(6) チュートリアル・レイヤ
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「だから!…『石田さん』て呼ぶな!って言ってるでしょ!?」
目の前の「超」が2つか3つは軽くつく「美少女」が、ピンク色に染めた頬をプックリと膨らませて【アスタロト】を睨む。
どうにかして主導権を奪いたいという内心もあるけれど、それ以上に、この怒った顔が魅力的で、わざと怒らせてみたりして。
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アスタが、キャラクター設定レイヤを抜け、【アスタロト】としてチュートリアル・レイヤに現れると、待ちかねた美少女【イシュタ・ルー】が、やっぱり可愛らしい怒り顔で仁王立ちしていた。
「へ・ん・た・い…のくせに、何を勿体ぶって乙女を長時間待たせてるのよ!」
彼女の中では、アスタの外見をほぼそのまま引き継いだ【アスタロト】は、第一印象そのままに『変態』で確定してしまったらしい。残念。
いや、まてまて。せっかく高額なCPを費やしてプレイしにきたシムタブ型MMORPGだ。アスタにだって、自分の理想とする【アスタロト】をロールする権利はあるのだ。
ここで大人しく『変態』指定されてはならない。
「俺は『変態』なんて名前じゃない!…【アスタロト】だ!」
アスタの中で想い描ける最高の渋い男を演出し、斜めに見下す目線で【イシュタ・ルー】を睨みつけ、自分の胸の前を、握り拳から突き出した親指でツンツンと突っつくような仕草をしながら宣言する。
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「なにが【アスタロト】よ。どこかのアニメ・キャラをパクったのかしら?…それとも、あんたの本名が『安田ひろと』とか…そんな名前だったりするんじゃないの?…安直よね。きっと。…だから、あんたなんて『変態』で十分なのよ」
アスタは、それほど馬鹿ではない。美少女の今の挑発的な発言を冷静に分析しながら聴いていた。
そして、聴き終えた瞬間、自分の勝利を確信した。
「…俺は…ユリカゴス出身だから、姓は…血族名は持ってないよ。『石田』さんみたいにはね。…あるのは名前だけだ」
面白いように美少女【イシュタ・ルー】の顔色は、短いサイクルでピンクから青、白から赤へところころと変わった。
図星だな。この動揺の仕方は間違いない。「親持ち子女」に違いない。
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「親持ち子女」とは「帰国子女」的な感じの造語で、ユリカゴス育ちではなく、2206年時点では珍しい「生みの親に直接育てられた子どもたち」の総称だ。
別に何も悪いことは無いはずなのだが…なぜかこの時代の若者たちからすると「クールではない」という評価で、あまり自分から進んで「親持ち子女でぇ~す」などと公言する者はいない。
…血族名=姓…の部分が「ありがち」な場合には…特に。
ということで、【イシュタ・ルー】こと「石田さん」も、ご多分に漏れず出来れば血族名は隠しておきたかったに違いないのだが…。
「か…カオルは、そ、そ、そんな血族名じゃ…ないんだモン」
どんな時も冷静さを欠いちゃいけないね。冷静さを欠くと、尋ねられてもいないのに、自分の名前までポロっと口に出しちゃう。
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【イシュタ・ルー】こと「石田 カオル」ちゃんは、自分でも途中でフルネームを全面開示してしまったことに気づいたようで…もう、瞳はウルウル、口はアワアワ…可愛らしいことこの上ない。
いしだかおる→いしゅだ…おる→いしゅた・・る→イシュタ・ルー
偶然にしても、女神イシュタルの名前に似ているキャラクター名にモジったのは、きっと神話や伝説について少しは聞きかじったことがあるのだろう。
「石田さん」の失敗は、自分がそういうモジり方をしたことから、アスタの【アスタロト】も同じようなネーミング・ルールに違いないと思いこんだことだ。
その推理は、なかなかに当たっていたのだが…この時代に血族名を持つ者の方がマイノリティ…少数派であることを失念したのが運の尽きだ。
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危うく『変態』という呼称が確定しそうだったアスタだったが、以上のような逆転劇を経て、なんとかイニシアティブを保持することに成功する。
反撃を試みるカオルちゃんは、「オムツ・マニア」とか「丸出しオトコ」とか…口にすればむしろ美少女にとっては自爆に近いような罵りを飛ばしてきたが、その都度、アスタの「石田さん、それは誤解だよ…」とか「カオルちゃんこそ、人の部屋にノックもなしに突然はいるなんて…トイレへの不法侵入と変わらないよ?」とか…アスタの詐欺的な回避テクニックに翻弄されて…ついに撃沈した。
「わ…わかったわ。カオルもオムツのコトは忘れてあげるから、アナタも、カオ…わ、私のことをリアル・ネームで呼ぶのはやめてよね」
そう言ってイジケる姿も愛らしい。アスタはもう少し虐めたい欲求が沸き起こったが、こういうのは引き時が肝心だ。
何せ、これから【アスタロト】と【イシュタ・ルー】として、このシムタブ型MMORPGデスシムの中で協力していかなければならないのだから。
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「OK…初めまして【イシュタ・ルー】。俺は【アスタロト】だ」
アスタは、そう言って右手を差し出した。もちろん握手をするためだ。
【イシュタ・ルー】は少し戸惑った後、おずおずと両手を差しだし…両方の手の人差し指で【アスタロト】の手のひらと手の甲を両側から挟むようにして…囁くように「よ、よろしく」と言った。
か。可愛いじゃねぇか、このヤロウ。
この時代、ヤロウが「野郎」でオトコの蔑称だなんて誰もしらない。だから、愛情をこめての「このヤロウ」だ。
その瞬間。アスタの脳裏にひとつの記憶が浮上した。「あれ?『石田薫』って…そういえば…もしかして?」
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アスタが記憶を鮮明にしようと思った瞬間…目の前の【イシュタ・ルー】の顔が、青ざめ何かに怯えたような表情になる。
アスタは思い出しシステムを緊急停止させた。オトコのカンだ。きっと、今、脳裏に浮かびそうになった事実は、思い出してはNGだ。
アスタが過去を語りたくないように、【イシュタ・ルー】にも触れられたくないコトがあるのだろう。
だからアスタは…【アスタロト】は、出来るだけ柔らかく微笑んで、自分も両手で、しかし、しっかりと【イシュタ・ルー】の両手を包み込んで、こう語りかけた。
「よろしく【イシュタ・ルー】。せっかくMMORPGの世界へ来たんだ…リアルの自分のことは忘れて、自分の理想どおりのロールプレイを楽しもうぜ!」
ここから、二人の呼称は、アスタロトとイシュタ・ルーだ。いいね?
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「ねぇロトくん!…チュートリアル・レイヤは、どうする?担当くん呼ぶ?」
…あのさ。言ったそばから違う呼び名で呼ぶって、どういうこと?…とアスタロトは、自分への態度が180度反転したイシュタ・ルーに呆れてしまう。
まぁ。『変態』呼ばわりされるよりは、美少女に愛情のこもったアダナをつけてもらえて嬉しいような気もするけれど。
イシュタ・ルーは、アスタロトが意外に優しい面を持っていることが分かると、一気に距離感を縮めて…その結果の親愛の情を「ロトくん」という呼び名で表現することにしたらしい。
「どうしようかな…。イシュタ・ルーは、もう完璧にマスターしたの?」
「ダメだよロトくん。二人はもうGOTOSの絆で結ばれたんだから、私のことはルーって呼んでくれないと!」
えーっ!?…俺もアダナで呼ばないとダメなの?…とアスタロトは迷惑顔になる。
「だってね。他のプレイヤーに、真の名前を知られると、こっちのステータスが全開示になるルールになっているんだもん」
なぬ?…それって、どういうこと?…アスタロトの顔は、今度は疑問形へと変わる。
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「戦っててね。真の名前がばれなければ、ダメージとか相手が分からないし、色々と駆けたり…引いたりできて、えいっ!てやって、やっほー!ってなるんだけど。バレたら、弁慶を人質にとられて、大変な涙目になっちゃうんだって」
??????????…全く意味が分からない…。いや、何となくは伝わってくるものはあるんだけれど…。
重要そうなルールなので、これはちゃんとシステム側のチュートリアル担当に説明を受けた方が良さそうだと、アスタロトは周りを見回した。
「はい。ワタクシを必要とされましたね。このレイヤ担当のジウと申します」
ジウと名乗った担当者は、小柄なアスタロトよりさらに一回り小柄な中性的なキャラクターだった。
「このゲームの基本事項について説明をするのがワタクシの仕事ですが…おや?そちらにいらっしゃるのはイシュタ・ルー様ですね。なるほど、お二人はGOTOS契約をされたワケですね。…いかがいたしましょう。
ワタクシが詳細にフルセットで説明を差し上げることもできますが…イシュタ・ルー様には、既に10回ほど繰り返して説明をさせていただいております。
詳細はイシュタ・ルー様から伝え聞かれるおつもりでしたら、ワタクシはダイジェストでお話をさせていただきますが?」
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アスタロトは考えた。
確かに…ここまでかなりの時間を無駄にしている気がする。ダイジェストで、本当に必要なことだけ聴いて、あとはイシュタ…ルーに細かいことは聴けば、少しでも早くメイン・シナリオへ進むことができる。
シムタブは、ナノマシーンが脳に直接取り付いて、必要な情報のやり取りをしているため、リアルの肉体の反応速度よりも何倍も早い速度で情報のやり取りが可能だ。
そして、MMORPGとしてゲームを成り立たせるためにはシステム・サーバーとの情報のやり取りも必要だが、この時代のサーバーはノイマン型ユニットの他に、量子型ユニットや光ユニット、ニューロ型やDNA型、分子交換型など様々な非ノイマン型ユニットが複数のグリッドアレイとして三次元多層配列されており、処理すべき問題に対して、最適解法判別ユニットが各ユニットへ最も効率的な処理の配分を行うことで、大きな素数の素因数分解や組み合わせ爆発に対しても微少時間で処理を終了させることが可能であり、事実上、サーバー処理の遅延による、いわゆる「サーバーが重い」という状態は皆無となっている。
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サーバーが重くなるもう一つの理由であるデータ・ストレージへの大量集中アクセスについても、シムタブ服用者の脳の休眠領域を仮想巨大容量記憶脳のニューロンとみなした分散仮想記憶型ニューラルネットワーク・ストレージという長ったらしい仕組みを採用して回避している。…要するに、シムネットにアクセスする全員の脳を連結して、一つの巨大な脳と見立て、その巨大な脳の見る『夢』を持って、各ユーザーが共通で認識できる仮想世界に関する情報を構成し、保持するのである。
まぁ、「全員で共通の夢を見ている」と言い切った方がわかりやすいか?
したがって、専用無線ルータを通じたネットワークのスループットが、実際の処理速度を決定する唯一の要因といってよい。
そのスループットも、量子通信の技術が実現されてからは、送信側と受信側の距離に関係なく、送信側の状態変化がほぼ瞬時に受信側に変化を引き起こすという量子の性質により、ほとんどタイムロスがゼロの通信が可能となっている。
はぁ…。長々と記憶の中にある情報処理概論のテキストの一部を思い出しながら、アスタロトは、リアルに残してきたアスタの体が、メディカル・プールの中で、どのぐらいの時間を経過しただろうかと考える。
理論上は、ほぼゼロ時間の中で、ログイン後、アカウント登録からチュートリアルを受けるまでの処理が可能なハズだ。
だが、実際には、シムタブ型ゲームの運営会社が意図的な遅延処理プロセスを挿入することで、ゲーム内部とリアルとの間での時間倍率を自由に設定できる。
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「あの。フルセットかダイジェストのどっちにするかを決める参考にするから、このゲームの仮想対実時間レートを教えてくれる?」
アスタロトは、数々のシムタブ型MMORPGで廃人クラスとして腕をならしたベテラン・ユーザーである。
ゲーム内で調子にのって良い気分でプレイしている最中に、リアルの肉体が生理現象や空腹、病気にかかるなど様々な事情で異常をきたし、肝心の場面で、シムタブのセイフティー・リミッターにより強制ログアウトされてしまう…という間抜けなプレイヤーたちを横目に、しっかりとしたログイン設計を頭の中で組み立ててゲームに臨むのを習慣づけている。
ラスボスと遭遇直後に強制ログアウトなどという目に合わないように、きちんとリスクを頭にインプットしておくのだ。
「はい。当ゲームの仮想対実時間レートは30:1でございます」
なるほど。アスタロトはイメージしてみた。30:1というレシオは、つまり、アスタロトとしてこの世界で30日分の経験を味わうと、リアルに残してきたアスタの肉体は1日をメディカル・プールに浸かって過ごす…という意味になる。
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1年間過ごしても、12日と少し。メディカル・プールは、故障さえしなければ数ヶ月単位の体調管理や介護が可能な性能を有しているので、あまりリアルの状況を心配せずにじっくりとこのゲームの攻略を楽しむことが可能だという結論になる。
従って、フルセットを選ぶか、ダイジェストにするか…は、ぶっちゃけアスタロトの気分次第で決めて良いということになる。
そこで、ふと、アスタロトは隣でニコニコしているイシュタ・ルーのことを考える。
確か、前のレイヤの担当ソウジが言うには、イシュタ・ルーこと「石田カオル」さんは、自分より49時間前にアカウント登録したと言っていた。つまりは、アスタの約1時間40分前にログインしたと思われる。
「そう言えばさ…イシュ…わ、わかったよ………ルーさんは、短期間のログインの予定なのかな?」
アスタロトが、イシュタ・ルーと呼びそうになると、イシュタ・ルーが不機嫌そうに睨むので、諦めて「ルーさん」と呼びなおしながら聴いてみた。
「なんで?…このゲームが面白かったら、ずっとインしてるつもりだよ。だって、一度ログアウトしたら、もう二度とログインできないんでしょ?」
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「はい。その通りでございます。当ゲームのシミュレーター・タブレットには、ログアウト後にも一部、アポトーシス機能を持たない残存定着用ナノマシーンが配合されています。これの有無をログイン時に判別して、過去に1度でもログイン経験があるとログインをしようとしても、強制的に終了フェーズに移行するようになっております」
アスタロトは、女性に聴くべき内容ではないと思いながらも、ついつい聴かずにはおれず、確認をしてしまった。
「じゃぁさ。ルーさん。このゲームで2ヵ月とか3ヵ月過ごすと、リアルのルーさんの体は2日分の変化をしているってことだけど…その…ど、どういう状態でログインしてるの?」
その問いに、やはりというか…当然というか…顔を真っ赤にして、アスタロトの左腕を両拳でポカポカ叩くイシュタ・ルー。
「女の子に、そういうこと聴く人なの?ロトくんて、本当に大変態だよね?」
あぁ…。そういうことか。人の姿を『変態』とか、散々言っておきながら、実は自分だって…ごにょごにょ…なんじゃないか。(ごにょごにょ…の部分は自主規制)
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ま、まぁ…アダプターには、オムツ型の他にも、女性向けにもう少しファッショナブル?なヤツもあるらしいけど…。ワンピースタイプとか…フリル付きとか?
想像すると、仮想の体でもひょっとして鼻血が出たりするかも…というか、本当に『変態』になってしまいそうなので…アスタロトは深呼吸をして、頭の中で複素数の因数分解の公式を思い出しながら気持ちを静めた。
「わ、わ…私は、膝を揃えて体操座りの姿勢だったんだからね!」
い、言わなくても良いことを…イシュタ・ルーは真っ赤な顔を見られないようにアスタロトに背を向けて、かつ、深く俯いている。
ついにアスタロトの鼻からは、大量の出血とあいなった。
「…えぇと。もっと後半でご説明さしあげる予定でしたが、このゲーム内でも、リアルの肉体とほぼ同じように、出血や体の一部分の形態変化は起きますので…ご注意くださいね」
さすがは集団で見る『共有夢』といわれるシムタブ型MMORPG。現実の肉体で起きる生理現象についても、リアルに再現できるらしい。というか、凄い再現性だな。本当に貧血になりそうな気がしてきた。アスタロトは、ジウからおしぼりを出して貰って、鼻血で汚れた顔を拭いた。
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「そ、それじゃぁジウ。時間的には余裕があるんで、フルセットの説明をお願いするよ。ただし、話の途中でも後でイシュタ・ルーに聴けば良さそうだな…って判断したら、その時点で、その内容についてはスキップしてって言うから。それで良い?」
「かしこまりました。アスタロトさまの仰せのままに…」
小柄で中性的なジウが、大人びた口調で深々と頭を下げる姿は、逆に迫力があるな。
アスタロトが、そんなことを考えていると、ゆっくりと最敬礼の状態から体を起こしてくる。
何となく不気味にも見えるほどに瞳をランランと光らせ…作り物のような笑顔を浮かべたジウが、ゆっくりとフルセット版のチュートリアルの内容を話し始めた。
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