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引率者に付いて市庁舎の前を通りかかると、子供たちが立て札の前に集まっているのが見えた。


ベネスではよくある光景だ。


『日本の転生者なら、首都テヘランに来て不死王を訪ねよ。』


どういう意味かは分からないが。

聞くところによれば、黄金時代のルーン文字だという。


ルーン文字が人を選ぶので、

意味を理解できれば特別な存在になれるのだそうだ。

一国の皇帝が公言した言葉なのだから、間違いではないだろう。

だから、孤児院に住んでいた頃は、毎朝立て札を見に来ていた。


何の変化もない日常の中で。

もし自分が魔法使いだったら? 騎士だったら? と、特別になった姿を想像していたから。

だが、当然ながら、俺の身に何か特別な出来事が起こることはなかった。


歩いていると、遠くにドミニク号が見えた。


「ナメクジだってお前らよりは速いぞ、速歩で行け!」

「はっ!」


先任軍曹の命令で足早に移動し、埠頭の前にある水軍の倉庫へ向かった。


倉庫の中に入ると、埃っぽい臭いがした。先任軍曹は早く動けと急かすが、倉庫は前の連中が使った後に整理しておらず、散らかり放題だった。


本格的な作業は始まってもいないのに、早くも疲れそうだ。それでも、今日は帆船の掃除さえ終われば一日の日課は終わりなので、気力を振り絞って動いた。


ドミニク号の掃除は、太陽が頭の真上に来る頃になってようやく終わった。


「やっと戻って休めるな」

「俺、もう腕が上がらないよ」


訓練所へ戻ろうと列に並んでいると、自分たちがいる場所へ正規軍が列をなして走ってくるのが見えた。


この時間に来るはずがないのだが……嫌な予感がする。

相手の引率者が、うちの先任軍曹に近づいた。


「……水賊の出没により、提督から本日よりベネス近海の巡回強化が指示された。これは訓練兵にとっても良い機会となるだろう。訓練兵たちもドミニク号に船を乗せろ」

「光栄です!」


どうして不吉な予感というのは、いつも当たるのだろうか。先任軍曹は敬礼すると、俺たちを振り返った。


「ベネスの誇り、水軍の活躍を間近で見られる絶好の機会になるかもしれん。全員、甲板に乗船せよ」


嫌な予感が確信に変わる。

今出航すれば、戻るのは夜になるだろう……。

ただでさえ午前中ずっと掃除をして疲れ果てているのに、水賊退治まで参加させられるとは……。戻って休めると思って浮き立っていた気分が、一気に沈んだ。


命令は命令だ。

一糸乱れぬ動きをする水兵たちの間に混じって、俺たちも甲板に乗り込んだ。

しばらくすると、埠頭に繋がれていた腕ほどもある太いロープが解かれた。

ドミニク号の帆が広がり、風を受けて前へと進み始めた。


出航してから二時間。

隣にいたハンスが腹が減ったとこぼした。


「お前、ビスケットとか持ってないか?」

「いや、持っててもお前にはやらないよ」


俺だって腹は減ってる。持っていたなら、とっくに食ってるはずだ。他人にやる余裕なんてあるわけがないだろ。


俺は子どもの頃、孤児院に捨てられた。幼い頃に捨てられたのだから、当然ながら両親の顔は覚えていない。だが、だからといって親が恋しいわけでもない。

存在していたことがなければ、恋しいかどうかも分からない。そもそも親というものがなかったから、いれば良かったのかどうかも分からないのだ。

……いや、ある日大富豪が俺の前に現れて、「息子だ!」なんて言いながら抱きしめてくれたら、もしかしたら悪くないかもしれない。

そうなったら、今すぐ水軍に入ったことを撤回して、立派な息子になるために必死で生きる自信だってあるのだが。


大富豪の両親が俺の前に現れる妄想でもしながら、空腹をこらえてぼんやりと周囲を眺めていると、望遠鏡を持った男が水賊を発見したと叫んだ。

その言葉に、畳まれていた帆がすべて広げられた。風をいっぱいに受けたドミニク号が、全速力で波を切って進んだ。

まもなくして、商船と交戦中の水賊が見えてきた。


「我々も、万が一の交戦に備えるぞ」


先任軍曹の命令で、倉庫に残っていた剣を取り出してきた。


腰に剣を佩いた。

腰に触れる冷たい金属の感触に、ようやく初陣を戦うのだという実感が湧いてきた。鼓動が速くなる。


「交戦は正規軍が行うが、我々は不測の事態に備えてドミニク号を守る」


幸いなことに、訓練兵のバッジも外していない俺たちは居残りだという。


「はい!」


ドミニク号の速度が落ちる。商船の横側に接すると、あらかじめ用意していた踏み板で船同士を繋いだ。


水兵たちが剣を抜き、一斉に商船へと飛び移った。


「うおおおー!」

「クズ共をぶち殺せ!!」


ガキィン──


始まる戦闘。

ドミニク号から乗り込んだ水兵たちと、商船にいた人々が加わると、水賊たちが押されているのが見えた。


奴らも不利だと察したのか、自分たちが乗ってきた船へと逃げ出した。一糸乱れぬその動きは、一度や二度の経験ではないようだ。


そうして、商船に掛けられていた鉤縄を切り離した。


ドミニク号は重い。

逃げ出せば、自分たちの軽い船には追いつけないということを分かっての行動だ。


奴らが商船から離れようとした、その時だ!


穏やかだった湖面がうねり始め、渦巻きのような形へと変わりながら、次第にその面積を広げていった。


「大変だ、一大事だ!」


まだ水兵たちが全員戻っていないにもかかわらず、船長はこの場を離れようとした。


「舵が、舵が効かない!」


三隻の船の前に渦潮が発生した。逃げられなくなったのだ。


「訓練兵は放り出されないよう、周囲にあるものを掴め!」


俺は揺れる船の上から投げ出されないよう、手すりを必死に掴んだ。


メキメキッ。


まず最初に、渦に最も近かった水賊の船が真っ二つに割れ、湖の中へと沈んでいった。


次に続いたのは商船だった。


残されたのは俺たちだけ。

もう死ぬんだなと思った瞬間、

今朝食べた黒パンを思い出した。

死ぬ前最後に食べたのがあの黒パンだなんて、本当に不味かったな。


今にも渦に吸い込まれそうになり、大きく息を吸い込んだ。俺はドミニク号と共に、深い湖の底へと引きずり込まれた。


ぽろろく。


湖の中へと引きずり込まれていく最中、俺は巨大な黒い影を目にした。

それはまるで、俺たちを呑み込もうと大きく口を開けているかのようだった。

死の恐怖から、俺が生み出した幻覚なのだろうか?


冷たい。

下へ沈むほど体が圧迫され、

激流のせいで身動きも取れない。

もう息を止めていることすら限界だ。


ぶくぶくっ。


胸が苦しく、意識が遠のく。

遠のく意識の中で、幻覚が見えた。


尾ひれのある女……?



スー、スー。


重い瞼を辛うじて開けると、砂浜に突っ伏した状態だった。


渦に巻き込まれて間違いなく死ぬかと思ったが、運が良かったのか生き延びたようだ。


ここがどこか確かめようと地面をついて起き上がろうとした瞬間……得体の知れない記憶が頭をよぎった。


タクヤとエドウィン。

二人の記憶が浮かんでは混ざり合った。


最初はこれがどういうことか分からず混乱したが、すぐに適応した。


前世だろうが現世だろうが、どちらも自分なのだから、そんなことで悩む必要はない。


周囲を見渡すと、そこは二本足で立てば一目で見渡せるほど小さな島だった。


俺と一緒に流れ着いたのは、せいぜいオーク材の樽一つ。中に食べ物があることを期待して開けてみたが、中身はどこへ行ったのか空っぽだった。深刻な状況だ。


水は四方に溢れているので心配ないが、食べ物をどう確保すればいいのか。


いくら考えても方法が思いつかない。


一日中、湖を眺めて船が通るのを待ったが、アリ一匹通りかからなかった。


二日目。


このままでは餓死するのは目に見えていた。無茶な考えだが、樽に入って湖を渡ってみようかと中に入ってみた。


ひっくり返って腹が水で膨れただけだった。


三日目。


もういくら水を飲んでも空腹が癒えない。


「腹減った! 腹減りすぎて死にそうだ!!」


砂浜に全裸で寝そべり、天を仰いで叫んだ。どうせ俺以外には誰もいない。


変態だと思われてもいいから、誰か気づいてくれ。


「ピザ! チキンが食いたい!! ここは湖なんだから魚はいっぱいいるのに、なんで俺が食えるもんはないんだよ!!」


空腹で、島に閉じ込められて、どこにも行けない現実に、やけになって叫んでいると。


「ぐふっ……」


何かが俺の顔にぶつかった。

顔を向けると、砂の上に馴染みのある生命体が転がっていた。


「魚、魚だ!!」


狂喜乱舞して起き上がり、跳ねている魚を捕まえた。


どういう経緯でこうなったのか知らないが、今はそんなことは重要じゃない。


今、食べられるものが目の前にあるんだ!


奴も今の状況が気に入らないのか、抵抗が激しい。樽の角に頭を叩きつけて仕留めた。


火を起こしたいところだが、

あるのは水に濡れた樽だけ。

思考は短く、決断は早かった。


バリバリッ。


甘くて美味い。


食べている間、熱い涙が頬を伝った。俺は腕ほどもある魚の骨まで綺麗にしゃぶり尽くして、ようやく正気に戻った。


手に持った魚の骨……。

これは一体どこから来たんだ。


空から降ってきたのかと思い上を見ても、ワシや鳥の類は見当たらない。


魚が顔に当たる前の状況を思い返した。


座っている力もなくて寝そべりながら、食べたいものを一つずつ挙げていたら、顔に落ちてきたのだ。


確かに最後に「魚」と言ったが……。

魚を連想すると、湖に沈んだ時に見た人魚を思い出した。


酸素不足で見間違えたのだと思っていたが……。


ひょっとすると、俺を助けてくれたのは本当に人魚だったのかもしれない。

手に持っているこれも、彼女がくれたものかもしれない。


俺は今も人魚がいるかもしれない穏やかな湖を見つめて言った。


「魚、ありがとう! ごちそうさま!」


ドバーッ!


「!!」


俺の言葉に応えるかのように、湖面から水柱が立ち上がった。

降り注ぐ水しぶきで体は濡れたが、俺の見間違いではなかったことを確信した。


バイカル湖に人魚がいるなんて話は聞いたことがないが。


人魚と出会ったのは、俺が最初ではないだろうか?


しかし、喜びも束の間。

渦潮が発生した時、水賊を含めて百人以上が湖に飲み込まれたはずだ。


人魚が俺だけを指名して助けてくれる理由がない。運良く生き残っただけだと考えると、不安な気持ちがじわじわと湧いてきた。


今、俺にある唯一の希望は、湖のどこかにいる人魚だ。彼女が気まぐれを起こして助けてくれなくなったり、去ってしまったりすれば、再び飢えることになる。


その前にベネスへ戻るのが最善の策だ。


「人魚よ、俺が陸へ行けるように助けてくれ!!」


両手を合わせて湖を見つめ、切実に訴えた。人間ほどの大きさの亀でも現れないかと待ってみたが、何も起こらなかった。何度も叫んだが、何の反応もない。


もしや方法が間違っているのかと思い、樽を持って湖に入ってみたが、やはり無反応だ。


詰んだ、と思った。


四日目。


目が覚めるなり、魚で空腹を満たした。

寄生虫が心配だったが、これ以外に食べるものがないので、選り好みできる立場ではない。


「魚が食べたい!」


ポンッ。


人魚がまだ近くにいることは確認できた。

だが、それがどうした。これ以外は願いを聞いてくれないというのに。


砂浜の上に大の字になって寝転んだ。

そして、俺を助けてくれた人魚の姿を思い浮かべた。


水中でなびく髪、白い肌、そして大きかっ……。


「ここはどこだ?」


さっきまで目を閉じて横になっていたはずなのに、目を開けると、いたはずの小島は消え失せ、周囲は水しかなかった。


あろうことか、俺は水の上に立っているではないか!


俺が困惑していると、

目の前に一人の女が現れた。


「こんにちは。お会いできて嬉しいです。私はウンディーネといいます」

「あ、ああ、よろしく。俺はエドウィンだ」


俺も思わず、彼女に合わせて挨拶を返した。


「ここはどこか分かりますか?」

「覚えていないのですか? あなたと私、体を一つにしたじゃないですか」


俺がいつそんなことをしたというのか?

こんな美女とそんなことがあったなら、忘れるはずがない。


どこで会ったのかしばらく悩んだが、ウンディーネの顔をじっと見つめると、どこかで見覚えのある顔だった。


下半身さえ魚であれば、湖の中で見た人魚に似た姿……。


「もしかして、俺が湖に落ちた時に助けてくれたのは君か?」

「ええ、そうです。思い出してくれたみたいですね。あの時は本当に熱烈でした。うっとりしちゃいましたよ」


ウンディーネがお腹をさすりながら言うが、俺の思考が彼女の言葉に追いつかない。


「ここがどこかってことと、体を合わせたことが何の関係があるんだ?」

「もちろんですとも」


ウンディーネがこちらに歩み寄ってくると、人差し指で俺の胸をコツンと突いて言った。


「ここはエドウィン、あなたの心の中ですから」

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