振りだし
「……これでいい」
最後の一冊の本を、ドサリと床に叩き落とす。残念ながらこの棚は固定されていて、倒すことが出来ない。代わりに思いっきり蹴っておく。
ふと、あたりを見回す。
紙も本もすべて落ちて、棚という棚が床に倒れ込んで者というものが散乱しきった部屋。
その状態に満足して、グシャリとわざと大きく、そして紙が破れるように、入ってきたドアのちょうど反対にある窓を飛び下りようと開けた瞬間、
「!」
荒い息遣いと足音。そして名前を呼ばれて思わず振り返る。
「……なんで貴方がこんなところに居るのよ。
出てって」
まさか、追いかけてくるとは思っていなかった。
私の“昔の”最愛の人――明人。
向こうから告白してきて、支えるって誓って、でも本当に支えてほしい時には居てくれなかった最悪の人。フった時は確か、他の女の人とお酒ばかり飲んで私と話すことなんて殆どなかった。私が話しかけなかったのもあるけれど。
「稚奈……、君が出ていくのは構わない、稚奈が望んだ事なら。寂しいけどね。
でもアイツのせいなら――」
「やめて。私が望んでることなの。だから出て行って」
明人の言葉を遮り、落ちていた厚めの本を投げつける。
避けられるスピードのものだったのに、敢えて明人は「……いてっ」ぶつかった。
「バカじゃないの」
そんな明人を冷たい目で一瞥して、窓から身を乗り出す。
その刹那、ぐいと力強く引っ張られそのまま抱きしめられる。
「……今更遅いのよ」
思わず口から出たそのセリフと涙。きっと明人からは見えていないだろうな、なんてぼんやりと思っていたら「ごめん」と一言だけ降ってきた。
その言葉を無視して、「放して」と言う。
「俺は稚奈を支えたいんだ、お願いだから、エゴでも何でもいいから稚奈を支えさせてくれ」
そんな事を返してきて、更に力強く抱きしめてくる。
「支える?
……そんなの誰が信じると思うの?
私の事放っておいて酒ばっかり飲んでたくせに!
第一付き合った時だって秘密だって言ってたじゃない、それでどれだけ私が苦しんだか知らない人なんかに、いつも問題があるときに助けてくれない明人なんかに、支えてほしくなんかないわよ!!」
気付けばぼろぼろと涙を流しながら、暴れていた。
それでも、明人は放してくれなかった。
「今更……今更……酷い……」
嗚咽混じりにそう言えば、「そうだね、俺は酷くて最低だ」と言ってきて。
「解ってるならどうして近寄ってくるのよ!」
肘で思いっきり腹当たりを突く。小さく呻き声が聞こえたが、腕はまだがっしりと私を包んでいた。
それに苛立った私は、切り札として隠していた事を言い放つ。
「私ね、他に恋人が居るの。
簡単に言えば浮気したのよ」
どう?これでも支えられると?と、今度こそ放してくれるだろうという、絶対の自信を滲ませながら付け足す。
「…支える」
そう呟けば、スッと離れる明人。その一言を無視して、窓から飛び降りようと思えば今度は腕を掴まれていた。
「……明人、貴方馬鹿なの?
自分を裏切った奴を支えてどうするの?」
せせら笑うと、ぎゅっと強く腕を握ってきて。
「痛い」
きっと振り返り睨みつけると、俯いた明人が目に入って一瞬罪悪感が湧いてくるが、ふっと顔を上げて「恋人としてじゃなく、兄として君を支えて良いかな」なんて言ってくる。
元々私たちは、兄妹の延長の様な関係の恋人関係だった。
実際に血が繋がっているわけでもなく、ただごっこ遊びの様な兄妹が、恋人関係になっただけ。
キスも何度かしたけれど、それ以上の関係になることはなかった。
きっと、私が幼いのもあって遠慮したんだと思う。けれど、私にはそれが悲しかった。それをして良い年齢ではない、君はまだ幼い、と言われているようで仕方がなかった。
対等の関係を望んで、足掻いて、結局無駄になって。
また、はらりと涙が頬を伝い流れ落ちた感覚に、ふっと記憶をたどるのをやめて、「変な人」と明人に言った。
そして少し深呼吸して、「好きにしたら」となるべく冷たく言い切る。
「ありがとう、宜しくね」
何処か切なげに返ってきた返事。その切なさに気付いて無いフリをして、「部屋片づけるから出てって」と強引にドアから出す。
出したときに、ふと視線が行った先の幸せそうに笑っている私と明人が映っている写真を拾って、丁度真ん中から破って八つ裂きにし、開けっ放しの窓から風に乗せて飛ばした。
三日後、私は三日前と同じ時間に窓の下へ飛び降りた。
そして、下に待っていた恋人の胸に飛び込んで。
僅かな、明人“兄さん”への淡い想いを胸にしまい込んで。