第三話 「繰り返す朝3」
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三度目の朝も、砂浜から始まった。
レインは目を覚ます前から分かっていた。波の音の種類で。砂の感触で。喉の塩辛さで。
また、砂浜だ。
今度は少し冷静に状況を確認した。傷がない。荷物がない。時間がリセットされている。
昨日学んだこと:シアは時間ループを知っている。二十四時間のループがある。自分は記憶を持ち越せる。
今日できること:シアに会い、昨日より深く話を聞く。タルクに話しかけて、この島について情報を集める。廃墟をもっと詳しく調べる。
レインは立ち上がり、タルクの元へ向かった。
「タルクさん」
タルクが振り返った。「なぜ名前を知っている」
「少し前に聞きました。覚えていませんか?」
「覚えていない」タルクは素直に言った。
「そうですか」レインは岩の上に座った。「少し話を聞いてもいいですか。ここに住んでいるなら、この島のことを知っているでしょう」
タルクは釣り糸を見ながら「まあ」と答えた。
「この島に、漁業以外で来る人間はいますか?」
「たまにいる。廃墟に興味がある学者とか、流れ着いた難破者とか。あとは……あの女みたいに、理由もなくいる者とか」
「シア=ナフラという女性ですか」
タルクが少し目を細めた。「知っているのか」
「少し話したことがあるんです。昨日、一昨日」
「昨日?」タルクはまた怪訝な顔をした。「お前さんは今日来たばかりのはずだが」
「そう思っているでしょうね」レインは静かに言った。「でも俺は昨日もここにいた。一昨日もここにいた。毎朝この砂浜から始まって、毎夜なかったことになる。そういうことが、ここでは起きているんです」
タルクは長い間黙っていた。釣り糸が風に揺れていた。
「……信じられない話だな」タルクはやがて言った。
「俺も最初はそう思いました」
「しかし」タルクは続けた。「あの女が、同じようなことを言っていたことがある。ずっと昔に。俺が若い頃、あの女がここに来た最初の頃に、一度だけ言っていた。『この島では時間が繰り返されている』と」
「タルクさんはその時、信じましたか?」
「信じなかった」タルクは老いた手で釣り竿を握り直した。「しかし……何年も経って、また思い出すことがある。俺が毎朝同じ場所で釣りをして、同じように見知らぬ難破者が来て、同じように案内して。それが何年も繰り返されている。普通のことだと思っていたが、今お前さんに言われると、少し妙な気がしてくる」
「タルクさんも、何か感じているのかもしれません」
タルクは何も言わなかった。しかし否定もしなかった。
「シア=ナフラは、いつ頃からここにいるんですか?」
「……わしが生まれる前からいる」タルクは静かに言った。「俺の父親がそう言っていた。俺の親父の親父の代から、あの女はここにいる、と。見た目が全く変わらないまま」
「それは何年ですか」
「少なくとも百五十年以上」
レインは黙って聞いていた。
百五十年以上、同じ姿で。
それが同じ時間の中にいるというかもしれない。
―――
「シアとはどこで会えますか」
「廃墟の北の区画にたいていいる。あの辺りは住民もあまり近づかないんだが、あの女は好んでいる」
「ありがとうございます」
レインは廃墟の北区画へ向かった。港から少し離れた、岩礁と古い建物の残骸が密集した場所だった。人の気配はなく、波の音だけが響いていた。
「また来た」シアは言った。
声がした。
振り返ると、崩れた柱の影にシアがいた。昨夜と同じ姿。浅黒い肌。銀の短髪。青い瞳。
「タルクさんに聞いた」レインは言った。「昨日の君の言葉が、まだ頭に残っていた」
「昨日?」シアの目が細くなった。「……あなたは覚えているの?」
「昨夜、タルクの家の窓の外に来た。俺の記憶について聞いた。そして『明日また話しかける』と言って消えた。それを昨日と一昨日」
シアが、長い沈黙をした。
それから、どこかためらうような顔で口を開いた。
「……私には昨日の記憶がない。毎朝リセットされる。でも夢の中で、誰かと話した感覚だけが残っていた。あなたのことだったのかもしれない」
「君もリセットされるのか?」
「私も。ただし……完全にリセットされるわけじゃない。夢の欠片のように、感情だけが残る。今日、あなたを見たとき、初めて会う人間なのに知っている気がした。だから声をかけようとしたところだった」
「不思議な話だ」レインは言った。「俺には完全な記憶がある。昨日の全てが。君には夢の欠片しか残らない」
「そう」シアは静かに頷いた。「そういう仕組みだから」
「『そういう仕組み』というのは、何か理由を知っているということか?」
シアはしばらく黙った。「……全部を話すには、まだ早い。でも一つだけ言える。この島では時間が繰り返されている。何かがここで、同じ二十四時間を繰り返し続けている」
「二十四時間」
「そう」
レインは少し考えた。「なぜ俺だけ記憶が持ち越せる?」
「それは……今はまだ言えない」シアは顔を逸らした。「ごめん。言えないんじゃなくて、言いたくない理由がある」
「言いたくない?」
「あなた自身に気づいてほしいから。私が全部教えてしまうと、あなたはその方向にしか考えなくなる。自分の目で確かめた方がいい」
その言い方は、単純な意地悪ではなかった。何か別の、もっと複雑な配慮があるように聞こえた。
「分かった」レインは言った。「では、今日教えてもらえることを教えてくれ」
シアは少し意外そうな顔をした。「怒らないの? 答えをはぐらかされたのに」
「怒る理由がない。俺の仕事は“教えてもらうこと”じゃない。分からないことを、自分で確かめて――未知を既知に変えることだ。」
シアは数秒レインを見てから、かすかに笑った。それは皮肉っぽい笑みではなく、少し驚いたような笑みだった。
「……ヴェルン文字について、少し教えてあげる」
「ありがとう」
「お礼はまだ早いよ。私が読めるのは入門的なものだけだから」
二人は石板の前に移動した。シアが石板の前に膝をついて、文字を辿り始めた。
「これは……」シアは指先で文字をなぞった。「場所の名前と、建物の機能を記録したものね。ここは水を管理する建物だったみたい。水路と貯水池の管理。農業に使う水を海水から精製する設備が、昔ここにあったんだと思う」
「海水を精製?」
「ヴェルン文明の技術の一つ。海水から淡水を取り出す。それだけじゃなくて、海水から生命エネルギーのようなものを抽出する技術もあったとされている。詳細は分からないけど」
「ヴェルン文明のことを、どこで学んだの?」
シアは少し間を置いた。「……ここで。この廃墟で。長い間、読み方を少しずつ覚えた」
「長い間、というのはどのくらい?」
シアが立ち上がった。「今日はここまで。また明日、もし覚えていたら話しかけて」
昨日と同じ言葉を残して、シアは廃墟の奥へ消えた。




