第二話 教えて女神様
可愛らしさの中に生真面目な気配漂うこの声音。これは間違いなくユニアのものだ。
「うん、呼んだ呼んだ」
「わたしに何かご用ですか? 猫神様」
しかし俺の後ろは壁、裏口なんてものはないし、出入りできそうなのは基本開けっ放しの窓くらいなものなのだが……あぁ、そうか。子猫形態で窓から入ってきて俺の背後で人化したのか。まったく、つくづくファンタジーだな。
「用事って程の用事でもないんだけど……そこの少年と少しお話しして欲しいなーと思ってるんだけど、どうかな?」
おっと、ストレートですね猫神様。いまユニアが一歩後ずさった音がしましたよ。
「ぇ…………え、と」
どうやらトラウマは結構深いらしい。いつもなら逃げ出すのだが、今回逃げ出さないのは猫神様の前だからだろうか。尊敬というか、畏怖というか、そんな感情を持っているようだし。
「駄目かな? ユニアちゃん」
「ぁう、その」
「ほら、このままじゃアーティファクトの回収も出来ないし、かといって他の子には任せられないから……ね?」
「わ、解りました。お、お話し、します」
震え声で、ところどころ吃りながら俺との会話を承諾するユニア。
無理はしなくていいのだが……と言うか猫神様は気付いていないのか。それとも分っていて無視しているのか。まぁ前者なのだろう。なにせアホの……ではなく、小さいことは気にしないおおらかな人だからな。
「ありがとうねー、ユニアちゃん」
「い、いえ。大丈夫ですから」
どう聞いても大丈夫そうじゃない返事だったが、猫神様はそれで納得してしまったらしく、ひとしきりうんうんと頷いた後。
「それじゃ、後は二人で話合ってねー」
そう言って出ていってしまった。
「…………」
「…………」
こうなると困るのは俺とユニアだ。
俺はともかくとして、ユニアの方は結構なトラウマを抱えている。そうなると俺から話し掛けるのは下策な訳だが、トラウマのあるユニアから俺に声を掛けると言うのはかなり難易度が高い。となると当然沈黙が場を支配する訳で……
「…………」
「…………」
どうしよう、沈黙が重い。
……仕方がない。下策であるうえにめんどくさいのだが、俺から話し掛けるしかなさそうだ。
「あー……」
「っ!」
おい冗談だろ。少し声を出しただけ、それも振り返ってすらいないんだぞ。これで怖がられても困る。ユニアは俺を何だと思ってるんだ……いや、知らない事とはいえかなりの時間、それも結構な形相で追いかけ回したからな。彼女には俺が恐ろしく狂暴な、それこそ怪物にでも見えているのかもしれない。
だからといって放置する訳にも、後回しにする訳にもいかない。いい加減アーティファクトの回収を進めないといけないし、そもそも俺がそんな奴だと思われているのは甚だ遺憾だ。
そうだな、ここは振り向き様に一つ。
「すまんかった!」
「ぇ?」
謝ってみた。
そもそもユニアが俺を怖がっているのは、俺が会話すら出来ない様な恐ろしく狂暴な怪物か何かだと思っているからだろう。
ならばその考えを覆す……例えばその相手が謝ってたりすれば多少なり恐怖は薄らぎ、会話する余地も生まれると言う物だ。
挨拶がコミュニケーションの基本ならば、謝罪もまたコミュニケーションの基本なのだ。少なくとも謝るという行為ができるだけの理性はあるのだと示すことが出来るからな。
……ユニアが俺を怖がっているのは決して俺の人相のせいではないはずだ。たぶん。恐らく。きっと。
「…………」
「…………」
おい待ってくれ、無言はないだろう。無言は。
まさかこれ以上何かしろとでも言うのか。だとしても俺にはこれ以上スムーズに事が運びそうなやり方は思い付かないし、仮に何か思い付いたとしても頭を上げて目が合った瞬間に逃げられる未来しか見えないのだが。
「頭を、上げて下さい」
訂正しよう。どうやら逃げられる心配はなさそうだ。
ゆっくりと頭を上げ、今日初めてユニアの顔を見る事が出来た。
肩口まである色素が抜け落ちているか様な白い髪、日の光に一切当たってないかの様な白い肌、ゆったりとしたローブやどこか神秘的な雰囲気まで含めて、猫神様とほとんど同じだ。違うところを探せば目鼻立ちや俺よりも頭一つ小さい身長、神秘的さの度合いに女性的なふくらみの絶望的な差といくらでもあるが、最も違うのは目の色だろう。
猫神様の目の色は金色に近い黄色だったが、ユニアの目の色は赤。目付きの悪い男が映り込むその目は、ルビーを思わせるすんだ赤色に染まっている。
「……なんですか?」
「あーいや、久し振りだなと思って」
いかん、久し振りの美少女━━猫神様は美女、ユニアは美少女、それぞれ別腹である━━とあってまじまじと見すぎてしまった。
俺が謝った事で心境に変化があったのか、今のユニアの目には初めて会った時の様な恐怖の色は無く、その代わりに警戒の色が浮かんでいる。
「……昨日、会っていますけど」
「猫形態でね」
警戒の色をすんだ赤目に浮かべたまま、ユニアは律儀に答えてくれた。
確かに俺とユニアは昨日も会ってはいる。
ただし白い子猫の状態で、しかも俺と目が合った瞬間に逃げ出したのだが。
「なんなんですか、人化しないと駄目なんですか」
「いや猫形態でもいいけど、その人化? をしないと会話とか出来ないんじゃないか?」
「それは……そう、ですけど」
ユニアは心底嫌そうな様子で俺の言葉を肯定する。
しかし美少女形態になるのを『人化』と言っているあたり、どうやらユニアは猫形態が本来の姿の様だ。人化しないと会話できなかったり、俺に脅えている頃に会った時必ずと言っていい位には猫形態だったので、ほぼ間違いないだろう。
……同僚の基本プロフィールとは言え、それをわざわざ聞き出して入手すると言うのは人としてどうなのだろうとも思わないでもないが。
「だろう? なら人化した方が良いんじゃないか? 会話は大事だと思うぞ」
そう言った瞬間、ユニアに睨まれた。
何故だ。人化と言うワードを他人が言うのは駄目なのか、それとも仕事の一環とは言え基本プロフィールを聞き出しているのがバレたのか、まさか四割もない下心に反応した訳ではあるまい。
「…………」
「あー、何かマズイ事を言ったか?」
解らない事をうだうだと考え続けるのが面倒になった俺が発したド直球な言葉に、ユニアは小さく「いえ」と答えた後。
「今日は帰ります」
そう言って早足で出て行ってしまった。
チリチリという綺麗な鈴の音が完全に聞こえなくなった後、俺はユニアの白い尻尾が心なしか膨らみ、毛は逆立っていたことに気付いた。
「元は猫みたいだし、猫の尻尾の動きで考えていい筈だが……」
気付いたは良いが、残念な事に俺は猫の尻尾の動きに関しては詳しくない。猫好きの伯父なら解るのだろうが、伯父は今ここに居ない上にそもそも連絡すら取れない。犬の尻尾の動きなら俺も解るのだが……
と、そこまで考えたところで俺は重要な事を思い出した。
「関係の改善、できてないじゃん。……ヤバイ。アーティファクトの回収、どうしよう」
俺としては面倒事を向こうから後回しにしてくれたので特に止めるようなこともしなかったのだが、最大の面倒事が一切進展していないのに気付いて少し後悔する。
「━━ってもアーティファクトの回収が進まない原因がむこう、猫神様の身内にあるあいだは俺の生活が保証されるのも事実なんだよなぁ。……寝るか」
ユニアが帰ったのをいいことにサボ……仮眠をとろうとカウンターに突っ伏そうとした時だ。
「やぁやぁ、マサト君。仲直りは出来たかねー?」
「……猫神様ですか」
寝ようとした俺を大きな声で叩き起こしたのは、やはりというか猫神様だった。
そしてそれを把握すると同時に猫神様の言葉も頭の中に入ってくる。仲直りは出来たか、と。それはつまりアーティファクトの回収は進んだか、ということと同義であり。
「うん、猫神様だよ、マサト君。それで……仲直りは、出来たかな?」
俺の目の前まで来てそう言う猫神様を見ながら、俺はいったいどうやったら言いくるめれるか、と言うかそもそも言いくるめれるのか、そんな事を考えながらゆっくりと立ち上がり。
「あー、それなんですがね」
「どうしたね?」
本日二度目の言い訳を始める事にした。
「話は出来たのですが……」
「怖がられてまともに話もできず、仲直りは出来なかったーと」
「えぇ、まぁ……え?」
今、俺は、猫神様に先を読まれた気がするのだが……いやいや、いくらなんでも気のせいだろう。気のせいだよな? 基本アホの子だし。うん。
「そうだよねー、ユニアちゃんって臆病だしねぇ」
「…………」
「ん? どうかした?」
「……はっ、い、いえ……なんでもないです」
気のせいではなかった、だと……?
アホの子でも神様は神様ということか。
「えーと、なんだったけ……あ、そうだ。ユニアちゃんの臆病なとこが直らないって話だったね、うん」
「い、いえ、俺とユニアの関係改善の話だっと……」
猫神様が顎に人差し指を当てながら考えたあげくに出た、全く検討違いの発言を思わず訂正してから気付く。
今のは訂正しない方が良かったのでは、と。
しかしそんな事を今更気付いても遅い。こうなったらとにかく話を逸らすことに集中だ。アーティファクトのアの字が出た瞬間に俺は路頭に迷いかねないのだから。
「そうだった、そうだった。その為にこれを持って来たんだった」
「これ?」
猫神様は今『持って来た』と言った。だが猫神様はどうみても手ぶらで、小物一つ持っている様には見えない。
やっぱり先程のは全て気のせいで、猫神様はアホの子だったと俺が結論付けようとしていると、猫神様ら右手を左袖に入れて何かを探す様な仕草をしはじめる。だがいくらなんでもローブの内側にポケットは……っ!?
「うへ?」
「えぇと……これと、これと、あとこれと」
俺が変な呻き声をあげる中、猫神様の左袖から次々と本が取り出されていた。その大きさは様々で、手帳程の小さい物もあれば文庫本サイズの物もあり、片手程の数ではあるものの鈍器になりそうな大きさの物まであった。
……あのローブの内側はどうなっているのだろうか。
「うん、マサト君の探偵事務所に置いておく本はこれで全部だね」
「…………」
最終的に猫神様はローブの左袖からカウンターに山積みになるほどの本を取り出していた。その数は三十冊を確実に越えているだろう。下手をすると五十冊にとどくかもしれない。
本の題名を見てみると日本語で書かれた物もあれば、なぜか読めるのに見たことのない……恐らくこちらの、いわば異世界語で書かれた物もあった。個々の題名を見てみると『サキュバスの男性向け恋愛必勝法(はぁと)』や『犬派でもわかるっ! 猫の気持ち~尻尾編~』等がまず目についた。
「……なんですか、コレ」
「今人気の本らしいね。マサト君が右手に持ってるのは本物のサキュバスが書いた物で、左手に持ってるのはマサト君と同郷の人が書いた物だね」
ヤバイ、ツッコミどころしかない。
「あ、こっちの言葉は解るよね?」
「何でか分かりませんけど分かります」
「ならよーし。大きいうえに、古いアーティファクトだから心配してたんだけどね」
ツッコミどころしかない……
「さぁさぁ、読んだ読んだ」
「え? あっはい」
猫神様に急かされるまま、同郷の書いた猫の本を読み始める。
サキュバスが書いた本は過激な気がするので後日に後回しだ。
『この本はガチガチの犬派でも複雑な猫の気持ちが分かるようになれる本です。ガタガタ反論しないでゆっくり読みやがれ』
なんだろう、すごく不適切な文を見た気がする。この本の作者は犬派となにかあったのだろうか?
しかし猫の気持ちが解るのはありがたい。つい先程、尻尾の状態からユニアの気持ちが推測出来なくて困ったばかりなのだ。
『犬派でも分かる目次』
作者の犬派への恨みをかすかに感じる目次の中から、一つの項目を見つけ出した。
『犬派には決して分からない。尻尾が膨らみ毛が逆立っているときの猫の気持ち』
題名が本の趣旨と矛盾しているがなにも言うまい。
この尻尾が膨らみ毛が逆立っているときというのは、つい先程のユニアの尻尾の状態と一致する。これは今後の関係改善の為にも読むべきだろう。
『猫の尻尾がボワッと膨らみ毛が逆立っているときは、猫が驚きや恐怖を感じているときです。また相手を威嚇するとき、攻撃体制のときにも同じ状態になります。この状態の猫は非常に強気になっています。犬とは違うのですから、間違っても喧嘩を売らない様にしやがれ』
最後の一文以外はごく普通に、それでいて丁寧に猫の尻尾について書かれていた。
この本に書かれている事をユニアに当て嵌めるなら……あの時のユニアは怒っていた、という事になるのだろう。
『ちょっとした事で驚くような、いわば臆病な性格の猫はよくこの状態になります。逆にのんびりとした、いわばおおらかな性格の猫はあまりなりません。強者の余裕を感じますね。強者の余裕を感じますね』
なぜ二度も書いたし。
そしてこれは猫神様の言った通り、ユニアが臆病な性格だということか。しかし俺と会話していた時のユニアは俺が謝る前を除いて始終強気で、臆病とは程遠い気がするのだが……
『これは猫獣人にも言える事で、私の調べた限り狩りのときや戦いのときはこの状態の場合が多いようです。また、臆病な性格の子が強がる時にも似たような状態になるようですね。ネコミミマジカワユス』
最後については同意せざるを得ない。
しかしこの作者、猫獣人まで調べたのか。確かに以前窓からそれっぽい人影は見た事がある。その時はユニアや猫神様と同類かと思ったが……最近はなんだが違う気もしている。
しかしここに書かれている事が確かなら、ユニアは本当に臆病な子で、必死に強がりながら俺と会話していたことになるのか。
「…………」
「どう? 役立ちそう?」
俺が同郷の人間が書いた本を閉じてカウンターの置いたのを待ってから、猫神様が感想を聞いてくる。
役に立つかどうか、そんなの決まっている。
「えぇ、物凄く役立ちます」
コレさえあればユニアとのコミュニケーションは一気に容易なものになる。そうなれば当然アーティファクトの回収も進み、俺は日々の生活で脅える必要も無くなり、成功時の報酬を考える余裕も出てくるようになるというものだ。
猫神様はニコニコと笑いながら満足そうに頷いていたが、暫くすると鈍器になりそうな大きく分厚い本を読むように俺に勧めてきた。タイトルには『アーティファクト全集第一巻』とある。
「猫神様、これって……」
「まぁ読んで読んで」
分厚い本を読むようにひたすら勧める猫神様には言いたい事がいくらでもあるが、俺自身アーティファクトについて全く知らないし、死活問題の種でもある。まずは読んでみるべきか。
『アーティファクトとは古代の人々が残した遺物、その中でも道具や衣類等の人工遺物、あるいは古代の強力な魔道具のことである。しかし世間一般では魔道具の総称であると認識されている』
おっと、魔道具ときたか。ここでいう強力の魔道具とは恐らく魔剣だの聖剣だののことをいっているのだろう。魔法道具とか魔術道具とか、あるいは魔法魔術複合起動方式魔導再現道具とか、そんな感じだろうか。
ネコミミ美少女だけでも異世界っぽさはあったが、いよいよもってファンタジーらしくなってきた。
『そのように認識されたのはアーティファクト研究者でもある二代目勇者スズキの影響が強い』
どっかで聞いたような、あるいは日本で二番目に多そうな名前の勇者だ。いや、正確にいえば名前というより名字か。
俺以外の転移者はなかなか活躍しているようだ。
『この本では制作時期や力の大小に関わらず、勇者スズキがアーティファクトとよんだ魔道具全般について扱おうと思う』
そこから先はひたすらにアーティファクトについて書かれたページが続いている。
歴代の勇者が扱った聖剣に所有者の命を喰らう魔剣等いかにもな物もあれば、燃え続けるロウソクやそよ風を出せる扇といったアーティファクトといっていいのか微妙な物まで載ってあった。
しかもそれぞれのアーティファクトの詳しい説明が挿し絵つきで書かれており、全くの初心者である俺としては嬉しい本だ。
「どうどう? 役に立ちそうでしょ?」
そう言う猫神様の肩口から見える金色の尻尾はピンッと立っていて、満面の笑みと合わせて実に嬉しそうだ。
しかし先程も似たようなことを言っていたが……まさかとは思うが猫神様は褒めてほしいのだろうか。いや、ないな。仮にも神様だ。流石にない。
「あー、役には立ちそうですが……猫神様」
「なに?」
「この中のどれを回収すればいいんですか?」
俺はこの本を読むまで、猫神様の言うアーティファクトは多くても十数個だと思っていた。なんせアーティファクトだ。聞くからにヤバそうな名称なので、数はないだろうと思っていたのだ。
だがこの本に書かれているアーティファクト、もとい魔道具の数は優に百を超えており、それら全てを回収してこいと言われたら絶対に無理だ。
そしてそれくらいは猫神様も分かっているはずで、だからこそ回収すべきアーティファクトはこの中のどれか、もしくは数個程度だと思ったのだが。
「んー? どれっていうか、回収できるだけ全部?」
「……は?」
猫神様は当たり前のことをいうように、そう言い切った。