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調査依頼専門の冒険者―見たことのないものが、まだ世界にはある  作者: ノクナギ
蒼淵の継承編

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2/12

第一話「繰り返す朝」

カクヨムでも投稿しています。

https://kakuyomu.jp/works/822139846420117490


目が覚めると、波の音がした。


頬に当たるのは砂の感触。体中が海水でびしょ濡れで、喉の奥に塩辛さが残っている。


レインはゆっくりと身体を起こした。


見渡す限り、岩と廃墟が広がっていた。


海面から突き出た奇妙な地形だった。古い石積みの壁がところどころ残っており、その隙間に荒々しい岩礁が入り混じっている。かつて何か大きな建造物があったのだろうか――柱の残骸のような形の岩が、不規則に並んでいる。波が寄せるたびに白い泡が岩の根元を撫でていった。


「……船は」


記憶を手繰り寄せる。夕暮れ時だった。航海三日目、サルム海の南方深部に入ったあたりで、海流が急に変わった。それまで穏やかだった海面が突然うねり始め、船長が「ナハル・カレントだ」と叫んだ。あとは――波。巨大な波が船体を飲み込むように押し寄せて、レインは甲板から投げ出された。


コルボ号の姿はどこにもない。


「船員たちは……」


心配が頭をよぎったが、まず自分の状況を確認しなければならない。レインは傷の確認をした。擦り傷と打ち身はあちこちにあるが、骨折はなさそうだ。剣は腰に下げたままだったが荷物袋は――なくなっている。


立ち上がると、少し離れたところに人の気配があった。


老人だった。


白髪交じりの、日焼けした顔の老人が、黙って岩の上に腰掛け、釣り糸を垂れていた。波に揉まれたレインが目の前に現れても、特段驚いた様子はない。まるで毎朝そこに人が流れ着くのが当然であるかのように、静かに釣り糸を見つめていた。


「……おじいさん、ここはどこですか」


老人は釣り糸から目を離さずに答えた。「アルカだ」


「アルカ?」


「沈礁アルカ。サルム海の南方、死淵流のそばにある岩礁群だ。昔は半島だったらしいが、今は見てのとおり、こんな有り様だ」老人は口の端を少し曲げた。それが笑みなのか苦笑いなのか判断が難しかった。


「難破したのか?」


「そうらしいです。」レインは周囲をもう一度見渡した。


「他に流れ着いた人はいましたか?」


「お前さん一人だ。今朝はな」


今朝は、という言い方が少し気になったが、レインは続けた。


「お名前を聞いてもいいですか」


老人がこちらを向いた。「タルクだ」


タルクは少し目を細めてから、もとの方向に視線を戻した。

「ガルム港まで案内してやろう。ここで立っていても仕方あるまい」


---


ガルム港は廃墟の岩礁をぐるりと迂回した先にある、小さな漁村だった。


桟橋が二本。船が七、八隻。木造の家が十数軒。それが全てだった。大陸の港町と比べれば、規模も設備も比べものにならない。しかし住民たちの顔には、どこか独特の落ち着きがあった。余所者のレインを見ても、特別怪訝な目を向けることもなく、「ああ、また流れ着いたか」とでも言いたげな表情でそれぞれの仕事に戻っていく。


村の中心にある広場の端に、崩れかけた石造りの建物があった。元は神殿か何かだったのだろう。入口のアーチには、見たことのない文字が刻まれていた。象形文字に似ているが、少し違う。線が複雑に絡み合い、まるで生き物のように動いて見える気がした。


「この文字は?」


「ヴェルン文字だ」タルクが答えた。「昔この辺りを治めていた文明の言葉だという。今は誰も読めない」


ヴェルン文明。レインは頭の中でその名前を反芻した。調査書類にあった名前だ。三千年前に滅んだとされる古代の海洋文明――実在を確認した研究者は一人もいない、伝説上の存在。


しかしこの石造りの建物は、明らかに現代の技術では作られていない。


実在する。


レインはそう確信した。


---


ガルム港に宿はなかった。


タルクが「うちに泊まれ」と言ったので、素直に甘えた。部屋は狭く、寝具は薄かったが、雨風はしのげる。夕食として干し魚と煮た豆が出た。質素だったが、波に揉まれた後の身体には十分だった。


食事をしながら、レインはタルクに話を聞いた。


「アルカには、昔から人が住んでいるんですか」


「ここに住み着いたのは、百年ほど前からだと聞いている」タルクは言った。「昔は誰も住んでいなかった。廃墟ばかりで、不気味だと忌まれていた。でも嵐を避けるのにちょうどいい地形だから、漁師が立ち寄るようになって、そのうち定住する者が出てきた」


村の話を聞きながら夕食は終わった。


---


船は失った。荷物も失った。他の人たちの安否も不明だ。まず他の生存者を探すべきか、それとも本来の調査目的であるナハル・カレントの調査を続けるべきか――


「考えすぎ」


不意に声がした。


振り返ると、開け放した窓の外に、誰かが座っていた。


女だった。


二十代前半に見える。浅黒い肌に、短く切りそろえた銀色の髪。海の底を思わせる深い青の瞳がレインを見ていた。服装は簡素だったが、その装いが逆に、全体の印象を際立たせていた。首元に細い飾り紐。手首に古い金属の輪。そして首から胸元にかけて、うっすらと光っているものがある――入れ墨だった。ヴェルン文字に似た模様が、肌の上で淡く発光している。


「……誰だ」


「通りすがり」女は窓枠に肘をついて言った。「あなたが難破してここに流れ着いたのは聞いた。大陸から来た冒険者なんでしょ。ナハル・カレントの調査に来たとか」


「どこで聞いた」


「タルクは口が軽いの。ああ見えてね」


レインはしばらく女の顔を見た。嘘をついている様子はない。しかし何かを隠している。そういう目をしていた。探索慣れしているレインには、そういう違いが自然と分かるようになっていた。


「あなたは?」


「シア」女は答えた。「シア=ナフラ。ここの出身じゃないけど、ここにいる。それで十分でしょ」


「随分と雑な自己紹介だね」


「そっちこそ、名前を名乗る前に『誰だ』って聞くのは礼儀としてどうなの」


「……レイン=アシュフォードだ。冒険者をやっている」


「知ってる」


レインは眉を上げた。「知ってる?」


「南方の港に行けば君の名前を出しながら子供達が練習用の剣で遊んでたよ。」


レインはなんとも言えないような顔をした。


「どちらにせよ有名人だね」シアはつまらなさそうに言った。しかし瞳の奥には、何か別のものが揺れていた。驚きとも、安堵とも取れる何か。それがレインには気になった。


「俺に何か用か?」


「用というわけでもない。ただ……確認したかった」


「何を」


シアはしばらく黙っていた。それから、どこかためらうような様子で口を開いた。


「あなた、夕べの夕日を覚えてる?」


「覚えている。オレンジ色の、きれいな夕日だった。コルボ号の甲板から見た」


シアの表情が、かすかに変わった。


「三日前は?」


「三日前……コルボ号で出港した日か。天気は晴れていた。ソルカナの港を出てから南に向かって、その日は特に何もなく夜を迎えた」


「二日前は?」


「海が少し荒れ始めた。船長が海流が複雑になってきたと言っていた」


シアはゆっくりと頷いた。目を細めて、何かを測るようにレインを見ている。


「おかしな質問だな」レインは言った。「何が聞きたい?」


「確認できた」シアは静かに言った。「あなたには昨日より前の記憶がある」


「当然だろう。記憶がない方がおかしい」


「そう。おかしいの。だからあなたは特別なの」


シアは窓枠から立ち上がった。その背中に走る入れ墨が、月明かりの下で青白く光った。


「明日また話しかける。覚えていたら、ちゃんと答えて」


「覚えているも何も……」


「じゃあね」


それだけ言って、シアは夜の闇に溶けるように姿を消した。


レインはしばらく開け放した窓を見つめていた。


「覚えていたら」――何だったんだ、あれは。


不思議な感覚だった。シアの言葉はどこか暗示的で、意図が掴めなかった。しかし不快ではなかった。むしろ、何か引っかかりのようなものが胸の奥に残った。

やがてレインは横になり、目を閉じた。

波の音が遠くに聞こえていた。


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