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従業員から敵意は感じられなかった。人間と接するのが久しぶりだったせいで、過剰に警戒してしまったのかもしれない。俺がこの島に大きな実害を与えたわけでもないのだから。


「ここに少し用事があって立ち寄りました」

「まあ、時々いらっしゃる闇商人の方もいますからね。まだ宿が決まっていないなら、うちに泊まっていってください。空き部屋がありますよ」


案の定、単に空き部屋があるから俺を泊まらせようとしただけだった。


「そうしましょう。ここのスープは美味しいですね。もう一杯ください」

「はい」


俺は、再びスープを持ってきた彼に聞きたいことがあると言い、人々から「寄付」してもらった銅貨を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。


彼は銅貨を拾い上げ、懐にしまい込んだ。


「この島のことなら、知らないことはありません」

「最近、捕まって連れてこられた人々はいますか?」

「何人かいますが……捕まえてきたというよりは、流れ着いたと言うほうが正しいですね。最近、商船を襲いに行った船が戻ってこなかったのですが、牢獄にいる奴らの話では、湖に竜巻が発生して一緒にいた船がすべて難破したそうです」


俺は彼の話を聞き、銅貨をもう一枚テーブルに置いた。


「その人たちはどこにいますか?」

「中央広場にいます。奴隷として買うつもりですか? それならやめておいたほうがいい。ここの頭が許さないでしょう。船が一隻沈んで、機嫌が悪いと聞いていますから」


中央広場? 食堂に入る前に広場のような場所を通りかかったが、人が閉じ込められているのは見ていない。暗くて見落とした可能性もあるので、夜が明けたら一度探してみることにしよう。


彼に「参考になった」ともう一枚銅貨を渡し、食事代と宿代を支払った。


部屋に入った俺は、そのままベッドに倒れ込んだ。


掃除をしていないのか、砂浜よりもふかふか感はなく衛生的でもなかったが、人間らしい食事と屋根の下で眠れる文明の利器を享受するための代償だと思えば、何の問題もなかった。


「エドウィン、他の人間たちがいる場所に来られて嬉しいですか?」

「ん? もちろん嬉しいさ」


俺が望んでいた場所ではなかったが、まあいい。

ベネスに俺を待っている人がいるわけでもないし、ゆっくり行けばいい。

ウンディーネのおかげで島を脱出できたようなものなのだから、文句を言ったら罰が当たる。


「ウンディーネ、少し勉強しようか」

「勉強って何ですか?」

「面白いことだよ」

「いいですね。勉強しましょう!」


これまでの経験を通じて、精霊と人間が感じる感覚が違うことを知った。今のうちに教えられることは教えて、矯正しておく必要性を感じていた。


時間や重さは俺も測定できないので教えにくいが、距離なら可能だろう。


うまくいけば、敵との距離などを簡単に把握できるようになるはずだ。やらない理由はない。


俺は横たわった状態で、両腕をいっぱいに広げた。


「長さを教えるよ。ほら、俺の腕が見えるだろ? 左の指先から右の指先までが『一メートル』だ」

「エドウィンの腕は一メートル」

「そう、俺の腕は一メートルだ。数字は分かるか?」

「数字? それは何ですか?」

「数字っていうのはな……」


俺は子供を教えるように、ウンディーネに長さと数字の単位を教えた。幸い物分かりの良い生徒だったので、教えるのはすぐに終わった。


「じゃあ最後だ。復唱して。ヤード・ポンド法は存在しない」


クソったれなヤード・ポンド法、どれほど煩わしかったことか。


「ヤード・ポンド法は存在しない」

「もっと大きく!」

「ヤード・ポンド法は存在しない!」

「よし、よくできた」


教え終えたところで、ウンディーネがどれほど理解したか確認する番だ。


「ウンディーネ、こないだ会ったあの変異した魚は、どれくらいの深さにいたんだ?」

「うーん、エドウィンの腕でおよそ一万一千回分だから、十一キロメートルです」


俺はウンディーネの言葉を聞いて驚愕した。俺の腕の実際の長さは一メートルを超えるはずだが、彼女の言う通りなら、バイカル湖は十一キロメートルよりも深いということになる。


「じゃあ、ここから人間が一番たくさんいる場所まではどれくらい遠い?」


これを聞くために、ウンディーネに距離を教えたのだ。バイカル湖の近辺で人間が最も多く住んでいる場所はベネス、ただ一箇所。最初からこう聞くべきだった。


「二十キロメートルです!」


遠いと言えば遠いが、近いと言えば近い距離。

湖がこれほど大きく深いことがあり得るのか?

実はこの世界、海はなくて湖だけで成り立っているんじゃないだろうか。


「ふふふ……」



翌朝、食事をするために一階へ降りると、人々で賑わっていた。昨日は俺が来るのが遅すぎて人がいなかっただけだった。


朝食をたっぷり摂り、人々が閉じ込められているという場所へ向かうために宿を出た。


従業員の話では中央広場にいるそうだが、遠くへ行く必要はない。目の前だからだ。


しかし、中央広場を見渡しても絞首台以外には、牢獄と思われるものは見当たらなかった。


どこに閉じ込めているというのか。

通りすがりの男を捕まえて、牢獄がどこにあるか尋ねた。

彼は俺をじろりと眺めると、面倒くさそうな口調で言った。


「銅貨二枚だ」


道くらい普通に教えられないのか? ほとんどの連中がみすぼらしい格好をしている中、俺が小ぎれいな格好をしているから吹っかけてきているのだろう。どうせ俺もここの連中から「借りた」金だ。軽い気持ちでポケットから銅貨二枚を取り出した。


素早く銅貨をひったくった男が、指先である場所を指し示した。何もない地面を、だ。


俺が「なんだこいつは?」という顔で見つめると、男は神経質そうに声を荒らげた。


「牢獄が見たいんだろ、あそこだって。あっちへ行ってみろ」


牢獄がどこか聞いたことは忘れていなかったようだ。騙されたと思って、彼が教えた場所へ行ってみた。


「おお、ここか」


遠目には排水用の下水口か何かだと思っていたが、近くで中を覗き込むと、人々が蹲っているのが見えた。


夜に見落とした理由がこれだった。


地面を掘って、その上に木製の格子を被せてあるのだが、深さは五メートルほどもありそうだった。屈んで持ち上げてみようとしたが、重くて少し浮いただけで止まってしまった。二人掛かりで持ち上げるべき重さだ。


下を覗き込みながら知っている顔がいないか探したが、暗くてよく見えない。声をかけてみようか悩んでいた矢先、一人の男が近づいてきた。


「誰だ、あんた?」

「どんな奴らが捕まっているのか見物していました」

「近くで難破した連中が流れ着いたらしいが、大した奴らじゃねえよ」

「そのようですね。それは何ですか?」


俺は彼が持っている籠を指差して言った。

籠の中には、硬そうな黒パンがぎっしりと詰まっていた。

俺はまさかこれを下の連中に与えるつもりなのだろうか、と思った。


まさかな?


「下の連中に食わせるもんだ、どいてくれ」

「!!」


いくら黒パンとはいえ、まさか本当に……。

犬の餌でもなく、人間が食べるものを与えていると聞いて、なぜか裏切られたような気分になった。


飢えと拷問に苦しんでいると思っていたのに……。

俺だけが無人島で死ぬ思いをしたのか。

一瞬、このまま放っておこうかという考えもよぎった。


男が籠をひっくり返し、黒パンを下の連中にばらまく様子を見ながら、この男なら事情を知っているだろうと考えた。


「下の連中はどうなるんですか? 身代金を受け取って返すんですか?」


捕虜交換でも行われるのなら、俺一人でこのまま逃げ出してもいい。


「今回、仕事に出た仲間が多く死んだからな。天気が良くなったら、おかしらが処刑するそうだ」


身代金を受け取るつもりはないようだ。


「なのに、どうして食べ物を与えるんですか?」

「腹が減ってちゃ力が出なくて悲鳴も上げられないだろうって、しっかり食わせとけと言われたからだ……って、しつけえな、何で根掘り葉掘り聞くんだよ?」

「処刑されなかったら困ると思って聞いたまでですよ。退屈しのぎに、それくらいの余興は必要ですからね」

「クケケッ、最近は沙汰なしだったからな。数日待ってろ、もうすぐだ」


監禁された人々が殺されるという話を関係者から聞いた以上、彼らを救い出す方法を考えなければならない。


まだ数日の猶予があるとのことなので、救出方法はじっくり考えることにして、島の周辺に何があるか探るために動き出した。


人々を救い出したとしても逃走用の船が必要だ。どんな船があるか確認を兼ねて埠頭へ向かうと、切羽詰まった女の声が聞こえてきた。


「あんちゃん、どきな!!」


大柄な女が木の桶を抱えてよろよろと近づいてきたが、嫌な臭いが漂ってきた。


慌てて道を空ける。


どぼどぼっ。


彼女が中身を湖へと捨てたが、ぶちまけられた汚物が地面に飛び散った。俺は仰天して後ずさりした。


ただでさえ水の循環が悪いのか腐臭がしていたというのに、汚物まで湖に捨てるものだから、さらに鼻を突く悪臭が込み上げてきた。


俺は一息ついて、埠頭に停泊している船に目を向けた。


小さな漁船、そして商船の略奪に使われていたのと同じ種類の帆船が三隻、停泊している。水軍で見かけた船とは違い、細長くスマートな形をしていた。


軽いため速いが、荷物はあまり積めない。火力は弱いが速度が出るため、いかにも水賊が逃走に使いそうな船だった。


いずれこの島を脱出する際、ここにある船のどれかを選んで乗らなければならない。どうやって人々を連れ出し、船を奪取するかを考えると、早くも頭痛がしてきた。


俺がこめかみを押さえて休んでいると、勝手に動き回っていたウンディーネが思いがけない言葉を伝えてきた。


「エドウィン、さっきから誰かがつけてきていますよ」

「!!」


俺が人を殺すところを誰かに見られたのか?

それとも、俺が訓練兵だということがバレたのか?

上手く隠せていると思っていたのに……。

あらゆる疑念が浮かび、頭の中がかき乱される。


俺は視線を固定したまま尋ねた。下手に辺りを見回して、尾行に気づいていることを悟られたくなかったからだ。


「今、どこにいるか分かるか?」

「三十メートル後ろ、路地裏です」


俺はウンディーネの言葉を聞き、伸びをするふりをして周囲を素早く観察した。


「もしかして、俺をつけてきているのは三人組か?」

「そうです、あの人たち!」


距離がありすぎるし、帽子で顔を隠しているので正体は分からない。


「俺がここへ来てから会った誰かか、見当はつくか?」

「エドウィン以外、人間はみんな似たような顔に見えるので分かりません」


どこで会った相手か分かれば推測のしようもあるのだが、難しそうだ。


「エドウィンには私ほどよく見えないようですね。お見せしましょうか?」

「どうやって?」

「ふふっ、エドウィンの心の中に入ってみてください。見せてあげますから」


俺은 ウンディーネの言葉に従って一度瞬きをし、心象へと入った。


今や我が家のように気兼ねなく出入りできる場所だ。水だけでなく、地面や木でもあれば休憩所にうってつけなのだが、その点は少し物足りない。


ウンディーネが元の大きさの姿で目の前に現れた。


「こちらを見てください」


ウンディーネが指差す虚空に水滴が集まり始め、サッカーボールほどの大きさの塊が三つ現れた。そして表面がうごめきながら、次第に人の形を成していく。


「ジャジャーン、です!」


目の前に浮かんでいる、三つの生首。

今にも目を開けて話し出しそうなほど、精巧に作られている。頭だけが浮かんでいる光景は不気미だが、ウンディーネのおかげで誰が尾行しているのかが判明した。


真ん中のドレッドヘア。

鷲鼻にスイカの種ほどの大きなホクロが鼻にある男。黄色い歯までは再現されていないものの、誰なのかすぐに分かった。朝、俺から銅貨二枚をふんだくっていった奴だ!

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