第四話 「繰り返す朝4」
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四度目の朝を砂浜で目を覚まし、タルクとの会話も繰り返し、
四度目のシアとの会話は、廃墟の北区画で行われた。
「また来た」シアは言った。
「四回目だ」レインは答えた。
「記憶が……だんだん繋がってきている」シアは自分の額に手を当てた。「昨日は夢の欠片だったけど、今日は少しはっきりしている。あなたと廃墟で話した感覚。石板の前に座った感覚」
「良かった」レインは言った。「俺も少しずつ、分かってきたことがある」
「何が?」
「このループの二十四時間。毎朝砂浜でリセットされる。俺には完全な記憶が残り、君には夢の欠片として記憶が残る。タルクさんなど他の住民には何も残っていない。そしてこの現象は、少なくとも百五十年以上続いている」
シアが少し驚いた顔をした。「タルクに聞いたの?」
「あなたがここに百五十年以上いると、タルクさんの父親の代から言い伝えられていると聞いた」
「……詳しいね」
「情報を集めることが、今の俺にできる最善だから」
シアはしばらくレインを見ていた。それから岩の上に腰を下ろし、少し考えるように膝を抱えた。
「正直に言う」シアは言った。「百五十年どころじゃない。私がここにいるのは、もっとずっと前から。三千年前から、私はここにいる」
「三千年」
「そう。三千年前にこの島で何かが起きて、私はここから出られなくなった。何万回もループして、あなたが来る前は完全にリセットされていた。毎朝、何も覚えていない状態で始まって、また何も覚えていない状態で終わる。それが何万回も続いた」
「それは……」レインは言葉を探した。「途方もない時間だ」
「途方もない」シアは静かに繰り返した。「最初は怖かった。次は怒りがあった。その次は悲しかった。でもいつの頃からか、何も感じなくなった。ただそこにいるだけになった」
「今は?」
シアが少し間を置いた。「今は……あなたが来てから、また少し変わった気がする。あなたが毎回覚えていてくれると分かってから」
「俺が覚えているから?」
「誰かが覚えていてくれる、というのが……こんなに違うとは思わなかった。何万回も独りで繰り返してきたけど、誰かに記憶してもらったのは初めてだから」
その言葉は静かだった。感傷的でも、訴えかけるようでもなかった。ただ、本当のことを言っているという確かさがあった。
レインはしばらく黙ってから言った。「俺はここから出るつもりでいる。ループを終わらせるつもりでいる」
「分かってる」シアは言った。「だから、今日から少し、詳しい話をしようと思う」
―――
岩の上に並んで座り、シアがヴェルン文字について説明し、レインが廃墟を歩いて確認し、また戻って質問する。その繰り返しだった。
「これはどう読む」レインが写しを見せると、シアが考えながら答えた。「……方角と深さの記録かな。ここから見て南西方向、水深で言うと……この単位はよく分からない。ヴェルン王朝独自の長さの単位だから」
「方向と深さ」レインは石板の写しに書き込みを加えた。「海底への道順か?」
「たぶん。ヴェルン王朝は海底にあったから、地上から海底への案内標識のようなものが各所にあったと思う」
「海底に、今も何かが残っているのか?」
シアはここで少し言葉を選んだ。「残っている。ヴェルン王朝そのものが、海底に沈んだまま残っている。建物も、人の痕跡も、そして……ループの原因になっているものも」
「ループの原因?」
「永焔炉という装置が海底の最深部にある。それが三千年間、止まることなく動き続けている。ループはその装置が引き起こしている」
「では永焔炉を止めれば、ループが終わる?」
「単純にそういうことではないけど……そこに答えがあることは確かだと思うよ」
「海底に行く方法はあるか?」
「ある。でも準備が必要。水中呼吸石、というヴェルン王朝の遺物が必要だね。それがないと、海底まで潜ることができない」
「水中呼吸石はどこにある?」
「この島の古い区画にある。今は半水没しているけど、満潮前の時間帯だけ入れる場所があって、その最奥の祭壇の下に一つある」
「行けるか?」
「案内できる。でも今日は無理。今日は満潮の時間帯が悪い。次のループで、タイミングを合わせて行こう」
レインは書き込みを続けながら、頭の中で情報を整理した。時間のループ。海底にある永焔炉。水中呼吸石。シア自身が三千年前からここにいる理由。まだ分からないことの方が多いが、一つひとつ埋まっていく感覚があった。
五度目のループでは、タルクとの関わりが変わってきた。
「また来たのか」タルクは釣り糸を垂れながら言った。
「また来ました」レインは答えた。
「昨日のことを覚えているのか」
「覚えています。昨日も一昨日も。毎日覚えています」
タルクは長い間黙っていた。それからゆっくりと言った。「俺には分からん。しかしお前さんが嘘をついているようには見えない」
「嘘をついても何の得もありませんから」
「それはそうだな」タルクは少し笑った。「昨日は何を話した?」
「タルクさんに、シア=ナフラがいつからここにいるかを聞いた。百五十年以上前から、とおっしゃっていました」
タルクがこちらを向いた。「そう言ったか、俺は」
「そうおっしゃいました。タルクさんのお父さんのお父さんの代から、と」
老漁師はしばらく遠い目をした。海を見ていた。波が寄せては返していた。
「……そうだ。確かに、父が言っていた。見た目が変わらない女が廃墟に住んでいる、と。俺が子どもの頃、その女を見て怖くて逃げたことがある。今思えば、逃げる必要はなかったがな」
「今は怖くないですか?」
「年を取ると、怖いものが少なくなる」
「死ぬことも怖くなくなってきた。そのくらいだから、見た目が変わらない女くらいは平気だ」
「タルクさんは、この島で何か不思議なことを経験したことはありますか?同じ時間を繰り返しているように感じたり」
タルクは少し考えてから言った。「……夢を見る、ことがある。朝目が覚めたとき、誰かと話したような感覚が残っている。鮮明ではないが、確かに誰かと何かを話した感覚がある。それが毎朝ある」
「それは覚えていますか、今も?」
「今も? ……今日の朝も、そういう感覚があった。茶髪の男と話した、ような」
レインは少し驚いた。「タルクさんにも、夢の欠片が残っているのかもしれない」
「夢の欠片?」
「シアと同じように、完全ではないが、ループの記憶が夢として残っている。あなたにもそれがあるのかもしれない」
タルクはしばらく黙っていた。
「……わしが何回も同じ朝を繰り返しているということか」
「そうかもしれない」
老漁師は海を見た。波が打ち寄せ、引いていく。繰り返す、規則的な波の動き。
「毎朝同じように釣りをするのは」タルクは静かに言った。「飽きないのか、と昔に聞かれることがある。俺は毎日違う、と答えていた。同じ場所でも、波の形は毎日変わる。魚の動きも変わる。空気の匂いも変わる。だから飽きない、と」
「それは本当のことでしょう」
「そうだ」タルクは続けた。「しかしお前さんの言う通り、俺が同じ朝を繰り返しているなら……俺が『毎日変わる』と思っているものは、実は変わっていないのかもしれない。それが少し、妙な感じがする」
「申し訳ありません。不快にさせてしまったなら」
「不快ではない」タルクは言った。「ただ……考えさせられる。自分が知っていると思っていたことが、違うかもしれないという感覚は、不快ではないが重い」
レインはタルクの横顔を見た。日焼けした皺だらけの顔。しかしその目には、深い何かがあった。この老漁師は、長年この島で生きてきた。ループの中で、記憶を持たないまま、毎日同じように生きてきた。しかしそれでも、蓄積されたものが確かにある。
「タルクさんの釣りの話、好きです」レインは言った。「波の形が毎日変わる、というのは、正しいことだと思います」
タルクがこちらを見た。
「ループがリセットされても、その時間の間にあったことは消えない。記憶は消えても、感覚は残るかもしれない。あなたが『毎日違う』と感じているのは、嘘じゃないと思います」
老漁師はしばらくレインを見ていた。それから、静かに前を向いた。
「……また明日も来るか?」
「来ます」
「来たら、また話しかけろ。俺は覚えていないが、お前さんは覚えているんだろう」
「そうします」
六度目のループでは、廃墟の調査が深まった。
レインは北区画だけでなく、さらに奥まった場所まで足を伸ばした。今は満潮でほぼ海水に浸かっているエリアを、引き潮の時間帯に合わせて探った。石板の写しを何枚も取り、シアに解説を頼んだ。
「これはどう読む?」
「『深きへの門、呼吸する者のみ通れ』……入口の標識ね。海への入口を示している」
「方向は?」
「南西」シアは空を見上げた。「あの岩礁の先に、海底への石段がある。満潮前の時間帯に水に入ると、石段が見える。ただし水中呼吸石がないと、石段を下りることができない」
「水中呼吸石は次のループで取りに行く」
「次のループで行けるかどうかは、タイミング次第だけど」シアはレインを横目で見た。「あなた、ループを重ねるごとに段取りが良くなっているね」
「情報が増えれば、何を優先するかが分かってくる」
「いいね〜そういうのは大事よ」
「効率が悪いと、二十四時間で全部できない」
シアは少し笑った。「確かに。二十四時間は短いようで、使い方次第で随分と変わる」
「君は何万回も経験してきたんでしょう。効率的な使い方を知っているんじゃないか?」
「知っている」シアは静かに言った。「でも私がいくら効率的に使っても、私一人ではどうにもならないことがある。だから何万回も、何もできないまま繰り返してきた」
「俺が来てから変わったか?」
「変わった」シアは迷いなく言った。「あなたが記憶を持ち越せると分かったとき、初めて終わりへの道が見えた気がした」
「だから、今度ループするときは”シア”って読んでいいわよ。」
六度目の夜、レインは砂浜に座って星を見た。
サルム海の夜空は、大陸の街よりずっと星が多かった。遮るものがない海の上だから当然だが、それにしても圧倒される数だった。星明かりで海面が淡く光っている。その海の底に、三千年前の都市が眠っている。
二十四時間。六回で六日分の記憶。
レインは頭の中で整理した。
ループの仕組みはいまだにわからないが、シアが三千年ここにいることは分かった。海底にヴェルン王朝の廃墟があることも、永焔炉がループを引き起こしていることも。
しかしまだ分からないことがある。
シアがなぜ「ループを終わらせる方法を言いたくない」のか。この島はどういう存在なのか。そしてシア自身が、どういう状態でここに存在しているのか。
ひとつひとつだ。
レインは星を見上げながら思った。全部を一度に解決しようとしなくていい。二十四時間を積み重ねて、一つひとつ明らかにしていく。
波が打ち寄せ、引いていった。
次のループで、海底へ向かう。
レインはそう決めて、目を閉じた。




