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調査依頼専門の冒険者―見たことのないものが、まだ世界にはある  作者: ノクナギ
蒼淵の継承編

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第二話 「繰り返す朝2」

カクヨムでも投稿しています。

https://kakuyomu.jp/works/822139846420117490


目が覚めると、波の音がした。


頬に当たるのは砂の感触。体中が潮水でびしょ濡れで、喉の奥に塩辛さが残っている。


「……?」


レインは身体を起こした。


見渡す限り、岩と廃墟が広がっていた。


……待て。


何かがおかしかった。デジャヴュという言葉では言い表せない、もっとはっきりとした既視感。この風景を、レインはたしかに「今日はじめて」見ているはずなのに、細部まで「知っている」という確信がある。崩れた壁の模様。不規則に並んだ岩礁の形。波が引くときの音のリズム。全部、知っていた。


タルクが岩の上で釣り糸を垂れているはずだ。


振り返ると、老人がいた。


白髪交じりの、日焼けした顔の老人が、黙って岩の上に腰掛け、釣り糸を垂れていた。


やはり。


「……おじいさん、ここはどこですか」


「アルカだ」タルクは釣り糸から目を離さずに言った。


「ありがとうございます」


レインは砂の上に座ったまま、手のひらを見た。昨日の擦り傷がない。昨夜タルクの家で手当した傷が、跡形もなく消えている。


また、最初からだ。


何が起きているか、論理的に説明することはまだできなかった。しかしレインには分かった。夕暮れ時に船が転覆し、アルカに漂着し、ガルム港で一夜を過ごした――その全てが「なかったこと」になっている。時間が、戻っている。


「タルクさん」


老人が初めてこちらを向いた。「なぜ名前を知っている」


「昨日あなたに会ったからです。この場所で」


「昨日?」タルクは怪訝な顔をした。「お前さんは今日流れ着いたばかりだろう」


「そうです。でも俺はたしかに、昨日もここにいた」


タルクはしばらくレインの顔を見ていた。何かを考えているようだった。それからゆっくりと前を向き、また釣り糸に目を戻した。


「……ガルム港まで案内してやろう」


タルクの声は、わずかに低くなっていた。


---


ガルム港に着いて、また広場の石造りの建物の前に来たとき、レインはもう一度ヴェルン文字を見た。象形文字に似た、生き物のような線の群れ。昨日は「見たことがない」と思った文字が、今日はどこか「懐かしい」気がした。


「この文字は」レインは言った。「ヴェルン文字ですね」


タルクが足を止めた。振り返り、レインを見る。「……なぜ知っている」


「昨日聞いた」


「昨日、俺はお前に会っていない」


「タルクさんはそう思っているでしょうね」レインは静かに言った。「でも俺は昨日、タルクさんに案内してもらって、ヴェルン文字の話を聞いた。あなたの家に泊めてもらった。夜、シアという女性が窓の外に現れた。彼女は俺に『明日また話しかける』と言って去りました。」


タルクの表情が変わった。


それは驚きでも疑惑でもなかった。もっと別のもの――何かを認識したような、静かな目だった。老漁師の口が少し開き、何かを言いかけて、閉じた。


「……泊まるかね」タルクはしばらくして、静かに言った。


「お願いします」


---


タルクと一旦。別れ港を歩いて周ることにした。港の廃墟のあちこちに文字が刻まれていた。入口のアーチ。柱の側面。石畳の端。全て同じ様式の、象形文字に似た文字だった。線が複雑に絡み合い、一つひとつの文字が生き物のように見えた。

レインは廃墟を一通り歩いた後、港の外れに出た。


そこから先は一般の住民が使う区画ではなく、岩礁と廃墟だけが続いていた。かつての建造物の規模がよく分かった。今は半壊した壁や柱の残骸が残るだけだが、元の大きさを想像すると、ここに相当大きな建物があったはずだ。神殿か、あるいは何か公共の施設か。


その廃墟の最奥部に、レインは一つの石板を見つけた。


横に倒れた石板で、表面には他よりも細かく、丁寧な文字が刻まれていた。周囲の文字と同じ様式だったが、彫りが深く、文字の配置が規則的だった。まるで碑文のような印象を受けた。


これは意味を持って配置されている。


レインは石板の写しを取ることにした。懐に紙と炭筆が残っていたのはありがたかった。紙を石板の表面に当て、炭筆で擦る。文字の凹凸が紙に転写された。


写しを見ながら、レインは考えた。


この文字が読めれば、この廃墟の正体が分かるかもしれない。


しかし今の自分にはその手段がない。


---


その日の夜。


シアが窓の外に現れたのは、昨日と同じ時間だった。


浅黒い肌。短い銀髪。深海の青の瞳。首元から胸元にかけて、淡く発光する入れ墨。


「また来た」レインは言った。


シアの目が、わずかに細まった。「……『また』?」


「昨日も君は来た。同じ窓の外から現れた」


長い沈黙があった。


シアはゆっくりと窓枠に肘をついた。その視線が、探るようにレインを見ている。


「証明できる?」


「証明するなら昨日、言ったことを繰り返せばいい。『あなたには昨日より前の記憶がある』『そう、おかしいの』『だからあなたは特別なの』『明日また話しかける。覚えていたら、ちゃんと答えて』――そう言って消えた」


シアの表情が固まった。


それから、今まで見せなかった表情をした。驚き、だった。隠しきれない、純粋な驚き。


「……記憶を持ち越せる人間は」シアはゆっくりと言った。「あなたが初めて」


「ループが起きている。この島で、時間が繰り返されている」レインは言った。「違うか?」


シアはしばらくレインを見ていた。


それから、ふっと笑った。


それは飄々とした、どこか自嘲的な笑みだった。しかし瞳の奥には、そこに至るまでの長い時間の重さのようなものが滲んでいた。


「あなたは、何ループ目? 五回目? 十回目?」


「二回目だ」


「……二回で記憶が繋がった人は初めて」シアは言った。「普通はもっとかかる。か、そもそも気づかない」


「普通、他の人間は気づかないのか」


「気づかない。ここの住民もタルクも、毎朝リセットされる。昨日のことを覚えていない。君が昨日会ったと言っても、彼らには本当に記憶がない。それがこの場所のルールだから」


「なぜ俺だけ覚えている?」


シアは少し考えてから答えた。「それは……まだ全部は言えない。でも、あなたに記憶が残るのはあなた自身のせいじゃない。外からの作用だよ」


「君が関係しているか」


シアの目が少し泳いだ。「……どうして?」


「勘だ」


シアはまた笑った。今度は少し苦笑いに近かった。「勘がいいのね。困ったな」


「困るなら話してくれ。隠していても俺はまたループしたら同じことを聞く」


「それはそうだけど」


シアは窓の外の夜空を見上げた。星がよく見えた。波の音が遠くに聞こえていた。


「この島で起きていることは、私一人で説明できるほど単純じゃない」シアは静かに言った。「それに……あなたが何ループ重ねても変わらない部分と、重ねるほどに変わっていく部分がある。あなたは今日で二回目。それはまだ、ほんの入口だよ」


「俺がここから出るためには何が必要だ?」


シアは今度は答えなかった。


ただ窓の外を向いたまま、少しだけ身体が固まるのが見えた。


「……今夜はここまで」シアはやがて言った。「明日もまたリセットされる。次にあなたが目を覚ましたとき、あなたは砂浜にいて、私の顔を覚えているかもしれない。そうしたら、また話しかけて」


「どこにいる?」


「どこにでもいる。この島の廃墟の中、どこかに」


シアは立ち上がった。背中の入れ墨が、もう一度青白く光った。


「一つだけ聞いていいか」レインは言った。


シアが振り返る。


「君は何ループ目だ?」


長い沈黙があった。


「……数えるのをやめたの」シアはゆっくりと言った。「何万回目かで」


それだけ言って、シアは夜の中に消えた。


波の音だけが残った。


レインはしばらく窓の外を見ていた。


何万回。


その言葉の重さを、レインはまだ完全には理解していなかった。しかし、胸の奥で何かが静かに締め付けられる感覚があった。数えるのをやめるほどの時間を、たった一人で繰り返してきた。そういうことを、この女は何でもないことのように言った。


飄々とした口調で。笑いながら。


一人で、ずっと。


「明日もここにいる」レインは誰にともなく言った。「覚えていなくても、俺が覚えている」


波の音が続いていた。


遠く、サルム海の底から、何かが静かに呼びかけているような気がした。


それが錯覚かどうか、今のレインには分からなかった。


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