第八話 「沈んだ都市4」
八度目、九度目のループで、二人は宮殿への道を探った。
石獣の広場から先、逆ピラミッド宮殿に続く道は、死者の町よりも瓦礫が多かった。建物の崩れ方が激しく、かつての道が完全に塞がれている箇所があった。
「別のルートがある」シアが言った。「こっちから回ると、宮殿の裏手に出られる」
八度目は宮殿の外観を確認した。
逆ピラミッドという名称通り、下に向かって細くなる逆三角形の構造が、海底の岩盤に刺さるように立っている。地上のピラミッドが上に向かって積み上げていくのとは逆に、ここでは深さへと向かっていく。建築物としての迫力は、地上のピラミッドに負けなかった。外壁全体に細かなヴェルン文字が刻まれており、それが薄く光っている。
「中には入れるか?」
「入れるはずだよ。ただし……その前に準備が必要かもしれない」シアは宮殿を見上げた。
「ここから先は、ケレトの領域に入る。神官の目という監視の仕組みがあって、一度そのエリアに入ると、行動がケレトに筒抜けになる。それと……黒砂嵐という防衛システムが動いている」
「黒砂嵐?」
「宮殿の周囲を動き回る、腐食性の砂の嵐。触れると記憶が侵食される。少しくらいなら大丈夫かもしれないけど、大量に浴びると危険」
「動き回る、というのは周期がある動きか?」
シアは少し言いにくそうに首を振った。
「それが……よく分からない。完全に自律して動いていて、見ているとパターンがあるように思えるんだけど、次の動きが読めない。私も何万回も見てきたけど、法則を掴みきれなかった」
「一度、見てみる」
「今日のループで?」
「見ずに動けない。どんな動きをするか確認するだけでいい」
シアは少し心配そうな顔をした。
「……近づきすぎないこと。あれは視認してから、思っているより速く来る」
「分かった」
宮殿の外縁から少し離れた廃墟の影に身を潜めて、レインは待った。
シアが隣にいた。観察の間、ここを離れないと言って座り込んでいる。
最初の砂嵐が現れたのは、待ち始めてすぐだった。
宮殿の南側の外壁から、霧が立ち込めるように黒い砂が湧き出た。最初はゆっくりと。やがて渦を巻いて、塊になり、それが意思を持つように動き始めた。
「来た」シアが低く言った。
砂嵐は、宮殿の周囲を巡るでも一方向に進むでもなく、不規則に動き始めた。外壁に沿って少し流れたかと思うと、急に向きを変えて廃墟の方向へ伸びてくる。レインが身を低くするより先に、シアが腕を引いた。
「動かないで」
砂嵐の先端が、すぐそばの石壁を撫でた。
砂がかすった石の表面に、細かな侵食の跡が残った。石が、薄く削れていた。
「……あれが記憶にも起きるのか」
「そう。石は物質として削れる。記憶は概念として削れる。どちらも同じ原理」
砂嵐はそのまま廃墟の奥へ流れていき、やがて曲がって宮殿の方向に戻っていった。
「規則性は?」レインは動きを目で追いながら言った。
「あるとしたら……宮殿から遠ざかりすぎると、引き戻されるように向きを変える。完全に離れることはない」
「縄張りのような範囲がある」
「たぶんそう。でも範囲の端がどこかは一定じゃない。広くなったり狭くなったりする」
観察を続けた。
砂嵐は一塊ではなく、大小の渦がいくつも同時に動いていた。大きな渦が動くと、それに引きずられるように小さな渦が方向を変える。しかし必ずそうなるわけではなく、小さな渦が独自の動きをして大きな渦と逆方向に進むこともあった。
「あれは一つのものか、それとも別々か」レインは聞いた。
「別々だと思う。でも繋がってもいるよにも見える。親子みたいな関係? 大きいのが動くと小さいのが影響を受けることが多い。でも絶対じゃない」
「絶対じゃない、か」
「そう。だから読めない」シアは少し苦い顔をした。「私も最初は法則があると思って、何ループも観察した。でも観察するたびに違う動きをする。完全に自律していて、外から制御はできないみたい」
「ケレトも制御していない?」
「少なくとも、能動的に動かしている感じじゃない。起動したら勝手に動くように設計された防衛システムだと思う。ケレトが寝ていても、あれは動き続ける」
大きな渦がゆっくりと宮殿の正面に向かって動き始めた。レインはその軌跡を目で追いながら、同時に宮殿の入口の位置を確認した。
入口は、正面やや左寄りにある。大きな渦が今の軌道を維持すると、入口の手前を横切ることになる。しかしそこで渦が向きを変えた。右に曲がって外壁に沿い始めた。入口の前が、一瞬だけ開いた。
「今」レインは呟いた。
「今何?」
「入口の前が開いた。今動けば入れる」
「でも今日は入る計画じゃ」シアが言いかけたとき、大きな渦が外壁から離れて再び正面に向かってきた。入口はもう塞がれていた。
「……そうだな。今日は確認だけだ」
「焦った」シアは息をついた。「本当に行くかと思った」
「行こうかとは思った」
「思っただけにしてくれてよかった」
レインは入口が開いていた時間を頭の中で数えていた。長くはなかった。四十秒か、五十秒か。しかし確かに開いていた。
「入口の前が開くタイミングがある」レインは言った。「偶然かもしれないが、何かの条件で開く可能性がある」
「どんな条件?」
「大きな渦が外壁に沿い始めたとき、正面から引いた。外壁に沿う動きに移ると、正面への干渉が弱まるのかもしれない」
「……そう言われれば、確かに」シアは考えるように眉を寄せた。「私が観察していたとき、なんとなく壁沿いに動いているときの方が、廃墟への侵食が少ない気がしていた。でも気のせいだと思っていた」
「気のせいじゃないかもしれない。次のループで、大きな渦が外壁に沿い始めるタイミングを重点的に見る」
「それで入れると思う?」
「入れる保証はない。でも今日一度見ただけで、何も分からないよりはずっとましな情報が得られた」
砂嵐が再び廃墟の方向に向かってきた。二人は同時に身を低くした。砂の帯が頭上を掠めていく。
息を潜めながら、シアが小声で言った。
「……最初に観察したとき、あなたはどんな動きをするか全く知らない状態だった。それでも逃げなかったね」
「見なければ分からないからな」
「怖くなかったの?」
「怖いより知りたい方が勝ったかな。あんなに動く砂は見たことがないからどうやって動いいるのか気になるよ」
砂嵐が遠ざかった。シアが静かに息を吐いた。
「……私は最初、怖かった。三千年前、あれが初めて動き始めたとき。ケレトが炉に籠もって、宮殿の防衛システムが起動して、黒い砂が湧き出てきたとき。私はここから逃げた。できる限り遠くへ」
シアは宮殿を見た。「でもここから出られないから、結局戻ってきた。何度逃げても戻るしかなかったから、いつのまにか怖くなくなった」
「慣れたのか」
「慣れた、というより……怖がる元気がなくなった、という方が近いかもしれない」
日没が近づいていた。砂嵐の動きが、夕暮れの光の中でよりはっきり見えた。黒い渦が橙色の光を飲み込みながら動いていく。
「次のループで、また来る」レインは言った。「大きな渦が外壁に沿う瞬間を観察する」
「私は覚えていないけど」
「俺が覚えている。入口が開くタイミングがある。それだけ分かれば、今日は十分だ」
シアはしばらく砂嵐を見ていた。
「レインが来る前、私はあれを見るのが嫌いだった」シアは静かに言った。「でも今日、あなたと一緒に見ていたら……少し違う見え方がした。やっかいな障害じゃなくて、解読できる謎みたいに見えた」
「解読できるさ」
「レインがそう思っているから、私もそう思えた」
レインは何も言わなかった。ただ、砂嵐の動きを最後まで目で追い続けた。
日没が宮殿を赤く染めた。砂嵐はその中でも止まらず、自律的に、気ままに、しかし確かな何かに従って動き続けていた。




