(2) デスシム購入
●長い説明や複雑な設定に興味のない方は、第2章から読み始めてくださっても結構です。(後半で「?」という設定が出て来たら、その時、こちらへ戻って来て確認する…というのもアリかもしれません)
●でも、この「設定があるから面白い!」と後半まで根気よく読んでいただいた方からは言っていただけていますので、良かったら後半をより楽しむためにも、読んでみて下さい。
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「これはデスゲームでは、無いDeath!…とかへヴィなほうがキャッチ-じゃね?」
昨日17歳になったばかりの明日太は、1日遅れの誕生日プレゼントを自分で物色中。
偶然、手に取った最近流行りのシムタブ型MMORPGのパッケージに、独り寂しいツッコミを入れる。
アスタは、手に取ったパッケージをしげしげと眺める。
そのパッケージ、大きさのイメージは頭痛薬の錠剤の24錠入りパッケージと同じぐらいのコンパクトなサイズ。
シムタブ型のゲームは、色々あるけれど、どれも宣伝効果を狙って、無意味に大きいパッケージのモノが多い中、これは、珍しい大きさ…というか…小ささだ。
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アスタは、独り暮らし。でも、2206年現在のこの星では、特に珍しくもない。
人々は、今も昔も変わらず恋をすると…愛にまで行こうといくまいと…ヤるコトをヤれば、子どもが生まれるワケで、アスタもそうした誰かの子ども。
でも、誰の子どもかなんかは、アスタに限らず分からない。恋をして、ヤるコトをヤって子どもを作った男女は、そのまま二人の関係を続ける場合もある。けれど、すぐに別のパートナーと同じことを繰り返す場合も多い。
この時代は、そういう時代。個人主義とかいう言葉も、特に悪い意味では使われていない。子どもが出来たからって、自分の楽しみを捨てて、子育てに専念するのは少数派。
まぁ、その少数派にとっては、子育てが楽しみなんだから、別にそれはそれで非難されない。
子育てしない二人から生まれた子どもは?…なるほど、当然の疑問だ。でも、それは、ナノタブの無かった時代の疑問だ。今は、ナノタブがあるから、子どももちょっとや、そっとじゃ死ぬことはない。事故による怪我も、病気も、それほど怖くない。
政府が研究機関に委託して開発したシステム、「ユリカゴスD-18」。産んで、育てる気の無いカップルは、施設の受付で、一定の負担金を納めれば、そこで子どもとは、それっきり。
後は、自分が誰の子か知らない子どもが、ユリカゴスに大切に保護されて、適度な栄養環境で、ちゃんと育っていく。
昔の倫理観の強い人たちからすると、鼻血が出るかもしれないが、産みの親の片方と、ユリカゴス出の性別の異なる子が、街で出会って恋をして…ってなコトも、誰もそうとは気が付かないだけで、普通に起こりうること。
近親婚による遺伝的形質異常なんて心配も、今は昔のコト。ナノタブ万歳。一粒ひとつぶは、まだ万能薬とは言えない。でも、治療すべき症状に合ったナノタブを摂取すれば、一刻を争うような重大な怪我や病気でなければ、ほぼ完璧に治っちゃう。
だから、アスタは単なる「明日太」であって、親との繋がりを示す「氏」とか「名字」とかつて呼ばれた前置符号は持っていない。アスタは、ただのアスタ。
それじゃぁ、同じ名前の人が多くなっちゃって分かり難くない?って…別に、昔だって、同姓同名の人はそこそこ居たけど、どうとでもなったでしょ?
あだ名で呼ぶもよし。地名やら、何か身体的特徴を前置符号として付けてもよし。
呼ぶ人によって、アスタのことを、違う呼び方で呼ぶのだってOKだ。アスタは、別に困らない。「おい、お前」と、そもそも名前じゃなく呼ばれても、文脈から自分が呼ばれてると気づくのだから。
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だから、アスタは、自分で自分の誕生日プレゼントを買う。
誕生日というモノ自体に、今はそんなに価値は無いが…アスタは、残り少ない生活費を食費以外に当てる言い訳に、敢えてプレゼントと心に言い聞かせている。その行為に、まったくもって意味はない。
前述のとおり、そのゲーム「Death Simulator」のパッケージは小さい。面倒臭いので、アスタは、勝手に「デスシム」という通称で呼ぶことに決める。
黒い長方形のパッケージに、赤い洒落た書体でゲーム名が記載されている。しかし、そのオシャレさを無意味にする事務的な書体で、注意書きが表示されている。
公文書用第1書体で記載されているのは、このような一文だった。
「注)これはデスゲームではありません」
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デスゲーム。
スリルは最高だが、危険を伴い、最悪の場合、【死】が待ち受ける…ゲーム。
ナノタブが普及して、【死】が人類にとって、それほど意識せずともすむようになった現在。それだからこそ、シムタブ型ゲームの黎明期に、プログラムのバグにより引き起こされた悲惨な大量死亡事故は、一時期シムタブ反対運動に発展しかけるほど、人々に脅威を与えた。
シムタブを服用した結果、ゲームからのログアウト処理に何らかの支障が出て、規定時間を超えたナノマシーンによる脳細胞への干渉が、脳内に腫瘍などを発生させ、最悪の場合、本人が気づかぬうちに死に至る。
個人主義の時代。家族が異常に気づくことも無い。家族が居ないケースが少なくないのだから。過去にライトノベルの題材になった数多のデスゲームと違い、初期のシムタブ型デスゲームは、ログインしている本人は、全く普通にプレイを楽しんでいる最中に、ログアウトだけが出来ないという閉じ込められた状態に陥る。が、それだけ。
本人は、閉じ込められたといっても、誰かの悪意によるデスクエストが存在するワケでもなく、どんな冒険を繰り広げようと、ゲーム自体は、ログアウトとは何の関係もなく、普通に進み…。
気が付くと…というか、気が付くことなく、ある時、現実の肉体が【死】を迎えて、ゲーム内の自我が突然に消失する。
同様に閉じ込められている、他のプレイヤー達は、最初は、そんなに深刻さを実感できず、「まぁ、どうせログアウトできないなら、存分にゲームをヤリ込もう!」などと呑気に構えていたらしいが、1人ふたりと、忽然と消えていくプレイヤーを見るにいたり、恐怖が爆発した。
何故なら、恐ろしいことに、自殺もできない。本当の【死】を肉体が迎えるその時まで。ゲーム内で死んでも、始まりの広場にアイテムをロストした状態で戻るだけ。
いつ、自分が消失するのか、ゲーム内では、誰にも分からない。
悪意に狂ったゲームマスターが居るわけでもないから、憎む対象も居ない。強いて言うなら、そんなゲームタイトルに手を出してしまった自分を呪うより他はない。
救いようのないデスゲーム事件は、ナノタブ時代にしては不審な死者が多数発見されるに至り、その死者が共通して購入した「ほのぼの系MMORPG」のバグによるものであることが判明するに至る。
社会的批判の集中するなか、「そんなこと言ってる場合じゃない」という極めてもっともな意見を言う工学医療技師が現れ、シムタブ除去薬を開発する。
かくして、過去に例のない、悪意が不存在なのに、誰も気づかぬままに大量の命を奪ったデスゲームは、その後も長く、人々に後味の悪い思いを残した。
ゲーム内で恐怖にさらされていたゲーマーたちの心理的負担は凄まじかったらしく、幸運にも【死】を迎える直前に、シムタブ除去薬の投与により一命を取り留めたものの、ゲームからのログアウトと、自己の消失との違いが分からずに、自分が死んだものと思い込んで、精神的に社会復帰できない状態となった者もいたという。
その後は、シムタブ1錠あたりのログイン時間を限定し、その時間を過ぎると、ゲームデータをネットワークサーバー上のユーザーエリアに自動でセーブし、シムタブがアポトーシス機能により自壊して、強制ログアウト状態を作り出すセーフティシステムが推奨されることとなった。
前述のシステムを採用しない場合でも、一つのバグでログアウト不可に陥ることがないように、ログアウト手段や条件を、必ず複数用意し、万が一の発生を抑止することが義務づけられた。
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アスタも、そのデスゲームの事件は知っている。
何故なら、アスタもそのゲームのユーザーだったからだ。
しかし、大抵、人より一歩、流行から乗り遅れるタイプの自称のんびり屋さんなアスタは、そのデスゲームのシムタブを服用し、チュートリアルを受けている最中に、シムタブ除去薬を投与されて、無事に生還したのだ。
だから、アスタのデスゲームへの恐怖は、他の多くの犠牲者のそれとは少し違う。
いや、かなり違うと言うべきか。なぜなら、ログアウトできない…という恐怖と戦うことは、1秒たりともなかったのだから。
デスゲームの被害者の多くは、セーフティシステムが採用された後であっても、シムタブの服用を拒絶する者が多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した者が多いということだ。
形状が似ているため、医薬用のナノタブですら、服用を嫌がる者もいるという。
後に、そういう障害を抱えた者たちが集まって、反ナノタブを教義とする新興の宗教団体が興ったりして、怪我や病気になっても、ナノタブの服用を拒み、過去と同様に死んでいくを潔しとする集団が現れるが…それは別の話である。
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アスタは、しばらくパッケージを見つめていた。
一つ間違えば、前回のデスゲームで、自分は死んでいたかもしれないのだ。ゲーム購入のタイミングが、たまたま遅くて助かった。
そう考えて、シムタブ型のゲームを自重しよう…と、先週も思ったところなのだが…シムタブ型のMMORPGは、それ以前のどんなゲームよりもリアルで、そのくせゲームなので、現実の肉体には無いさまざまな能力を扱うことができ…まぁ、とにかく魅力的なのだ。
死ぬよりも?
アスタの心の中で、別の自分が警告を発する。死ぬよりゲームが好きか?
そんな大げさな問題なのか?と、すぐにアスタは楽観モードに切り替わる。マリンスポーツでも、雪山スポーツでも、そこで大きな事故が起きれば、いくらナノタブがあったって、事故死は今だって存在するのだ。
それでも、海好きな連中は海に入るし、山好きは山に登り、また雪と戯れる。
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それに、これ「デスゲームではありません」って書いてあるし。
普通なら、胡散臭い…と思うべきキャッチコピーなのだが、アスタは、どうしてもそのパッケージに、何か惹かれてしまう。
真っ黒な長方形のパッケージ。背面には、若干のゲームの説明も書いてあるが、なにせ、24錠入りの風邪薬のパッケージと同じサイズだから、そんなに沢山の説明は記載できない。せいぜい、それがMMORPGで、ログアウトも可能。昔、狂気に至ったゲームマスターが設定したような、ゲーム中での死=現実の死…なんてこともない…程度の記述があるだけ。
うん。これは、デスゲームじゃない。だって、そう書いてあるじゃないか。
(前述のほのぼの系MMORPGも、デスゲームですとは書いてなかったのだが、それは考えないアスタ)
とにかく。本当は自分がいつ生まれたのかも知らない…実は、昨日ユリカゴスから17歳到達通知が配送されてきただけの…アスタは、今日は一日遅れの誕生日プレゼントを購入するんだ!…というシチュエーションを設定し、自分の背中を押した。
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すいません。これ買います。
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