(3) インストラクションズ・レイヤ
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「飲んじゃった」
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実は、デスシム購入後も、アスタはアスタなりに悩みはしたのだ。
「これ飲んでる間は、他のシムタブゲーム…遊べないんだよな?」
ガクッときてはいけない。将来は、間違いなくシムゲ廃人になるだろうアスタにとっては、重大な問題だ。
ちなみに、シムゲとは、ネトゲに対する新造語だ。じゃぁネトゲは?というアナタは、本当はこの世界には近づかない方が良いのかもしれない。自分で調べてねというのは簡単だが…ここでは一応ネットワークゲームやオンラインゲームの通称だと思っておいて欲しい。
つまり、シムゲはシムタブ型ゲームの略だ。略す程のことでもないが。なんとなく。
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服用にあたり、アスタは注意深く説明書きを読んだ。
恐怖こそ味わわずに済んだものの、前回は危うくデスゲームの被害者に名を連ねるところだったのだ。その時、アスタの友人とぶべきシムゲ仲間も何人か死んだ。
彼らのことをそれほど好きだったか?…と自問自答するが…面倒臭くなってアスタは考えるのをやめる。彼らのことを考えたって、彼らが現実世界にログインしてくることは二度ともう無いのだ。トッププレイヤー争いから脱落したことを恥じて最近姿を見せない別の仲間と、デスゲームに魂を捕らわれて死んでしまった仲間との違いが、アスタにはどうも区別できなかった。
アスタは、自分が他の誰かから…「あいつ、最近見ないけど、脱落したのか?」…とか言われるのが、想像するだけでも恐ろしかった。
だから、注意深く説明書きを読んだ。
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アスタに限らず、2206年現在の未成年者の思考なんてこんなものだ。
シムタブの学習効果と、ナノタブによる健康維持が、この時代の非生産人員をかなり自由な暮らしにさせた。
人脈=仕事の成果となるような職業を目指す一部の者以外は、学校で集団学習をしたり、協調性という価値観を学びとる必要がなかった。
ユリカゴスD-18の利用負担金は、預けられた子どもたちが生産義務化年齢に達するまでの生活を十分に保障する。
だから、17歳になったばかりのアスタは、最低でもあと1年は文字通り「遊んで暮らせる」状態が保障されているのだ。18歳になった時に受ける、ナノタブ診断による潜在的能力適性の判定如何によっては、さらに2年。20歳になるまで遊んで暮らすことも夢ではない。
この時代、シムタブへの適合指数が大きいと診断され、シムタブネットワーク(シムネット)のオペレータ等の職業に採用されれば、生産義務化年齢になった以後も遊んで暮らせる収入が得られる。
そのため、ある種の都市伝説として、シムタブ型MMORPGのトッププレイヤーは、シムタブへの適合指数において、他の者より有利になると信じられていた。
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だからアスタは、デスシムなんて得たいのしれないゲームを手にしたのは、本当に気まぐれにすぎない。
本当は、国内最大の規模を誇るシムタブ型MMORPGの「リフュージョン」に、一刻も早く復帰して、トッププレイヤーのグループに返り咲かないといけないのだ。
大勢が鎬を削る「リフュージョン」でトッププレイヤーと呼ばれ続けるには、相当のストレスを感じながらも、ありとあらゆる努力が必要なのだった。
だから、そのストレスを一時的にでも発散しようと、多くのプレイヤーが手を出したのが、件の「ほのぼの系MMORPG」だった。農作物や家畜を半自動の手間いらずで育てながらも、戦闘はあるが二の次で、ほんわかとした謎解きやサークルチャットの交流などで、まったりと楽しめるのが人気のゲームだ。「ほのぼの(略)」は短時間のログインでも、ゲームの進行速度にそれほど支障はなかったため、「リフュージョン」の片手間に、平行して遊ぶユーザーが、以外と多かった。
「ほのぼの(略)」は、結果として悪魔のデスゲームとなってしまったが、「リフュージョン」ユーザーの多くは、それ以外のゲームを平行して遊び、ストレス発散をするのが常識だった。
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だからアスタも、本当は、ログインとログアウトを短時間に繰り返しても支障のないタイトルを選ぶべきだったのだ。
でも、どうしても、シムタブのパッケージに惹かれてしまう自分がいる。
箱の説明書きには、こう書いてある。
「Death Simulator服用中は、ゲームクリアーするまで他のシムタブ型ゲームをプレイすることはできません」
今時、途中でセーブして中断することが出来ないゲームなんてあるんだろうか?
アスタは、説明書きの趣旨をうまく理解しかねる。
うまく理解できない微妙な感じが、ちょっと覗いてみたいという強い誘惑を産む。
「デスゲームじゃないって書いてあるし…嫌ならクリアーせずに、ログアウトしちゃえば良いよね」
怖いもの見たさ?…そんなノリで、アスタは真っ黒な錠剤を口に放り込んだ。
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「飲んじゃった」
そして、冒頭の台詞をつぶやいたのである。
シムタブに味はない。冷たくて硬い感触が、水と一緒に喉を流れていく。味付きのシムタブも希にあるが、味わうためのモノでは無いので、誰も味付きであることに価値を認めない。
まだ、ここで思いとどまって吐き出せば後戻りは可能だ。
可能だからと言って、アスタはそんなことはしないのだけれど。
クリアまでにどの程度の時間がかかるのか確かめてなかったのを思い出し、念のため重病にかかった時に一人暮らしでも困らないように各家に設置された、メディカル・プールに体を浮かべておくコトにした。
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メディカル・プールは、ぶっちゃけ小さなバスタブだ。見た目は全くそのもので、ただし、特殊な薬液とバスタブを制御する小型の介護マシーンが、衰弱した体の介護を完璧に勤め上げる便利な生活必需品だ。
皮膚から浸透するタイプの体調管理用の液体型ナノマシーン(通称:ナノウォータ)が体調を完璧に維持する。それから必要に応じて栄養の補給もできる。
老廃物についても、ちょっと抵抗があるけどオムツ型のアダプターを履いておけば、問題ない。気にする人もいるけど、慣れの問題だとアスタは割り切っている。
とにかく、メディカル・プールに浸かっておけば、ゲームが予想外に面白かった場合に、数日ログアウトしないで遊んでも、現実の肉体の心配をする必要は無くなる。
ゲームに専念できるから、オムツ型アダプター様々だ。とアスタは思った。
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メディカル・プールに浮かびながら、シムタブの効き目が現れるのをアスタは待つ。
時間の無いプレイヤー用に即効型のシムタブもあるが、アレはログイン後に、なぜか酩酊感に悩まされるという副作用があるからアスタは嫌いだ。
やはり、脳の機能に無理矢理割り込む仕組みのシムタブは、僅かではあるが脳に負担を与えるのかもしれない。
だから、推奨されているシムタブは、通常の頭痛薬が効き始めるのと同じ程度のタイムラグが、服用してから効果を発揮するまでにあるのだ。脳への負担を緩やかにするための緩衝時間なのだが、アスタにとっては現実の自分から仮想の自分へ気持ちを切り替える大事な時間だった。
お気に入りの音楽を聴いているうちに、現実の視覚からの情報と、シムタブが作り出す仮想空間の映像がクロスオーバーして、うたた寝の眠り際に近い感覚でアスタの心をゲーム内へと誘った。
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「ひょっとして。またバグ?」
シムタブ型MMORPGのクライアント・レイヤーの起動は正常に行われた…とアスタは感じたのだが、アスタの視覚情報には暗黒以外の情報が現れてこなかった。
つまり、真っ暗闇の中で、自分の手足も見えない。そういう状態だ。
「やっちゃったかな?」
と不安が意識に広がり始めた直後、その声が突然、アスタの聴覚を刺激した。
『ようこそ。この度は【Death Simulator】をお買い上げいただき、誠にありがとうございます』
男性の声だと言うのは分かるが、オクターブ違いの音程で低い声から高い声まで、少なくとも4オクターブぐらいの幅をもったオクタ-バーというエフェクトがかかったような声に聞こえる。ミドル域の周波数のゲインが大きく、それ以外のゲインがバランス良く小さくしてあるので、不思議と不快な響きではなかった。
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『まずは、このゲームに関する最も重要な注意事項をお伝えいたします』
うへぇ。面倒クッサイ…早く遊ばせろよ…と思ったものの、まだアスタの回答フェーズが来てないようで、声として再生されることはなかった。
『お買い上げいただいておきながら、誠に申し訳ないのですが、お聴きになった内容が了解できない場合、ログインせずに終了フェーズへお進みください』
へ?…アスタの間抜けな思考は、これまた音声化されない。
『その場合には、ご購入後1ヵ月以内のご返品であれば、購入明細データのご呈示をいただくことで、購入店舗で全額返金させていただきます』
【注意事項を聴く】 【終了フェーズへ進む】
アスタの視覚に、2つの選択肢が示された。白く光る公文書用第2書体で視覚化された文字の眩しさに、アスタは目を細めようとしたが、まだ、肉体構成フェーズまで進行していないため、それはかなわなかった。
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■選択>>【注意事項を聴く】
中には、いきなり返品の説明をされるという無粋さに腹を立てて終了フェーズに進む者もいるかもしれない。でも、アスタは当然、ゲームを進める方を選択する。
『ありがとうございます。それでは、注意事項を説明いたします。
このゲームは、その名が示すとおり、ユーザーの皆様にリアルな【死】を体験いただきます。ナノタブ登場以前に存在した、身近な【死】を追体験していただくことで、命と人類の意味について、今、一度、考えを深めていただこうというのがゲームの趣旨です』
うわぁ。クソゲー!キター~~~~~~!!!!
何という、つまらない趣旨なんだろう!
真面目すぎて気絶しそうだよ。アスタは、自分の選択が早くも誤っていたことを知り、後悔をし始める。
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『ここまでの説明で、このゲームが、あの忌々しいデスゲームなのではないかと不安に思われたかもしれませんが…ご安心ください』
そんなこと思ってないよ。クソゲーを掴んじゃった後悔でいっぱいだよ。
アスタの思考は、未だ音声化されることも、ゲームマスターと思われる、その声の主に伝わることもない。声は続ける。その口調を、急にくだけたものに変えて…
『デスゲームじゃありませんから、安心してログアウトしてください。ただし、一度、ログアウトすると…2度とログインできませんけどね?』
え?
肉体構成フェーズはまだだというのに、今、確かに背筋の辺りがゾクッとした気がする。鳥肌が立つような感覚も、存在しない体を包む。
『だって、そうでしょう?ゲームとはいえ、このゲームでは究極のリアルさを追求してますから。世界から消えた人間が、平気な顔して再生してくるなんて…インチキでしょう?リアルな人生にセーブポイントなんてありませんからね』
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『従って、このゲームの唯一のログアウト方法は、ゲーム内で死ぬことです。生きている人間が、平気な顔して忽然と消えるなんて、滅多にありませんからね?』
アスタは、当然だけれども、声がでない。色々な意味合いで。
『ただし、現実と同様に、あなたが慎重に行動すれば、何だいじょうぶ、そうそう危険はありませんよ。自分からログアウトする場合は、現実と同じ程度のバリエーションのログアウト方法が用意されています。ただし、ご安心下さい。それまでのゲームデータを失い、二度と取り戻せない…というペナルティ以外には、あなたが失うものは何もありません』
アスタは、喩えようのない迫力に、ゴクリと唾を飲もうとして、まだ自分にそれが不可能なことを思い出す。
『その後のゲーム世界がどうなるか…あなたは二度と知ることは出来ませんが、現実の世界にいるあなたの肉体の安全は保障いたします。現実の体は死ぬことなく、それ以後であれば、他のシムタブ型ゲームを再びお楽しみいただけます』
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「な、なんか死をテーマにするって、不謹慎な感じがしない?」
アスタは言ってビックリした。音声化されないと思って念じたつもりが、いつの間にか発声可能になっていたからだ。
未だに暗闇の中なのに、ゲームマスターの男が、ニヤリと笑った気がした。
『そうでしょうか?都合が悪くなったらリセット。1機死んでも残機があれば継続可。残機がゼロでも、セーブデータがあれば、そこから継続。そもそも人型キャラクターを1機2機と表現する。その方が、よっぽど【死】に対して不謹慎なんじゃないですかね?』
このまま肉体構成フェーズに移行してしまうことに、言いようのない恐怖を覚え、アスタは声を出すことを躊躇った。
『このゲームは、その1点においてリアルさを追求しますが、ユーザーのみなさまを絶対に退屈させない、スリリングでファンタジーな仮想世界を、自信を持ってご提供いたします。この後の、キャラクター設定と、スタート地点設定で、あなたのお好みの人生設計を存分にお楽しみください。ゲームスタートと同時に、あなたの【理想世界】がスタートします』
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クソゲーだ。クソゲーに違いない。騙されないぞ!
アスタは、再び音声化されないように、慎重に心の中でだけ叫ぶ。
『おや。怖じ気づかれましたか?…このゲームをお手にされるような方ですから…マニアで廃人クラスのゲーマーとお見受けいたしましたが…大丈夫ですよ。最後の扉をちゃんとご用意しております』
【アカウント登録に進む】 【【終了フェーズに進む】】
また、視界を輝く文字が横切る。今度は、ご丁寧にデフォルトの選択肢として「終了フェーズに進む」の方が強調されている。嫌みなヤツだ。
相変わらず、視覚情報には、文字データ以外の何も入力されてこない。どんなゲームなのか、まったく情報が与えられない中での、究極の選択?を迫られているようだ。
面白いという保証が全くない。クソゲーに決まっている。
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しかし、数瞬の逡巡の後。アスタの選択は、音声化されてアスタの聴覚を叩いた。
「しゅ………【アカウント登録に進む】を選択!」
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