(8) チュートリアル<2> 「おつかいの村」
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そこは、箱庭のようにコンパクトな村だった。
アスタロトは、まず空を見上げる。
霞の掛かったような薄曇りではあるが、その雲の上、遙か空の彼方には太陽があるのだろう。村は十分に明るく、そして暖かだった。
色々とカスタマイズに時間はかけたが最終的な見た目は普通の人間タイプにおちついたアスタロトは、多少衣服のセンスに村との違和感が生じているものの、仮想世界では良くあることなので目立ちすぎるというほどでもなく、世界に受け入れられていた。
空気には若干、土の匂いが混じり…草や花の香りも感じることができる。
村人がチラホラと見えるが、アスタロトの方に近づいてこようとする者はいない。
恐らくは全員NPCなのだろう。
アッチの爺さんは、さっきから同じ場所を行ったり来たりしている。あのペースで、もし一日中歩き回っていたら、さぞかし足腰の強い健康な体になっているだろう。
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村には、民家が数軒の他に、武器と防具を売っていると思われるピクトグラムが表示された看板のプレハブが1軒。それから、宿屋と覚しきピクトグラムの2階建てが1軒。後は…あれが村役場かな?ひょっとしたら単に村長の屋敷かもしれない。
民家の庭先には、「それっぽっちじゃ、村人の分すら採取できて無いのでは?」と思わせるぐらいの小さな家庭菜園よりもさらに小規模な畑が。作物の畝の間を縫って、鶏っぽい小動物が、さっきから行ったり来たりしている。
「ああゆーのって、追いかけても絶対捕まえられないんだよね」
と声に出してみて…自分の体の感覚にも違和感が無いことを確認する。うん。全くリアルの体と遜色がない。アスタロトは、右手と左手を交互にグッパグッパし、ジッと自分の手をみる。
それから、ピョンピョンとジャンプもしてみる。クエスト・エリアだからこそ、多分、この後のメインシナリオ用のワールド・マップへ出た時と、世界の感覚は同じに設定されているはずだ。
先ほどまでのチュートリアル・レイヤに居た時よりも、風の流れ、日の光の圧力、世界の音のざわめき…システムからアスタロトのキャラクターの感覚野に送り込まれてくる情報は圧倒的に多い。
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「で?…何で、俺一人になってるワケ?」
取りあえず安全な村の中であるので、未知の世界へのファースト・コンタクトであるとは言っても、それほど緊張する必要はなくて済んでいるが…チュートリアル担当のジウどころか、高いCPを払って…しかも色々と苦労してGOTOS契約を取り付けた相棒のイシュタ・ルーの姿までもが見あたらない。
「…ジウ?…………ルー??」
えっと…何?…どういうこと?アスタロトは考える。
チュートリアル・クエストへ送られたことは間違いないと思う。
風や光、音など…リアルと見紛うとても良く出来た世界ではあるが…時代設定からしてリアルでは有り得ないし、こんな箱庭のような村なんて存在するワケがない。
っていうか、2206年の現在に「村」なんていう行政機関はリアルには存在しない。あくまでも「村」はRPG世界での定番な最小居住区単位を示すマップ・ユニットの名称であって…
あれ?…アスタロトは、村役場らしき建物の軒先が、まるで自分を誘っているかのように点滅しているのに気が付いた。
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「さて。慎重派ユーザーとして数々のMMORPGで名を売っていたアスタロト様は、こういう時に、どういう反応をするのが最善だと思う?」
問題に立ち向かった時。アスタロトは自分で自分に問いかけることが良くある。
「そうだね。取りあえず怪しそうなのは村役場っぽいアソコだけど。…イキなりピンチが待っているってこともあるしね。まずは…武器と防具のピクトサインの店を覗いてみようと思うけど…」
そして自分の問いに自分で受け答えする。根暗な感じのアスタロトの癖だが、本人は気づいていない。
「今現在、俺のステータスってどうなっているのかが分かんないし、カスタマイズ時に選択した設定が、全て最初っから使用可能ってワケはないだろうから…な」
この時代のMMORPGは、ユーザーが自分のキャラクターの個性について、将来的な素質を選択して「潜在的資質格納ソケット」にはめ込んでいくことで、レベルアップと共に理想の自分キャラに近づいていける…という楽しみ方がスタンダードとなっている。
つまり、いつかは自分の選択した超絶技を決めまくる日がくるけれど…それは実際レベルが何処まで達した時からなのかは、技の効果や難易度などを勘案し、システム側の複雑な演算やランダム要素が組み合わされて決定されるから…あんまり極端な反則技を仕込むと…結局、使う日が来る前に…ゲームのメインシナリオが終了…残念。という悲哀を味わうことになる。
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ま。自分のキャラ設定についても、戦略的な要素が含まれてるってのがマニア達にはたまらないんだよね。もっとも最近ではそのシステムは当たり前になってきちゃってるけどね。アスタロトは脳の片隅に「リフュージョン」や「炎の騎士国物語」を思い浮かべながら一人笑いを浮かべた。
しかし、この『デスシム』は、ここまで知り得た感じだけで判断しても「リフュージョン」や「炎の騎士国物語」よりも自由度が高い設定になっている気がする。
さっきの突然のシステム変更なんて、もう自由度が高いというより無茶苦茶だ。
GOTOSがNPCでは無く、実際の他プレイヤーだというのも変わっている。
ゲーム内での交流やら何やらで、コンビを組んだりカップルになったり、本当に意気投合するとMMORPG内で夫婦契約を結んだり…そういうのは他のゲームでもあるが、最初から初対面のプレイヤーを金銭契約でくっつけるなんてのも…むちゃくちゃだよね?
こんな何から何まで無茶苦茶な設定が続くと…普通なら逆に面白くなさそうってことで、さっさとログアウトして二度とインしないって感じになるんだけど。アスタロトは、何故か『デスシム』からログアウトしようとは思わなかった。今はまだ。
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『デスシム』のパッケージを手にしたのは偶然。特別に面白そうな説明書きがあったわけでもないけれど、やはりあの「注)これはデスゲームではありません」という間抜けなキャッチ・コピーに、何故か惹かれてしまった…としか言いようがない。
そういえばイシュタ・ルーも、あのキャッチ・コピーに惹かれて此処へ来たのだろうか?ショートメッセージで苦情を大量に送ってきた他のプレイヤーたちも?
スッキリしないが、一人で考えていても絶対に解決しない疑問は頭の隅に追いやるに限る。アスタロトは頭を切り換えて、次の行動に移ることにした。
武器と防具のピクトサインの店の前まで歩く。
アスタロトのせいで…(と言われるのは理不尽な気がするが)…木星並みの大きさに再定義されたものの、約2.4倍の重力を軽減するために自転周期が速められたとかの無茶な設定のお陰で、ほぼリアルの地球を歩くのと同じ感覚で歩けてはいる。
仮想の世界なのに変なこだわり方だなと思いながらも、戦闘などの際に余りにも現実離れした物理法則が設定されていると戦略や戦術が立てにくいから、アスタロトとしては、多少、科学を意識した世界設定にこだわった世界設定のゲームの方が好きではある。
「リバーシブル」とか「ミラー&ミラー」などの異色タイトルでは、そのゲーム名に象徴されるような非現実的な物理法則が売り物で、全くの異世界に心も体も柔軟に対応できる者にとって有利な設定になっている。アスタロトにとっては、少し苦手なタイトルだ。
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武器と防具の店の暖簾?をくぐると、そこにはちゃんとNPCの店員がいた。最近のタイトルでは、往々にして自動販売マシーンがポツンと設置されている場合があるのだ。システム・リソース的には負担が少ないのだろうが…それでは味気がない。
店内は左右に分かれてカウンターが設置されおり、左のカウンターには武器のピクトサインが、右のカウンターには防具のピクトサインが表示されている。
さて。どちらのカウンターから先に話しかけようか?アスタロトは迷う。
というか。やはりシステム設定のチュートリアルを飛ばしたのは痛い。何せ、自分のステータスを確認する方法が分からないのだ。店に入ったのは良いが、所持金額の確認方法も分からない。…キャラクター設定レイヤでソウジに支払った後の記憶からすると、ウォレットというストレージには残り4千CPほど残額がチャージされているハズなのだが…。
何のヒントもなく途方にくれながら、所在ない両手をリアルのアスタと同じ癖でポケットに突っ込むアスタロト。!。
「あ?…あった?」
ポケットの中に、文字通り財布っぽい黒いオブジェクトが。
実際にはICカードか何かのような質感のそれの表面には「4,000CP」と洒落たフォントが仄かに光を放っている。
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「これって…。ひょっとして、落としたり奪われたりとかしちゃうワケか!?」
アスタロトは、アカウント登録レイヤでのジュウソの言葉を思い出した。確かに…他のプレイヤーから奪う…とか言っていた気がする。
慌ててポケットにしまうアスタロトだが、今のところ奪いに来るような別ユーザー姿は見えない。そりゃぁそうか、今はチュートリアル・クエスト中だった。
何とか所持金額の確認だけは出来たので、迷った挙げ句にまずは防具のカウンターへ近づく。アスタロトは慎重派なのだ。
近づいたというのに、カウンターには何の変化も見られないし、店員のNPCにも動きは無い。あれれ?…自動でメニューがポップアップしたりしないのか?
ある意味、詰んだ状態になってしまった。アスタロト。バグ?バグなのか?やっぱり?バグ?バグバグバグバグ………グッバイ!
「店…出るか?」
やや錯乱気味に、全くもって面白くもない駄ジャレを言ってしまった自分にゲンナリとしながら、アスタロトは一旦、店を出る。
外は、相変わらず薄曇りのくせに妙な明るさで…しかも長閑だ。
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ふわぁあああぁ…。取りあえず欠伸をするあたり、アスタロトはなかなか肝の据わったオトコだと評価できよう。
実際には、このまま何も話が進まなければ空腹で死ぬかも?…あ、死ぬとログアウトできるのか………と、呑気に考えているだけだったが。ここでの死は、あのデスゲームと違って、リアルの自分が死ぬわけではないから安心だ。
この時点では。アスタロトことアスタは、その程度にしか【アスタロトの死】について考えていなかった。
しかし、若干、腹が減ってきたような気はするが、飢え死にするにはどれだけの時間の経過が必要なのか?…それと、やっぱりリアルに苦痛を味わってからでないと【死】…なんか連発するのヤな言葉だな…『アウト』って呼ぶことにしよう…『アウト』することができないのか?…その点は、やはり気になる。
気になってもどうしてよいのか分からないから、アスタロトは突然、脳裏に閃いた思いつきの行動を取ってみた。
「やっほ~~~~っ」 【しーーーーん】
周りに山らしきものが見えないから、当然、こだまは帰ってこない。ただ、建物の壁に反射したと思われる音が、若干のディレイとして重なっていたような気はする。
うーん。中途半端にリアルだな。やっぱり。
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やっほーのノリで、アスタロトは、もう一つ、思いついたことを叫んでみた。
『ここは俺の領地だ!』
何も変化なし。ただ、何か今、声に妙なエフェクトが掛かったような気がするが?
そういえば…確か?…思い出して、アスタロトは試してみる。
『ここは俺の領地だ!』
何も変化無し…。2回じゃなかったよな。少し緊張して、息を深く吸い込みもう一度、力の限り叫ぶ。
『ここは俺の領地だぁあああああああ~~~~~~~~~!』
声には表現するのが難しいエフェクトが間違いなく掛かっている。…が…何も起こるような気配はない。
「はぁ…。ちぇ。チュートリアル・クエスト用の村だから無理だってのは予想どおりだけど、叫び声を聞きつけたジウかルーが現れるかって期待したんだけどな」
余裕を見せていたアスタロトの表情にも、若干の焦りの色が浮かび始めた。
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「お待たせして申し訳ありません!…はぁはぁ…領土獲得証書を…ハァハァ…持って参りました」
村長の邸宅?的な建物の影から、アスタロトに向かって走り寄ってくる影があった。
取りあえず孤独死を迎える危機だけは回避した。アスタロトは泣き顔になりかけていた顔に気づかれないように表情を改めた。
「あれ?こんなところで何をやってるんです?」
ジウだった。
お前こそ何してるんだよ?と言いたいが…走り寄った相手がアスタロトであることを認めると、もの凄い凶悪な表情に変わったジウに…アスタロトは何も言えなくなった。
「…というか…こんなところで何てことをシテクレタんです!?」
惚けた感じの質問口調から、詰問口調に変わってるし。
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「アスタロトさんは、今、自分がやったことが何を意味しているか…ちゃんと認識されてるんでしょうね?」
いいえ。全く。アスタロトの気持ちを一言で表現するならば「キョトン」だ。
「いつまで待っても、チュートリアル・クエストの指示書の確認に現れないから困っていたら…よりによって新規登録ユーザーの共有エリアのハズのこの『おつかいの村』エリアを…自分の領土に確定してしまうなんて…」
え?えぇぇぇぇええええ?…システム的にOKだったってこと?…俺の宣言、有効に通っちゃったってこと????
「わ。悪かったよ。でも、こんな小さな領土で他のユーザーに意地悪する気はないよ。自由に使わせるからさ」
何言ってんですかアナタ…的な怪訝な顔をしてジウはアスタロトを見ている。
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「…あの。アスタロトさん。今、アナタが権利を獲得した領土の面積がどのぐらいなものか…分かってらっしゃらないようですね?」
ジウは呆れ顔を隠そうともしない。
「元々、『おつかいの村』はチュートリアル・クエスト用に、この目に見える範囲の建物がある一帯と、村長の姉の魔法使いが隠れ住む地下ダンジョンを含む『初試練の平原』5Km四方で一つのエリアを構成していたんですよ?」
ほ、ほう。まぁ、最初のクエストとしては…なかなかな贅沢な広さだね。アスタロトは想像しながら、嫌な予感に背中から冷や汗が吹き出す…ような気持ちがした。
「ま…まさか」
「まさかじゃありませんよ。さっき、アナタが100倍以上に面積拡張しちゃったから、今の面積だと…そうですね…ごにょごにょ…ざっと3000平方キロメートルぐらいの面積になるんですよ?」
マジかよ!?…アウチっ×××!俺、一昔前の東京都知事よりも広大な面積の主になったってことじゃん!
「…っていうか。チュートリアル用のエリアって、個人プレイヤーの領土にしちゃって…システム側として問題ないの?」
ジウとアスタロト。二人揃って困り顔。
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「良くないとジウ個人としては思いますが…。先ほど、システム・マスターから『ぼけっとしてないで、領土獲得証明書をさっさと届けてこい!』と怒られましたから。システム側からはOKの承認がおりたようです。…面白そうだから…というコメントが添えられています」
なんなの?ここのシステム・マスターって?
唖然とするアスタロトの手をぐいぐいと引っ張って、ジウはずっと点滅を繰り返したままの村役場の軒下目指して駆けだした。
「お?おいおい。腕が痛いよ」
「良いからアスタロト様は、黙って早くついてきてください。普通は、あれだけあからさまにイベント発生フラグが立ってたら、すぐに村役場へ向かうものでしょう?アナタは素人なんですか?ねぇ?」
ジウは地味にアスタロトを侮辱しながらも軒下に連れて行く。
「もう。こちらとしては手に負えないですから。責任を持って何とかしてください」
村役場の中を覗くと…恐ろしい形相で髪を振り乱し…破壊の限りをつくして肩で息をしている美少女がいた。
見なかったコトには…できないよねぇ…。アスタロトはため息をつきながら、イシュタ・ルーの豹変した姿をしばらく見守るしかなかった。
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