馴れ馴れしくしてごめんなさい! 謝りますから食べないでください!」
「食わねぇよ!?」
全く人をなんだと思っているのか。俺には人食趣味なんぞないってのに。うん、ホントにないからその怯えた目をやめてくれませんかねぇ……まるで俺が虐めてるみたいじゃないか。
『そうは行っても事実、虐めてるのとおんなじだしねぇ』
どこがだよっ!?
『気配が、ねぇ』
け、気配……だと……?
気配ってあれか、武術の達人とか忍者とかが操れるよく分からないもののことか?
冗談じゃねぇ。そんなよく分からないものが原因だったら直しようがないぞ……?
『いや、その名状しがたい嫌な気配はわざとでしょうに』
え、俺そんな正気を失うような気配出してんの? マジで?
だとしたらユニアが嫌がるのも納得だ。むしろ逃げないユニアさんマジすげぇって話になるな。
そういえば日本でやたらと動物に嫌われていたが、まさか気配が原因……?
『たぶんそうじゃない? ほらほら、あんまり腐るとユニアに怖がられるわよ?』
ユニアに怖がられるのは嫌だな。嫌なんだが……これが腐らずにいられるか。
畜生、気配ってどうやってコントロールするんだよ……おのれ気配、俺の異世界ライフを邪魔するとは、許すまじ。昨日猫神様がくれた本の一つ『世界の拷問百選』に載っている拷問を片っ端から試すのも辞さない覚悟があるぞ。気配め。
「ひっ! ニャ、ニャァァァ!?」
「は? え、ちょ!? ユニア!?」
「にゃぁ……」
なんかユニアに逃げられた。
てかニャァって。ユニアは追い詰められると猫語が出るのか。これは貴重な資料だな。
いや、そんなことはどうでもいい。重要じゃない。それよりもユニアを追って……いいのだろうか? 俺は追いかけないほうがいい気もする。
だがこの世界の治安レベルがどれだけか知らないが、少女が一人歩きというのは危ないだろう。ユニア可愛いし。やはり追うべき……いや、でもなぁ……
『あーあ。ユニアちゃんせっかく頑張ってたのに……』
俺のせいかよ。いや、俺のせいなんだけど。
『でもまぁ、この程度の恐怖と殺気で逃げ出すような臆病だと巣立ちできないしねぇ……』
恐怖、殺気、逃げ出す……俺は中ボスか何かか?
しかしそうなると━━
「俺はユニアを追わないほうがいい訳だが……かと言っても一人は危ない。アンジュ、お前だけでも行ってこい。どーせ普通の黒猫じゃないんだろ?」
「━━ちょっとまずいわね。ひとっ走り頼めるかしら?」
「は?」
突然アンジュがやたら真面目な調子で喋りだした。
さっきまでの気軽な鳴き声や気の抜けたテレパシーとも違うその差に、俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまう。が、アンジュはそれに答えることもなく急かすように猫パンチを乱射してくる。
「分かった分かった。急げばいいんだな」
「その通りだよ、マサトくん。取り敢えずそこの路地裏に入ってくれる?」
「了解」
若干焦りのみえるアンジュの指示に従って路地裏に入り、アンジュから伝わってくる漠然とした嫌な予感に急かされるようにして薄暗い道を走った。
「次右」
「了解」
「次を左」
「了解だ」
「しばらく直進。マサト君、武器はなにがいい?」
「武器?」
指示通り走っているとアンジュから物騒なことを聞かれた。
日本に居たころだとゲーム以外では聞かない台詞のためか現実味が薄い。それに『武器はなにがいいか』なんてこれから戦闘があるみたいじゃないか。
あぁ駄目だ。バテてきた。くそっ俺は持久力がないだよ。畜生、頭も回らなくなってきた。
「剣? 弓? それともむこうで使われてる武器、銃がいいかしら。大抵の物は出せるわよ?」
物騒だな。しかし武器、武器か。
くそ、駄目だな。マトモに考えれない。あぁそうだ。武器ならよく使っていたアレでいいじゃないか。
「バールだ」
「はい?」
「バールだよ、バールをよこせ。なんならバールのようなものでもかまわん」
「バールってキミの世界の工具よね確か。それでいいの?」
バテて喋るのもキツい俺は小さく頷くと、手に持ったバールを強く握り締める。
「……は? んだ、これ?」
いつの間にか握り締めていたそのバールを認識したとたんに今まであった疲労は消え去り、状況を理解するために頭が高速回転を始める。
「なるほど、魔法か。ファンタジーだな」
バールが突然出現したのも疲労が回復したのも魔法で片付けることができる。
というか深く考えたら駄目な類いの話だと思う。
「ふぅん、それで終わらせられるんだ。もう少し混乱するかと思った」
「猫神様で学んだ。ファンタジーは考えるんじゃなく、感じるものだと」
「あ、うん。お母様は……テキトーなとこあるから、ね」
全くだよ。あとアホの子でもある。
「まぁ、考えなくていいぶん最初よりも楽になったけどな。今も大して驚かなかったし、思考に余裕もある」
「へぇ、確かに余裕みたいだね。少しは期待するよ? あ、次を右」
「右だな、了解。一応確認するが殴り合いに期待してるわけじゃないよな?」
「次の次を左。この状況でそれ以外に期待するところがあるのかな? 一週間ヒモ生活してた事務所警備員クン?」
ぐっ、そう言われると反論できない。
しかしアンジュの対応から慣れている感じがするためかあまり危機感を感じれないが、武器を使った戦闘を前提にしているあたりユニアの状況はかなり悪いのだろう。あとヒモ言うな。
「おっと、スピードが上がったね。アーティファクトの力があるとはいえ……警備員の自覚があるのかな?」
「ユニアが危ないんだろう?」
「そうだね。この感じだと追い詰められてると思うし、一人だとマズイと思う」
「なら急ぐか。…………これ以上罪悪感を感じたくないしな」
「ふーん、ほぉ、へぇ……」
俺の頭にしがみついているアンジュと会話しているうちに、いつの間にかずいぶん深いところに入り込んでいた。
辺りが薄暗いのは変わらないが、それに薄汚いが追加され、かすかに悪臭が漂っている。
「二人の関係はユニアちゃん次第っと、そこの角でストップ」
「了解……ん? 鉄の、音?」
アンジュに言われた通りに止まった俺の耳に妙な音が入った。
その音は刃物と刃物を勢いよくぶつければ出るんじゃないかという、そんなかん高い音だった。
「正しくは剣戟の音、かな」
「剣戟、つまりこの音は戦闘音か」
となればこの先で刃物を使った戦闘をやっている何者かがいるわけだ。
気になった俺は壁に張りついて頭を少しだけだし、戦闘が行われいると思わしき角の先をうかがう。
「倒れてるチンピラ数名、いかにもな黒服が三人。……で、あの短剣持ってるの、まさかユニア?」
俺が見たものは武装した人間相手に短剣で切り合いをしている、ユニアの姿だった。