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エルディア戦記 ~王国編~  作者: 山城守


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序章4 【帝国編】燃え盛る野心

父アリスガイアが玉座に座る姿は、まるで精巧に作られた死体のようだった。アラリール崩御の報せを受けて以来、父はこの帝国の魂が宿るべき玉座の間で、ただ虚空を見つめて日々を過ごしていた。その赤い瞳はかつての覇気を完全に失い、大陸に覇を唱えんとした男の面影はどこにもない。そこにあるのは、大義名分という名の杖を失い、自らの立つべき場所すら見失った、ただの老人の抜け殻だった。


その無様な姿が、俺の腹の底に溜まった澱のような怒りを掻き立てる。戦は止まり、兵士たちの間には不満と倦怠の空気が伝染病のように広まっていた。彼らが求めているのは感傷に浸る老王ではなく、血と栄光をもたらす強き指導者だ。


「このままでは、帝国は内側から腐り落ちますぞ」


玉座に向けて発した抑えきれない怒りを滲ませた声の主は、ディーン。かつて山賊の頭目でありながら、父にその剣才を見出されて帝国軍の中核を担うに至った、生粋の戦好きだ。彼の周りには、同じように戦を渇望する武断派の将軍たちが集まり、玉座の間の惨状を苦々しい表情で眺めていた。彼らの視線は、父ではなく、その後ろに控える俺、アリストロスへと注がれている。その視線が何を意味するのか、俺には痛いほど分かっていた。父が独立を果たした時、彼らは終わりのない戦の日々を夢見てついてきたのだ。だが、今の父にその期待を叶える力はない。


その日の夜、俺の私室の扉が、控えめながらも確かな意思を持って叩かれた。入室を許可すると、そこに立っていたのは、昼間の武断派を率いていたディーンその人だった。彼の後ろには、その息子であり、俺と同い年のデュランが、氷のように冷たい無表情で控えている。


「夜分に失礼いたします、アリストロス殿下」


ディーンはそう言って恭しく頭を下げたが、その黒い瞳はまるで獲物を見定める肉食獣のように、爛々と輝いていた。


「何の用だ、ディーン。父上の許しもなく、勝手に持ち場を離れたのか」


俺はわざと冷たく言い放った。だが、ディーンは臆した様子もなく、顔を上げて真っ直ぐに俺を見据えた。


「もはや、あの腑抜けた皇帝に許しを乞う必要などありませぬ。我々が忠誠を誓ったのは、大陸に帝国の武威を轟かせる強き皇帝。感傷に溺れ、戦を忘れた老人に仕える気は毛頭ない」


ディーンの言葉は、率直で、そして燃えるように熱かった。彼の背後に立つデュランもまた、静かではあるが、その黒い瞳の奥に確かな同意の色を宿している。


「我々は、真の皇帝を求めております。帝国を、そして大陸全土をその武力で統一する、絶対的な強者。アリストロス殿下、あなた様こそが、その器にふさわしいお方だ」


ディーンは、俺の前に片膝をついた。その目は、狂信的なまでの期待に満ちている。


「我ら武断派は、殿下を新しき皇帝として担ぐ覚悟ができております。どうか、ご決断を。この帝国を、再び戦場へとお導きください」


好機だ。俺の心の奥底で、冷徹な声が響いた。父が勝手に転がり落ちていくのを待つまでもない。俺を支持する勢力が、向こうからやってきたのだ。父の優柔不断さに辟易し、兄の無能さに苛立ち、友であったアランの即位に嫉妬と焦燥を覚えていた俺にとって、この申し出はまさしく天啓だった。俺はゆっくりと立ち上がり、膝をついたディーンを見下ろした。


「顔を上げろ、ディーン。お前たちの覚悟は分かった」


俺の声には、自分でも気づかぬうちに、王者の響きが宿り始めていた。


「俺も、貴様らと同じ考えだ。弱き皇帝は、国を滅ぼす。感傷は、帝国の最大の敵だ。準備を整えろ。この国に、真の皇帝が誰であるかを、思い知らせてやる」


俺の言葉に、ディーンの顔が歓喜に輝いた。デュランの唇の端が、僅かに吊り上がったのを、俺は見逃さなかった。計画は、そこから数日のうちに、水面下で着々と進められた。ディーンが武断派の将兵をまとめ上げ、俺は宮殿内の地図を広げ、父に忠実な兵たちの配置を洗い出し、最も抵抗の少ない経路を選び出した。そこに、感情の入り込む余地は一切なかった。これは感傷的な家族の争いではない。国家の存亡をかけた、冷徹な権力の移行作業だ。


そして、運命の日が来た。俺は、真紅と黒を基調とした、俺だけのために作らせた鎧を身に纏い、ディーンとデュラン、そして彼らが率いる精鋭三百を従えて、玉座の間へと向かった。整然と、しかし威圧的に響き渡る俺たちの足音に、宮殿の者たちは恐怖に顔を引きつらせ、道を開ける。誰も、俺たちを止めようとはしなかった。いや、止められなかったのだ。


玉座の間への重い扉を、兵士たちが力任せに開け放つ。そこにいたのは、相変わらず抜け殻のように玉座に座る父アリスガイアと、その隣で心配そうに寄り添う、病弱な兄アリストリアだった。彼らは、武装した俺たちが突然現れたことに、ただ呆然とした表情を浮かべている。


「アリストロス…?その格好は、一体…」


父の声は、弱々しく震えていた。俺は、ゆっくりと玉座へと続く階段を上り、父の目の前で立ち止まった。その目は、もはや俺を息子としてではなく、理解不能な脅威として捉えていた。


「父上。いえ、アリスガイア・アドラステア。あなたには、もはや皇帝の資格はない」


俺は、氷のように冷たい声で宣告した。父の顔が、驚愕と屈辱に歪む。


「何を…何を言っているのだ、貴様…!」


「あなたの時代は終わったのです。アラリールの死と共に、あなたの大義も死んだ。今のあなたは、ただ玉座を温めるだけの置物だ。帝国は、停滞を許さない。我々には、前進あるのみ。大陸統一という、揺るぎない目標がある」


俺の言葉に合わせて、ディーンたちが鬨の声を上げ、手に持った槍の柄で床を打ち鳴らした。その地響きのような音に、父は完全に気圧されていた。隣にいた兄アリストリアが、か細い声で俺を止めようとする。


「やめろ、アリストロス!父上に対して、何という無礼を…!」


俺は、そんな兄を一瞥すらせず、冷たく言い放った。


「黙れ、兄上。病弱なあなたには、関係のないことだ。いや、あなたも同罪だ。その無能さで、父を惑わせ、帝国を弱体化させた」


突き放された兄は、血の気の引いた顔で絶句した。俺は再び、父へと視線を戻した。


「禅譲なさい、父上。穏便に済ませたいのであれば、今、この場で、帝位を私に譲ると宣言するのです。さもなくば…」


俺が合図すると、兵士たちが一斉に槍の穂先を父と兄に向けた。その殺気に、父の顔から最後の抵抗の意思が消え失せた。彼は、がっくりと肩を落とし、まるで何十年も歳を取ったかのように呟いた。


「……分かった。帝位は、お前に譲ろう。それで、満足か」


「賢明なご判断です」


俺はそう言うと、兵士たちに顎で命じた。


「アリスガイアとアリストリアを捕らえよ。城の最も深い牢獄へ連れて行け。二度と、陽の光を見せるな」


「アリストロス!貴様!この、親不孝者が!」


抵抗しようとした父は、兵士たちによって無慈悲に取り押さえられた。兄アリストリアは、抵抗する気力もなく、ただ青白い顔で兵士に腕を引かれていく。その目は、最後まで俺への恨みではなく、深い悲しみに濡れていた。だが、俺の心は微動だにしなかった。


二人が連れ去られ、静けさを取り戻した玉座の間に、俺は一人、ゆっくりと玉座へと歩みを進めた。そして、その冷たい玉座に、深く腰を下ろした。父の温もりがまだ残っているような気がしたが、すぐに俺自身の体温に塗り替えられていく。この瞬間から、俺がこの帝国の支配者だ。


「皇帝陛下、万歳!」


ディーンの叫びを皮切りに、万雷の歓声が玉座の間を揺るがした。俺は、その歓声を浴びながら、静かに目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、王になったというアランの姿。待っていろ。お前が築こうとしている偽りの平和も、理想も、全てこの俺が、力で塗り替えてくれる。


その時、静かに玉座の間に一人の人影が入ってきた。長く伸ばした黒髪を揺らし、その赤い瞳で真っ直ぐに俺を見つめている。妹のアリシアナだった。彼女はこのクーデターには一切関わっていなかったが、その表情に驚きや非難の色は一切なかった。


彼女は俺の前に進み出ると、優雅に礼をした。そして、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。


「おめでとうございます、お兄様。あなた様こそが、真の皇帝です

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