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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕の兄弟

作者: もか

 その生を受けてからずっと一般人のそれより何倍も弱いと言われて来た心臓は、もはや限界の悲鳴をあげていた。

 心臓というウィークポイントを抱えた身体もまた、発達という言葉を何処かに置き去りにして来たようでまだ幼く思うように走れない。

 早々に追手の存在に気付き、身体を張ってボクを逃がしてくれた従者たち。優秀な人たちだった。両親がそばにいない代わりに、いつでも彼らがそばにいてくれて温かい微笑みを向けてくれた。

 優しいだけではなく時に厳しく育ててくれた彼らは、ボクにとって両親よりも近い存在だった。

 身体を思う存分動かせないボクを護り戦う。それも含めて、彼らの仕事だった。とはいえこの世界の中でも比較的治安が良いと言われるこの地域で彼らの戦闘員としての実力を目の当たりにする機会はさほど多くなかった。

 考えてみれば「ここは俺たちに任せてお逃げください! 後から必ず追いつきます!」などという言葉を鵜呑みにする方がおかしいのだ。

 危険分子から無事に逃がすことが彼らの仕事で、命を賭けてでもボクを逃がさなければならない。勝てないと見込めば……自ら壁となり、ボクの命を救うのだろう。

 こんないつ事切れるかも分からない出来損ないの人間の命を少しだけ引き延ばすために。

 彼らはこの上なく優秀で、人間として出来上がっていて、そして酷く愚かだ。

 既に彼らは事切れた後なのか、殺気はすぐそこまで迫って来ていた。

 正直、自分が今何のために走っているのかもわからない。心臓が悲鳴を上げ、脳が足を止めろと命令していて、足ももつれている。

 雨で濡れてぬかるんだ剥き出しの泥の路面。最悪なコンディションの足場で、心身共にいつ転倒してもおかしくない上、そうなれば間違いなくそばに迫った殺気は姿を現しボクに牙を剥くだろう。

 否、転倒せずともその時は間違いなく訪れる。ならばこの場で立ち止まったほうが楽に死ねるのではないか。

 そう考えるほどに追い詰められた脳を、正直な本能が必死に奮い立たせていた。死にたくない。痛い思いなんてまっぴらだ。まだ生きていたい。誰か助けてほしい、と。

「いたっ……!」

 黒い短髪から滴り、頬を伝って落ちていく汗が疲労困憊の瞳に突き刺さり、地味な痛みを覚えた。それに怯んだ拍子に、ぬかるみを踏み抜いた足からバランスを崩し見事に転倒した。

 材質にまでこだわったいつもの高価な衣装ではない。真っ黒な髪と瞳に似合うと思ったことなど一度もない。

 そんな衣装の数々より、よほど身の丈に合っていると感じていた無駄な装飾が一切施されていない庶民用のただの服。それが惨めなほどに泥だらけになっていて、ボクの中の諦めの悪かった部分が、諦めろと肩を叩く脳みそに屈服した瞬間を感じていた。

 気が付けばもはや持ち上がる気配のない上半身を揺らして声を上げて笑っていた。人は恐怖が一定値を超すと笑い出すというけど、まさにこのことかとその事実にまた笑ってしまう。

 狂ったように涙を流し恐怖しながら笑いあげるボクの背後に、ついに溢れんばかりの殺気が到達した。

 ああ、ここまでか。くだらない人生だったな、と。病気でろくに身体も動かせず、少し調子が良くなったからと遠出をすれば意識を失ったり殺されたり。

 ボクは少しでも楽に死ねれば良いと、文字通り死ぬほどの痛みがくる瞬間を笑うことを止め歯を食いしばり待ち受けた。

 まず最初の衝撃は首の根元だった。刺客の蹴りは何とか地面と仲良くするのを免れていたボクの上半身を、容赦無く顔面から叩き落とした。続く衝撃は背中、だっただろうか。そんなことをしなくとも、既に悲鳴をあげることも痛みを感じることすらもできないほど死の境を彷徨っているというのに。殆ど無傷なのがいけないのか。ボクの逃走手段、可能性を断とうと言うのか。敵は何度も何度も執拗に靴の底で、見た目より余程ボロボロな身体を痛めつけた。

 薄らいでいく意識の中、ボクはこの状態で見えるはずのないものを見ていた。

――最初の一撃をもらう前の時点で、実は既に意識が身体から剥離していたのかもしれない。ひれ伏して地面に抱きかかえられているはずのボクが、何故かピンピンしてその場に立っていたのだ。

 口の端を実に愉しそうに歪めて、ボクと同じ黒い服を着て、人を殺める為の刃物を逆手に持って。何事か呟いた後彼は姿を消し、ボクの意識もそこで終わりを迎えた。




「困るんだよね、僕の仕事を邪魔されたらさ」

 己と同じ姿をした少年から距離を取った執事服の男と対峙していた。足蹴にしていた男の立ち位置の数センチ手前には、投げたナイフが突き刺さっている。

「おじさんにはおじさんの仕事があるんだろうから、駄目とは言わないけどさ。僕にも僕の仕事があるんだよ。で、おじさんと僕の仕事は相容れない。なら本職同士、殺し合うしかないと思うんだよね」

「貴様、何者だ」

「何者?」

 ある意味予想外の質問に思わず鼻で笑ってしまう。

「これから死んじゃうのに、その質問の答えって必要?」

「……その通りだ。死ぬ者の名など必要ないな。(レイン)坊ちゃんを殺すことでようやくこの仕事からも解放される。随分と時間と手間のかかる仕事だった」

「だよね。物分かりの良い人は好きだよ。だけど」

 次の瞬間、口の端を歪めて、実に愉快な気分で地面を蹴り上げ男の横を取っていた。たかが子どもと高を括っていたのか、そもそもその程度の実力だったのか。

 身体を九十度捻じり、姿を追いきれなかった敵の心臓をミセリコルデで一突きした。肉を貫き引き裂く、確かな感触。

 身体をもう半回転させ、苦しげな呻き声を上げかけた男の首を、横から頚椎にぶち当たるまで深々ともう片方の手に握っていたダガーで貫いた。

 噴水のように噴き出す返り血を浴びない位置に避難し、しばらく様子を見守る。しばしひくひくと痙攣していた男の身体は、しかしすぐに動かなくなった。確実に殺せたことを確認するため倒れた男の身体に近寄り、息がないことを確かめる。

 男の亡骸の背を鉄骨入りのブーツで踏み抜き、聞こえているはずもないのに耳元で囁いた。

「敵の戦力を見誤るのは良くないよ。それと僕が何者かって質問だけど」

 首だけ振り返り、地面に大事そうに抱えられている己の生き写しの少年を一瞥する。

「あの子の……弟、かな?」

 聞いている者はいなかったが。零は満足げにナイフの血を拭っていた。

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