14
片腕のジョンが、ネズミを操れるようになったと悟った後に真っ先にしたことは、地下水路のネズミを集めることだった。
これまで自分を無視し、虐げてきた者たちを片付けるためだったが、その規模はスラム街に属する者の半分と言ってもいいほど、多くの人間が復讐の対象だった。
そうして集めたネズミたちを、夜が深まると地下水路の外へと送り出し、眠っている人々を急襲すれば、それで終わりだ。失敗することもあったが、殺せなくても構わなかった。
汚い歯を持つネズミで傷を負わせるだけでも、治療費のない貧民街の人々は、しだいに病に伏して死んでいくからだ。
ジョンは自分に従うネズミの視界や音まで共有できたため、あちこちに送り込むことができ、おかげで復讐は隠密かつ迅速に行われた。
そんなある日のこと。
ジョンが留まる地下水路に人々がやってきた。
「こんな所に何があるってんだ?」
「知るかよ。適当に見て回って帰ろうぜ」
チュウッ、チュウッ。
身なりからして傭兵のようだ。
ジョンは傭兵たちを見て、自分が汚いと、不具者だと言って馬鹿にされたことを思い出した。
そうだ、傭兵たちも貧民街の奴らと同じだ。
「これだけ見て回ったが、ネズミしかいねえな」
「外に出ようぜ。臭くてたまらねえ」
ジョンはネズミを動かして傭兵たちの行く手を阻み、ネズミたちに攻撃命令を下した。
個体としては弱いが、圧倒的な数の暴力で勝利する。その後にやってきた傭兵たちも軽く片付けた。
数日後、再びやってきた傭兵たち。
今度は五人組だった。
以前と同様に、地下水路の奥まで入ってくるのを待ってから包囲した。自分の必勝戦略。今回も傭兵たちは死に、ジョン自身が勝つと信じて疑わなかった。
しかし、どういうわけか、魔法使いという男の攻撃によって一部のネズミの統制が解けてしまい、傭兵たちが一丸となってネズミを殺し始めた。
今頃なら冷たい死体になっているはずなのに、以前来た奴らとは何かが違った。ジョンは自分を守る兵力を除いたすべてのネズミを傭兵たちへ送り込んだ。
このまま押し切る。
取り付きさえすれば、自分の勝利だ。
「私の周りに集まれ! 策がある!」
「エドウィン魔法使い様に従え。背中を合わせるんだ!」
その策とやらを使う前に終わらせる。
これまでネズミを操りながら見出した方法で、人間に対する恐怖を怒りで上書きし、より猛烈に攻撃するよう命じた。だが、魔法使いが作り出した水が地下水路を満たすと同時に、傭兵たちへ送ったネズミとの繋がりが断たれた。
急いで自分の居所にいるネズミを送り、傭兵たちを偵察した。地下水路を去っていく後ろ姿が見える。帰っていく彼らを見て、安堵した。
自分とは相克の魔法使い。彼らが再び地下水路を訪れる時は、徹底した準備をしてきた後だろう。
ジョンは「死」という単語に恐怖し、体が震えた。
ただ黙ってやられるわけにはいかない。
ジョンは考えた。狭い場所で魔法使いを相手にしたから、自分は力を発揮できなかったのだと。それなら、地下水路より広い場所へ出ればいい話だった。
そうすれば、今日のような不祥事は起きないはずだ。
ジョンは失った兵力を補充し、より多くのネズミを探すために動き出した。
◇
地下水路へ行って体に染み付いた臭いが、数日経ってようやく抜けた。着ていた服は気持ち悪くて捨て、新しく新調した。
依頼が早く終わって幸いだった。仕事がこじれていたら、体に地下水路の糞の臭いを漂わせながら宴会場へ行く羽目になるところだった。
私はモーリンから譲り受けた、金色の刺繍がある赤いマントを羽織り、宴会場へ向かうために宿を出た。
外はまだ日が沈む前。
大通りを歩いていると、時折、領主の城の方向へ向かう馬車を見かける。彼らも今日の宴会に招待された者たちなのだろう。
私はここでも二本の足が移動手段だった。それでも羨ましくはない。
こんな時代の馬車は衝撃吸収が効かず、尻が痛くなるに決まっているからだ!
歩くのがどれほど健康にいいことか……。そんな精神勝利をしながら進んでいくと、いつの間にか領主の城に到着した。
城に入ろうとする人々が、検問を受けるために列を作っているのが見えた。
私も並ぼうとしたその時、誰かが私を呼び止めた。
「そこの、赤いマントの紳士の方」
声のする方を見ると、
御者の隣に座っている男が呼んでいた。
「何か御用ですか?」
「馬車の中にいらっしゃるお方が、同乗を許可されました。お乗りください」
当惑するような提案だ。
華やかな紋章が刻まれた四頭立ての馬車。
ベネス領主家の象徴が描かれている。
周囲には大勢の人がいるというのに、なぜ私を指名して乗れと言ったのだろうか?
彼の物言いも、
私が拒絶することなど微塵も考えていないような口調だった。
人々の視線が私に集まる中、彼が馬車から降りて扉を開けた。格式張った姿勢で馬車を指差し、中へ入れと促す。
「では……」
どのみち宴会に参加するのだ。
こんなことで気力を削る必要もないだろう。
誰が呼んだのか、顔でも拝んでやろうじゃないか。
黒いカーテンをめくり、馬車の中へと入った。
「お会いできて嬉しいわ」
銀髪の女性が挨拶を投げかけてきた。
私は彼女の対角線の席に座り、自己紹介をした。
「魔法使いのエドウィンです。お会いできて光栄です」
特異な服装だ。
制服を身に纏っている。
貴族の宴会については詳しくないが、女性たちがドレスを着て精一杯着飾るものだということは知っている。ここへ来ている人々も皆、華やかに着飾っているからだ。
「私はエレナ。ただの公務員ですよ」
ただの公務員が、領主の馬車に乗って宴会へ行く? 馬鹿でも信じないような話だ。
「この女、エドウィンほどじゃないけど、いい匂いがするわ」
ウンディーネがエレナの周りを回りながら、繰り返し「気に入った」と言っていた。
こんなウンディーネの姿は初めてだ。
純粋な精霊であるウンディーネがこれほど気に入るなら、私のように品性の優れた人物なのだろうか。
「乗せていただき、ありがとうございました」
「いいえ、私も一人で行くのは退屈でしたから」
「この香りは、風の匂いね……」
風にも匂いがあるのだろうか?
ウンディーネがしきりに鼻をひくつかせながらエレナのそばを離れようとしないのだが、体が小さいので、その姿はまるで可愛い子犬のようだった。見ているうちに、私も思わず父親のような微笑みを浮かべてしまった。
「何かいいことでもあったのですか?」
「こんなに綺麗な方と宴会へ行けるのですから、楽しくないはずがありませんよ」
「うふふ、ありがとうございます」
エレナが髪を耳の後ろへかき上げた際、耳の半分ほどを覆うイヤーカフを着けているのが見えた。彼女の雰囲気とは対照的で異質なものだったが、美しい人が着けていると、それはそれで様になっているように見えた。
「ところで、エドウィンさんは本当に魔法使いなのですか?」
どのような意図で言ったのかは分からないが、そうだと答えた。私の言葉にエレナはにっこりと微笑んだ。
「こんな辺境では、滅多にお目にかかれない方ですね」
「私の故郷でもありますし、魔法使いになったばかりで、まだ他へ行くつもりはありません」
「故郷は大切な場所ですものね。分かります。私もずいぶん長いこと帰っていませんわ……」
どこか遠くを見るような顔で話すのだが、この人は鼻水を流して泣いても美しいだろうな、という考えが頭をよぎった。
外見が与える影響力を実感しながら進んでいくと、宴会場に到着したという声が聞こえた。
カチャッ。
私とエレナは馬車を降り、宴会場へと入った。
「ここで一旦お別れですね。楽しかったわ」
「私も楽しかったです」
エレナは「また会いましょう」と握手を交わして去っていった。
「エドウィン、早くお酒を飲みに行きましょう!」
「ああ、行かなきゃな」
美味しい料理を食べるために宴会へ来たと言っても過言ではない。行かなければ損だ。
宴会へ行けば高級な酒があるだろうとウンディーネに話していたのだが、彼女も相当楽しみにしていたようだ。
宴会場を一通り見渡し、料理が並んでいるテーブルへと向かった。
どれも初めて見る料理ばかりで、盛り付けも食欲をそそるものだったので、何から食べようか悩んでいると、傭兵ギルド長のジュゼッペと、魔法使いのモーリンが近づいてきた。
「よう。先に来ていたんだな」
「宴会場に来るなり、まずここへ寄る奴は初めて見たわ」
「わっはっは、まだ若い証拠だろう。私は食べたくてもそれほど食べられん。若いうちにしっかり食べておきなさい」
「エドウィン、いいマントを着ているじゃないか」
ジュゼッペが、私が着てきたマントに気づいてさらりと言及した。
「どこかで見たことがあるような気がするが……」
「私が現役の頃に着ていたものをやったのだ」
「ああ! どうも見覚えがあると思った。古くはあっても金貨1枚はする代物だ……モーリン魔法使い殿に気に入られたようだな。はっはっは」
金貨1枚だと!
中古で売っても銀貨20枚は貰えるということか。
やっぱりそうだ、私はモーリンを信じていたぞ!
どうりで初めて会った時から善人そうな印象が漂っていたわけだ。
「ところで、あの方とはどういうお知り合いかな?」
「あの方、とは?」
分からないと答えると、モーリンがもどかしそうに口を挟んだ。
「ほら、宴会場に入る時に一緒にいた人だよ」
「ああ、エレナさんのことですか?」
「おやおや、もう名前で呼ぶほど親しくなったのか?」
「来る途中で、私のようなハンサムな魔法使いは初めて見たと言って、馬車に乗せてくれたんですよ」
「くくっ、人を笑わせる才能があるな。彼女が誰だか知っておるのか?」
「綺麗な女性……ですよね?」
「わっはっは! まあ、綺麗ではあるな。我々が宴会に来るようになって10年になるが、あの姿のまま綺麗なのだからな」
「!!」
10年だと?
日焼け止めもない中世で10年経てば、うら若き乙女も、子供が五人もいる恰幅のいいおばさんに変わっていてもおかしくない十分な時間だ。
「あの、私をからかっているんですよね?」
「お主の反応は面白いが、我々が嘘をついてどうする」
ジュゼッペのそっけない反応に、私はモーリンを振り返って尋ねた。
「それは、本当なのですか?」
「はっはっは、本当とも」
エレナと会話していて、それほど年配だとは微塵も感じなかったのだが……驚異的な童顔だったのか。
「エドウィン! シャキッとしてください、魂が抜けていますよ!」
私が真実を突きつけられ衝撃に包まれていると、モーリンがエレナについてさらに詳しく語り始めた。
「彼女は帝国の税務執行官だ。税を徴収して回るのに、必須な条件は何だと思う?」
税を徴収して回るのに必要なもの? 高い地位? 皇帝の親書? 思いつくままに答えたが、モーリンは「違う」と言った。
「『力』だよ、力。彼女はここにいる誰よりも強いはずだ」
「まさか、そんな」
私はあり得ない話だと手を振った。エレナの年齢の件も、私をからかうための冗談ではないのか。
「ああ、お主は『原始の魔法使い』だったな」
「……」
「よく聞きなさい。タダで教えてやるから」
モーリンは一度唇を舐めてから言った。
「お主は知らんだろうが、税務執行官という事実だけでも、彼女が強者である証拠だ。自分の担当地域を回りながら税を徴収し、地方から天文学的な金を回収して歩く人間が、弱いと思うか? 知ってか知らずか、金を狙って襲いかかる輩は多いはずだぞ?」
言われてみれば、彼の言う通りだ。
ベネスにしても、一歩街の外へ出れば治安は最悪だ。見知らぬ人間は警戒しなければならない。
女の身で税を徴収して回るとなれば、彼女のことを知らない連中は侮ってくるに決まっている。
「その上、魔法使いの場合は、強ければ強いほど老いるのが遅くなる。10年前から当時の姿を保っているとなれば、並大抵の者ではない」
ということは、エレナも魔法使いだということか。
……ならば、モーリンのじいさんは、なぜ顔がシワだらけなのだ?




