第2話 25
階段を登ってやって来たのは、黒尽くめ姿の三人。
先頭を来る男の手に握られているのも、刃を黒く塗り潰された短剣で、ひと目で彼らがまっとうな道の人間ではないのがわかる。
ほら、その証拠に彼はいっさいの無駄口もなく、その手の刃をこちらに突き込んで――
――守護竜よ! いまこの一瞬だけで良い! 僕にご加護を!!
恐怖に閉じそうになる目を必死に見開き、僕は迫る男の手だけを見据えて、両手で握る鞘で身を守った。
金属音が通路に響き、狙い通りに男の黒刃の切っ先が鞘に突き刺さる。
僕は後ろにたたらを踏みながら、天井に顔を向けて声を張り上げた。
「――アンネ! 今だッ!!」
その瞬間、男達の視線は確かに頭上に向けられた。
――だが、そこにアンネの姿などあろうはずもなく……
「ハァ――――ッ!!」
鋭い気合いの声と共に、先頭の男のすぐそばで姿を現したアンネは、下段から長剣を振り下ろした。
刃に刻まれた刻印が、彼女の魔道に反応して青白い弧を描く。
踏み込まれたアンネの足元で弾けるような音がして――いや、アイツ、石畳を本当に踏み割ってるぞ!?
「ガアアアァァァァ――――ッ!?」
胸を斜めに斬り裂かれた男が、獣の咆哮めいた悲鳴をあげて吹き飛び、壁に打ち付けられて崩れ落ちる。
アンネは止まらない。
振り下ろした動作からそのまま身を捻り、踏み足を軸足へと転じて流れるように次の獲物へ刃を走らせる。
刻印が放つ燐光が、下段から逆袈裟の弧を描いた。
次の犠牲者もまた天井近くの壁に叩きつけられ――
「――フッ!!」
空隙にさらにその身を滑り込ませるアンネ。
頭上に跳ね上げられた剣を握る手をそのまま置き去りに、身体の位置を動かすという――剣術を知らない僕にはよくわからないが、それでも確実に並みの力量ではないとわかる動作。
――剣を振るのではなく、身体を移動させる事で、彼女は剣を頭上に振りかぶっていた。
「ヤアアァァァ――――ッ!!」
裂帛の声と共に、再びアンネの足元が弾けて砕け飛ぶ。
「――ブッ!?」
顔面にアンネの攻撃を受けた最後の男の身体が、縦に回って床に落ちて跳ねるのと、打ち上げられていた二人目の男が床に落ちるのがほぼ同時。
僕が唖然としている間にも、アンネは一足飛びに――誇張でもなんだもなく、文字通りの一歩だ――僕の目の前まで戻って来て、長剣を中段に構えたまま、たった今倒したばかりの男達を見据える。
――一瞬の出来事だった。
アンネが男達に振るったのは、それぞれ一撃で……
――ただそれだけで、アンネは三人の襲撃者を一瞬で無力化して見せた。
その姿は、王宮の実力ある騎士が見せるような膂力に任せた剣技とは一線を画していたが、かと言って見た目だけを気にした近衛騎士のようなお遊戯剣術とも違っていた。
先程のアンネの攻撃は、その動作ひとつひとつが指先まで洗練されていて――まるで舞踏の名手が舞っているかのように美しく、僕には見えたんだ。
「ふぅ……」
男達が完全に行動不能となっているのを察して、アンネは吐息と共に構えを解く。
「……こ、殺したのか?」
僕を守らせる為に、幼い――前世の記憶を持っていると言い、成人していたと言い張っていたとしても――彼女の手を汚させてしまったのではないかと、僕は慌てて尋ねる。
途端、彼女はクスリと笑って。
「まさか。貴重な情報源を失くすようなマネはしないわ。峰打ちよ」
「――みね……うち?」
「わたくしの剣は片刃なのよ」
と、そう応えながら、アンネは僕に自身の剣を見せた。
「ああ、刃のない方で攻撃していたのか……あの状況でよく……」
彼女の底知れない武力に僕が呻いている間にも、アンネは床に落ちている襲撃者達の短剣を拾い集め、腰の帯に挟んで行った。
それから手慣れた様子で男達の身体をまさぐって武装解除すると、彼らの着衣で四肢を拘束していく。
あまりにも手慣れたその様子に――
「……そういうのも、フェルノード騎士団で習ったのか?」
僕はアンネの背中にそう尋ねる。
「いいえ、これは前世の記憶によるものね。
この家では、わたくしはお嬢様だから――戦いの術は教われても、こういうのは従者の仕事だからって、教えてくれないのよ」
苦笑して答えるアンネの手は、その間も淀みなく動いて男達を縛り上げた。
「まあ、そもそも令嬢が剣を持って戦う事自体、中央貴族ではあまり良い顔をされないらしいな」
学園では男女共に武道を学ぶが、貴族達の間では令嬢は希望者だけにすべきではないかという話も挙がっているとか。
あれだけの武を持つアンネにとっては、面白くない話かもしれないが……
「仕方ないんじゃないかしら?
嫌がってる人にムリに教えても身につくものではないし、生兵法は怪我の元――変に戦う力を持ってしまったら、自身だけじゃなく周囲も巻き込む事になるわ」
だが、当のアンネは達観したようにそう返し、肩をすくめて笑ってみせた。
――他者は他者。
そう言えるだけの研鑽を積んできたのだと――その笑みはたしかに語っているように思える。
「……前世で……君は戦いに身を置く生活をしていたのか?」
いかにこの城に居着いた長命種や騎士団に鍛えられていたとしても、わずか九歳の身であれほどの武が身につくとは思えない。
途端、アンネは誇らしげに――そして花開くように可愛らしい微笑みを浮かべた。
「正解。わたくしはこれでも帝……皇帝陛下直属の部隊にいたのよ」
「つ、強いとは思ったが、皇帝直属とはまた……」
彼女の前世の統治制度はよくわからないが、皇帝と言うからには属国を複数従える国の頂点だったのだろう。
そんな人物から勅命される立場に居たというのなら、彼女の武も納得が行くというものだ。
「まあ、わたくしは隊じゃ下も下……落ちこぼれみたいなものだったけどね」
と、誇らしげだった彼女の表情がしおれるように陰って、自嘲気味にそう呟いたのだが――僕は思わず目を見開いた。
「――アレでかっ!? アレだけの剣技を披露できる君が落ちこぼれとは、どんな部隊なんだ!?」
食って掛かると、アンネは困ったように表情を引きつらせて。
「え、えーと……隊長は金眼の竜の頭を素手で握って、ヒャンヒャン鳴かせてたわ」
「おい……」
「そうそう、総長なんて怪異――魔物の群れから民を逃がす為に、千葉から神奈川――ええと、数十キロの距離の海を一太刀で割ったと先輩が言ってたわね」
「よーし、わかった! 君がどっかズレてるのは、フェルノード家という特殊な家のせいかと思っていたが、その前世で出会ったという人物達のせいなんだな!?」
早口でまくし立てるのだが、アンネはわかっているのかいないのか。
「あら、あの世界で英雄級の人達なら、あれくらいできて当然なのよ」
小首を傾げてそう続けるアンネに、僕はただただため息を吐くばかりだ。
そういう人物を見慣れていたからこそ、彼女はリリィというとんでもない能力を秘めた義妹を、なんの疑問も抱くことなく受け入れられたのかもしれない、と――今は納得しておく事にする。
人の運命を導く<三女神>の思し召しなのだ、と。
――と、そこへ。
「――お嬢、殿下! 無事ですかい!?」
見晴らし台へと続く扉が開いて、同行していたフェルノード騎士――昨夜から僕の警護をしてくれているベンがやって来た。
そうして海老反りに拘束されて、床に転がされた襲撃者三人を見つけ――
「――って、こっちにも来てたんですかい!?」
――驚きの声をあげた。
「あら、こっちにもって事は、そっちにも行ったのね?」
応じるアンネは、襲撃者を撃退した事を誇るでもなく、冷静にベンに報告を求める。
「ええ、目的を吐かせる為に眠らせて、ふん縛ってます」
対するベンも余計な事は言わない。
アンネが襲撃者を返り討ちにした事は、ベンにとっては驚くほどの事ではないのかもしれないな……
「さすがね。リリィは無事?」
「あっしらがネズミ一匹にしてやられるとでも?」
と、ニヤリと男臭く笑うベン。
「そちらの状況報告はクリスにしてもらうわ。
――ベン、おまえはこいつらを牢へ」
「――わかりやした!」
アンネがアゴで襲撃者を指し示すと、ベンは敬礼して応じた。
フェルノード騎士でも上位に位置するのだというベンは、三人の襲撃者を<念動>の魔法を喚起して、いともたやすく宙に吊り上げ、昇降器の中に押し込む。
「――この件、僕が連れて来た騎士達には……」
そんなベンに僕は、騎士達こそ襲撃者の雇い主である可能性を説明しようとしたのだが――
「――大丈夫っスよ。お館様から隊長を通して聞いてやす。
殿下はなんの心配もせず、引き続き月見を楽しんでくだせえ」
と、彼はいかつい顔には似合わない紳士の礼を取って腰を折る。
「どうもリリィお嬢が、おもしれえモンを見せてくれるらしいですぜ」
そう言い残して、ベンは昇降器のドアの向こうに消えた。
「――おもしろいもの?」
僕とアンネの疑問符が重なる。




