彼と猫達の仕事風景
━━訳が分からない。
目の前で繰り広げられる状況を見て、男はただそう思った。
━━訳が分からない。
男にとってその日はいつもと何も変わらない日だった。
雑で汚い寝床から起き、まずい飯を食い、それから人には言えぬ仕事をする。
そんなごく普通の日であったのだ。……彼らが来るまでは。
男とその仲間達がたまり場にしている今にも壊れそうなあばら家、その扉が吹き飛んだのが終わりの始まりだった。
まずいきなり飛んできた扉の残骸が男の仲間の一人に運悪く直撃しそのまま気絶。それに何事かと男達が入り口のほうを見ると、彼らが居た。
先端が折れ曲がっている棒切れを持った、黒髪黒目の目付きの悪い人間の男。
目付きの悪い男の隣で白い短剣を構えて周囲を警戒する、白い髪と赤い目、そして猫耳と尻尾を持つ獣人の少女。
その後ろで楽しそうに笑う、少女と同じように猫耳と尻尾を生やした、黒髪にやけに輝く金目を持つ女。
彼らを最初に見た時の男達の思いや考えはだいたい同じだった。
━━目付きの悪い男は弱そうだ。
━━あのガキは簡単にぶちのめせるな。
━━女どもは貴族のご令嬢かなにかか?
━━捕まえたら高く売れそうだ。
━━なんだか気味が悪いが、女二人はとんだ上玉じゃねないか。
━━売る前に楽しむのもありじゃないか?
そう、男達からすればその状況は一人ばかり気絶しているが何の問題もない、それどころか幸運な状況ですらあったのだ。
男達がゲスい考えを思い浮かべる中、目付きの悪い男が口を開いた。
「ユニア、猫達が言ってたのはここで間違いないか?」
「はい、アーティファクトの反応がありますから間違いないです。場所は……この奥ですね」
「了解だ。ユニア、アンジュ、やるぞ」
「分かりました」
「それじゃあ、行きますかー」
彼らの余裕な態度が気に食わなかったのだろう。巨漢の男が近づいていく。
「おい、てめぇ」
「ん? なんだ、オッサン。俺らはアーティファクトの回収に来ただけだから、アーティファクトさえ渡してくれれば騎士団を呼ばないでやってもいいぞ? んん?」
「マサトさん……」
呆れた様子の白い少女に目付きの悪い男が「冗談だから」と言いつつ肩をすくめる。
その一連の流れに巨漢の男はなめられていると感じたらしく、額に青筋を浮かせる。そして。
「てめぇら、どこのどいつか知らねぇがここまで来て無事ですむとは思ってねぇよなぁ? ああ?」
「思ってるけど?」
「おいくそガキ、持ち物を全て置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる。あぁそれと……」
「おぉ、その台詞を生で聞けるとはね……で、それとなにさ?」
「女二人とも置いていけ、なに殺しはしねぇよ。ちょっと楽しん「はい、ドーン」ぐぶぉっ!?」
気の抜けた声と共に巨漢の男はあばら家の外まで吹き飛ばされ、戦いの最初の犠牲者となった。
「……マサトさん、手加減して下さい。騎士団の人も困りますから」
「スマン、ゲスい考えが聞こえたもんでつい、な。次は気をつける」
「おーおー、カッコいいねぇ少年。ねぇ? ユニアちゃん?」
「うぅ、否定はしません……」
「……最初のころからは想像できないほどデレてくれるようになったよな、ユニア」
「可愛いでしょ? うちの妹」
「否定しないどころか全力で肯定しよう」
「だってさ、ユニアちゃん?」
「うぅ、ううぅぅぅ!」
屈強な男達を目の前になにやら朗らかに談笑する。そんな彼らにあてられて思考停止していた男達だったが、目付きの悪い男の声で強制的に現実に引き戻される。
「んじゃ、アーティファクトの回収……始めますか」
それからの事は男にはよく分からなかった。
目付きの悪い男が先端が折れ曲がっている棒切れを振るうたびに、ぽんぽんと軽々しく宙を飛ぶ仲間の姿。
白い少女を見失ったかと思った次の瞬間、白いなにかが見え、一拍置いて次々と倒れる仲間の姿。
金目の女が持つやけに小さな杖のような物が光るたびに倒れる仲間の姿。
━━訳が分からない。
どこを見ても打ち倒され、気絶させられる仲間の姿しか見えない。三十人は居た仲間達も、もう数える程しか残っていない。
━━訳が分からない。
彼らは弱いはずだ。現に目付きの悪い男は戦い慣れしていない、それどころか素人同然だ。女二人もあんな貴族のご令嬢みたいな奴らが強いはずがない。
だが自分達は負けている。男には訳が分からなかった。何もかも、訳が分からなかった。
「ユニア、アンジュ。あとはやっとくから奥にあるはずの盗まれたアーティファクト『猫神の衣』と『黄金に輝く羊毛』を回収してきて、さくっと」
「はいはいー、じゃさくっと行ってきますかー」
「分かりました。……気を付けてくださいね」
「お、なんだー? デレか? デレた……ユニアち……」
「そんなん━━ない……アンジュお姉ち━━こそ……なの」
「今はユニア━━んの話で……どうなのよ━━のとこ━━」
「別に━━とも━━てない━━」
女二人があばら家の奥、盗んだ物を隠している地下室へ向かっているが、男はそれを黙って見送った。
訳が分からないのもあったが、訳が分からない状況の中で唯一訳の分かる単語が耳に入ったからだ。
アーティファクト。
それは日常的に使う物でもあると同時に、神話や英雄譚で重要なアイテムとしても出てくる代物だ。
そしてこの目付きの悪い男が言うアーティファクトは恐らく後者。そして彼らのバカみたいな強さの秘密も恐らく……
「さて、残りはあんただけだが……投降する気、ある?」
と、そこまで男が考えているあいだに仲間はいつの間にか全滅しており、気付けば男の近くまで目付きの悪い男が迫っていた。
恐怖。
目付きの悪い男のくすんだ目を見たとたん、男にはそれしか感じれなくなっていた。
訳の分からないアーティファクトを使う、訳の分からない男への恐怖。
理解できない、いや、理解してはいけない、未知への恐怖。
「あ……」
「あ?」
「あ、あぁ……」
「お、おい、どうしたよ。大丈夫か?」
「あぁあああぁぁぁああぁあ!」
訳の分からない恐怖に突き動かされ、男は目付きの悪い男へと突撃する。
何かから逃げるような、鬼気迫る突撃。
だがそんなことは予測済みだと言わんばかりの目付きの悪い男は、手に持った棒切れを勢いよく振り上げ。
「ちょいや」
そんな気の抜けた声と共に棒切れを振り下ろし、男の意識を闇の中へと叩き落とすのだった。