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ウンディーネの言葉に、俺は顔を向けてもう一度周囲を見渡した。
プール半分の広さもないような場所が、俺の心象風景?
これでも以前は本もそれなりに読んだし、ピラティスに通って瞑想もしたのだが、少し小さすぎやしないだろうか。
「ここが俺の心の中なら、どうしてあんたがここにいるんだ?」
俺の言葉に、ウンディーネは待っていましたと言わんばかりに答えた。
「あなたが、生きたい、助けてほしいと言ったじゃないですか。お忘れですか?」
「俺が?」
いつそんなことを?
「ええ」
俺には覚えのないことだが、ついさっきまで溺れて死にかけていたのだから、人間なら当然、生きたいと思ったのではないだろうか。
もしかすると、彼女の言うとおり、それは確かに俺の口から出た言葉ではあるのだが、無意識のうちに発したものだったのかもしれない。
彼女は言葉を続けた。
「あの日、大勢の人の中で、あなたの声だけが聞こえたんです。長い間、誰にも私の姿は見えず、声も聞いてもらえなかったのに……あなたが現れた。だから、意識を失っていたあなたの体を動かして、陸へと運びました。でも、あなたと一緒にいるうちに、生まれた湖よりも、あなたの体の中のほうがずっと心地よくて、居場所にしていたんです。」
ウンディーネの言葉に、俺は思わず自分の体をまさぐった。
おかしな感覚はなかったはずだが。
ウンディーネだけが俺に気づき、俺は気づかなかったということか。
湖で生まれたというウンディーネの話を聞く限り。
彼女は精霊の類ではないかという気がしてきた。
そこで、ふと思いついた。
水の精霊なら、この状況を打破できるのではないだろうか。
俺は慎重に尋ねた。
「もしかして、水を操ることはできるのか?」
「ええ、あなたの気力が許す限り、私がお手伝いすることもできますし、あなた自身が扱うこともできるでしょうね」
ナイス!
ウンディーネに聞いてみると、水を操れば俺の持つ気力が消耗されるのだという。今まで俺が気づかなかったのは、単に魚を捕まえる程度にしか使っていなかったからだそうだ。
「じゃあ、水を操って陸へ行けるわけだな?」
これまでは意思疎通がうまくいかなかっただけなら、今なら可能ではないかという希望が湧いた。
「人間が集まっている場所のことですか?」
ウンディーネは人々が集まっている場所を知っているようだ。
俺は震える声で口を開いた。
「……ああ」
「やめておいたほうがいいです。今、この近辺にはあなたを湖に沈めた存在が眠っていますから」
「!!」
どういう意味だ?
渦潮が自然に発生したのではなく、誰かが作為的に作り出したものだというのか?
ウンディーネの言葉を聞くと、自分の中に今までなかった怒りが爆発した。
怒りで顔が赤くなっていく。
あの渦潮さえなければ、同期たちも死なずに今頃はベネスにいたはずなのに!!
ウンディーネは落ち着いた声で話を続けた。
「小さかった魚の存在感が次第に大きくなり、いつしか湖で太刀打ちできる生命体がいないほど強くなったのです。今は腹一杯食べて湖の底で眠っています。あなたが私の力を借りて、人が集まる場所へ出ようとすれば、それが目を覚ます可能性が高いです」
人間でも動物でもなく、魚がそんなことをしたという、とんでもない話を聞かされた。
変異野獣なら聞いたことがあるが、変異魚とは……魚が人間を食い尽くすほどなら、一体どれほどの大きさなんだ……。
「……湖の底にいる存在が、いつ目を覚ましてどこかへ行くか分かるか?」
「うーん、空から冷たくて白いものが降って、それからもう少し時間が経てば、また活動し始めるでしょうね」
ウンディーネの話によれば、雪の降る冬が過ぎるのを待たなければならないという。
それまで待つとしたら、俺はベネスの過酷な冬を乗り切れないだろう。
いや、その前に魚ばかり食べて栄養失調になり、気力が尽きて死んでしまうかもしれない。
それもそうだが、人がどうして魚だけを食べて生きていけるというのか。栄養失調云々以前に、飽きて食えなくなる。
ひとまず、ウンディーネの助けを借りずに俺一人で動けば、湖の底にいる怪物を目覚めさせずに済むかもしれないという話だ。
ならば、何とかしてここから離れた場所まで進み、そのあとでウンディーネの力を借りて陸へ向かうのが、いちばん良さそうだった。
「ここからどうやって出るんだ?」
「ここはあなたの心の中ですから。エドウィンの思い通りになりますよ」
ウンディーネの言葉を聞いて目を閉じ、次に開けた時には、そこは砂浜の上に戻っていた。
目の前にウンディーネがいなければ、先ほどまでの出来事は一時の夢だと思っただろう。
心象の中で見た姿よりも小さい。
拳ほどの大きさだったが、間違いなくウンディーネだった。
「肌を合わせた仲とはいえ、そんなに見つめられると照れますね」
彼女の破廉恥な物言いに、俺は再び顔を赤くした。
「……すまない」
「いいえ、ふふっ」
精霊なら純粋な存在ではないのか?
どうして俺の目には、ウンディーネが汚れて見えるのだろうか……気のせいだろうか。
「精霊にも実体はあるのか?」
「実体が、血と肉でできた体のことを指すのであれば、ありませんね」
「なのに、どうして肌を合わせるなんて言葉を知っているんだ?」
「湖を通りかかる人たちの話を聞いたのですが、こういう時に使う言葉ではないのですか?」
「いや、合ってはいるんだが……」
女の手すら握ったことがない連中がほとんどだろうに、よくもまあそんな淫らな言葉を……。やはり人間が自然を台無しにしているんだな。
ふと、ウンディーネがこれまで湖にいながらどんな話を聞いてきたのかを想像して、寒気がした。男たちが集まれば、話すことなど決まっている。むしろ純粋な精霊だからこそ、この程度の汚れで済んだのではないだろうか。不幸中の幸いだ。
俺は別の話題に切り替えた。
「俺が気力を使ってあいつを攻撃すれば、殺せるだろうか?」
「私が見た限りでは、エドウィンよりそいつの力のほうが倍は大きいですね。殺せるかどうかは分かりません」
願ってもない言葉だ。
そんな怪物と、たったの倍しか差がないとは。
相手にできないほどではないということだ。
「ウンディーネの力はどうやって借りればいい?」
「さっきいた場所の水を汲み上げると考えてみてください」
サッカー場ほどの広さの心象。
その中にあった、凍てつくほど透明で清らかな水を汲み上げ、指先へと送ると想像した。
すると、人差し指の先から水が出てきた。
チョロチョロ。
「わあ!上手ですね」
子供に褒められているような気分だが、なぜか悪い気はしない。
「……」
公園の水飲み場の水よりも少なかったが、初めてにしてはこれくらいなら才能がある方ではないだろうか? 比較対象がないので、そう思うことにした。
ウンディーネの言う通り。
自分の心象を確認してみると。
心象の中に存在していた水が、指先から逃げていった分だけ減っているのを確認した。ほんの少ししか気力を使わなかったせいか、すぐにまた満たされたが。
今度は勢いよく水を放出させるつもりで、十歩ほど離れてから、樽を指差して水を吹き出した。
プシュゥゥー!
先ほどとは明らかに違う水の勢い!
長く! 太い!
「ははっ」
嬉しさのあまり笑みがこぼれた。
やはり、やればできるんだ。
想像と意志に大きく影響されることを確認した俺は、無防備に攻撃された樽がどうなったか見るために近寄った。
日差しで乾いていた樽が再び水に濡れた程度で、どこかに穴が開いているわけでもなく、表面は滑らかなままだった。
目に見える結果に、少し失望感が募る。
「いいですよ、よくできています。この調子でやれば大丈夫。ファイトです!」
そうだ、ウンディーネの言う通りだ。
一歩ずつ進んでいけば、いつか望む結果が得られるはずだ。
俺は再び気を取り直し、樽を相手に何度か練習した。そして、ベネスへどう戻るべきか考えに耽った。
陸の端すら見えないので、泳ぐのは却下だ。
今、俺が頼れるのは心象の中の水を操れるということ。心象の中の水は、俺が使用できる気力の大きさだ。湖を眺めながら考え込んでいると、船の破片が流れてくるのが見えた。
「!!」
瞬間、閃いた!
すぐに湖へと駆け出した。
そして、足元にボードのような形を作り、気力を下へと放出した。体が水の上に浮いた。
浅瀬で動かしてみると、悪くない速度が出た。うまくいけば移動の問題は解決すると思い、持続時間がどれくらいかテストするために、しばらく水の上に留まってみた。
シュシュシュッー
俺の体を支えるために、急激に抜けていく気力。ボードの形を維持するのは簡単だが、俺を水の上に浮かせるには、かなりの気力が消耗された。
この状態では三十分も持たないだろう。
惜しいが、この方法も除外だ。
作っていたボードを消すと、
足が水に沈みながら気泡が発生した。
気泡は空気の塊。
空気の塊には酸素がある。
維持するだけなら、
先ほどのように体を浮かせるために消耗される気力よりも、維持の方が楽なはずだ。
俺は気泡からヒントを得て、
体の周りに球状の水の膜を作り、湖の中へと歩いて入った。
一歩、また一歩。
水中に入っていったが。
湖の水が俺の体に触れることはなかった。
エアポケットを形成した丸い水の膜が、俺を包み込んでいるからだ。単に維持するだけにかかる気力は、先ほどとは比べものにならないほど少なくて済んだ。
水の膜を転がしながら、さらに深い場所へと入っていった。下半身は水に浸かり、残りの上半身は水の上に出ている状態。周囲の視界も良好だ。
これなら速度も悪くないし、
一日中移動することもできそうだ。
無人島五日目。
移動手段を確保した俺は、本格的な攻撃の練習に入った。
今日練習しようとしているのは、
水の噴射を利用して敵を攻撃する方法を編み出すことだ。
昨日練習してみた結果、
単に水を出すだけではいけないと悟った。せいぜい水浸しにしたり押し流したりするのが限界で、心象の中にあるものを一気に注ぎ込まない限り、大した効果は期待できそうになかった。
何か変化が必要な時期だ。
実は、前世のウォータージェットという工業用の切断技術のようなものを思い浮かべて真似しようとしたのだが、単に水を出すだけでは不十分だということが分かった。
速度はすなわち重さ。
単に水を噴射するだけでは足りないなら、もっと速くすればいいという話なのだが……。
「エドウィン、何をそんなに悩んでいるんですか?」
「今練習していることを、どうすればもっと速く撃ち出せるか考えていたんだ」
ウンディーネと丸一日ずっと一緒にいたので、すっかり親しくなった。
「簡単なことですよ」
その言葉に、俺の首は自然と肩に乗っているウンディーネの方へと向いた。
「どうやって?」
そうだ、湖の精霊も水の精霊も同類なのだから、分からないことがあれば、さっさと隣にいる専門家に聞くべきなのが当然だった。
思いがけないところで問題が解決しそうだと思い、期待に胸を膨らませて尋ねた。
「こうやって、フッ。とすればいいんです」
ウンディーネが頬を膨らませ。
口で空気が抜ける音を出しながら言った。
「……」
今のは何だ?
俺が黙ってジト目でウンディーネを見ていると。
どうやるか見せてやると言って、樽のある場所へ俺を連れて行った。
「エドウィンの心にある水を使ってもいいですか?」
「気力か? 必要なら聞かずにいくらでも使っていいぞ」
「じゃあ、よく見ていてくださいね。こうやって……」
ウンディーネが頬を膨らませ、一瞬でフッ、と吐き出した。
小さな水滴が弾丸のように速く樽へと飛んでいき、コンという音を立ててぶつかった。
近寄って見てみると、小さな穴が開いている。
「おお!」
「えっへん、見ましたか?」
樽の上に降り立ったウンディーネが、顔を高く上げて俺を見つめる。
湧き上がる尊敬の念とともに、ウンディーネが大きく見えた。これは錯覚だろうか?
俺はウンディーネと小さく開いた穴を交互に見つめて尋ねた。
「どうやったんだ?」
「湖に住む魚がやっているのを見て、真似してみました! 小さくまとめてフッ、と吹けばいいんです! ね、簡単でしょう?」
俺はウンディーネが水の精霊だから、水に関することは何でも見通しているのだと思って聞いたのだが、拍子抜けするような言葉だった。とはいえ、助けにはなった。
「ありがとう、おかげで手がかりが見つかったよ」
「分からないことがあったら私に聞いてください……」
俺はウンディーネの話を聞きながら目を閉じ、心象の中へと入った。
再び訪れた、俺の心象。
足元を見下ろした。
あまりにも透明で、底まで見通せる水。
ここは俺の心の中なのだから、俺が望みさえすれば、俺の思い通りに水を動かせるはずだ。
俺は水を圧縮するという想像をした。
すると、少しずつ水位が下がり始めた。
効果がある!
いつの間にか半分ほどまで圧縮された。
「……くっ」
再び元に戻ろうとする反発が感じられたが、もう少し圧縮できそうだ。反発力を抑え込み、さらに圧縮しようとすると。
ゴゴゴ……。
反発力で心象が少しずつ揺れ始めた。
だが、危険な感じはしなかったので、さらに半分まで圧縮したところで目を開けた。
そして。
正面に向かって、力の限り水を吐き出すと。
俺の指先に沿って樽が切断された。
これで、島を去るための最低限の条件が整った。




