第2話 24
「まあ、わかりやすく言えば主人公にとっての障害――立ちはだかる壁役ね」
そう言って、彼女――アンネローゼ・フェルノードは不意に視線を左手側に向けた。
薄闇の向こう、あちらにあるのは下層から登ってくる階段があると、先程アンネが説明していた。
アンネは野生の獣を彷彿させる、しなやかで流れるような動作で立ち上がる。
手には彼女が魂装と呼んでいた長剣。
それを鞘から抜き放ち、アンネは僕に向けて口元に人差し指を立てた。
『――リオールは奥に……』
声には出さずにそう告げて、彼女は通路の奥手を指差すと、自身は床に敷いた僕の上着を手に取るって、鞘にかぶせて壁に立てかける。
囮――なのだろうか。
薄闇に包まれた通路の中で、鞘に架けられた上着は遠目には僕がうずくまっているように見えないこともない。
この段階でようやく、僕は襲撃者が来たのだと気づいた。
自分で言い出しておいてなんだが、本当にこのタイミングで――予測通り騎士達がフェルノード姉妹を巻き込む形で動くとは……
指示に従って僕は通路の角に身を隠す。
その間にアンネは、昇降器の入り口へと移動して張り付く。
「――ゲームの中でのわたくしは、一種の試練なのよ」
この状態でなお、彼女は話を続けるつもりらしい。
……いや、話し続ける事で、襲撃に気づいていないと思わせようというのか。
「……し、試練?」
恐怖に声がうわずってしまわないように努めて、僕はアンネに応じる。
「――そ。必要なステータス……最低限の成長を主人公にさせていなければ、そこでゲームは終了。出直してらっしゃいってワケ」
「ああ、気に入った貴公子の講義だけを受けるだけでなく、他の講義も受けて最低限のステータスは均等に伸ばす必要があるのか。
……おもしろいな」
――アンネは続ける。
「そうして最初の一年は共通パート――ある程度、貴公子達と均等に友好を深めて、彼らが抱える事情を知っていくのよ。
――お話が動くのは二年目……」
説明しながら、アンネは指を鳴らした。
虹色をした球状の結界が彼女の周囲に現れる。
僕は目を見張った。
彼女の年齢――僕と同い歳で結界魔法を張れる者が、国内にどれほどいるだろうか?
それも喚起詞を謳うのではなく、より実戦的な略式でだ。
アンネが先程挙げていた兄上の側近候補達の中でも、将来を嘱望されている騎士団長嫡男のダニエルでも、この域には達していないだろう。
魔道の申し子ともてはやされている、エリオットもまた同様だ。
再びアンネの唇が、音を出さないままに動く。
『……驚かないでね』
僕にそう告げて、彼女は長剣を握っていない左手を結界にかざす。
途端――
「――――ッ!?」
僕は驚きが漏れないよう、両手で口を抑えた。
彼女を包んでいた虹色の結界が色を失って行き――次の瞬間には、アンネの姿ごと霧散していたのだ。
「――二年目になると、貴公子達の個別パートが始まるわ」
僕を安心させる為か、姿が見えないままながらアンネはそう告げて、変わらずにそこにいるのを教えてくれた。
「一年目で主人公が条件を満たした貴公子を中心とした物語が始まるの」
「条件とは?」
「各貴公子パートに進む為の必須ステータスと……あとはフラグ回収――主人公の一年目の選択と経験ね」
アンネの説明に僕はこれまでに彼女が語った、ゲームのルールを思い出しながら考える。
「ああ、つまり講義を受けて能力を上げるだけでもダメで、貴公子達と対話を通して信頼も勝ち得てないといけないわけか」
「そう。理解が早くて、本当に助かるわ」
顔は見えないけれど、アンネが褒めてくれるその言葉が心からのものだというのは、短い付き合いだがもはや疑いようがない。
イヤなものはイヤだと言い、すごいと感じたものは素直にそう言うのがフェルノード姉妹だ。
きっと今も純粋に僕の理解力を褒めてくれているに違いない。
――家庭教師なら、父上の子なら当然って言うだけなのにな……
フェルノード公爵を始めとして、ここの人々は王子としてではなく、僕自身を――リオール・ロムマークを見て、怒ったり褒めたり喜んだりしてくれる。
その事が……たまらなく嬉しい。
拳を握って、頬が緩みそうになるのを抑える。
「より深い仲へとなっていくふたり。
個別パートと言った通り、二年目は貴公子達が抱える問題を主人公が解決していく物語なの。
――そして……」
姿の見えないアンネが、ふっと自嘲気味な吐息を漏らした。
「それらの物語の大半で、アンネローゼは国家を揺るがす大罪を犯したとして捕縛され……」
彼女の声が震え出す。
「わたくしは……い、いえ、ゲームの中のアンネローゼは……連座となった御家ごと、民衆の前で処刑されるの」
……ああ、彼女の苦悩が――いまようやく理解できた気がする。
妹や御家の為なら平然と腹を裂いて見せる彼女にとって、処刑されるのはさして問題ではないはずだ。
だが、それが御家を巻き込み、その名誉を失墜させるとなれば話は別のはずだ。
――彼女はなにより、それを恐れている。
「……国家を揺るがす大罪、とは?」
「相手によるわね。
選んだ貴公子の物語によって、そこへ至る内容が変わるのよ。
共通しているのは……それがきっかけで大侵災が引き起こされて、王都は魔物に襲われるってことかしら」
姿は見えないが、アンネの呼吸がやや荒い気がする。
これ以上は止めるべきだろうか?
だが、ここでいきなり話題転換しては、襲撃者に不審感を抱かせてしまうかもしれない。
「…………」
僕は短い沈黙の後、拳を握りながら苦渋の選択をした。
「たとえばエリオットはどうなんだ?」
その問いに、アンネは息を呑み――
「彼の場合は、やっぱり魔道関連ね。
主人公とエリオットは、霊脈の異変を調査する為に王城地下の遺物――ああ、今にして思えばあれが<世界樹の根>なのでしょうね――を調べようとするのだけれど、アンネローゼは家の力を使って、様々な邪魔をしていくの」
やや早口で告げられるのが……顔が見えないからこそ痛々しく感じる。
「そもそもの話、なぜゲームの中のアンネローゼは聖女――主人公をそこまで敵視しているんだ?」
少しでも彼女を楽にしてやりたくて、話がズレすぎないよう頭を捻り、自然に見えるように注意しつつ話題転換。
けれど、僕のその思惑はどうやら失敗だったようだ。
姿の見えないアンネは、ひゅっと息を飲み込んで。
「わ、わたくしは……アンネローゼは、レオン殿下の婚約者に、なってて……」
……つまりは、だ。
ゲームの中のアンネローゼは兄上の婚約者に立てられていて、それゆえに庶民出の聖女――主人公が兄上やその側近に近づくのが赦せなかったという事だろうか。
僕自身はゲームの中のアンネローゼを知らないからな断言はできないが、アンネが一年目の彼女を『試練のような存在』と評したのだ。
恐らく、トチ狂った性格をしているわけではないだろう。
嫉妬というよりは、兄上の婚約者として、そしてこの国の建国以前からある御三家の一角――譜代公爵家の令嬢として諫言していたのではないだろうか。
だが、庶民の主人公の視点から見たなら、そういう政治力学など理解できるはずもなく、ただ邪魔をしているようにしか見えないといったところか。
根気強く諫言を続けるアンネローゼと、色恋に目を眩ました兄上達。
なまじ権力があるかれらが、アンネローゼを消そうと思ったとしても不思議ではない。
……現に今、僕自身がそうされているのだから。
「……ああ、アンネ。君は……」
彼女が抱えた重荷に、僕は思わず呟く。
彼女の危惧が、<未来視>によるものなのか、この世界が本当に彼女が前世で遊んでいたゲームを元に造られたものなのかはわからない。
だが、今、彼女はそのことに恐怖していて。
それでも情けない僕の為に、それを押し殺して僕を狙う襲撃者に対峙しようとしている。
……ならば、だ。
「――アンネ、作戦変更だ……」
こんな情けない……同い歳の女の子に守ってもらうしかない僕だけど、できることはあるはずだ。
僕は通路の角から一歩を踏み出す。
「――君が僕を守ると言うのなら、僕は君の心を守ろう!」
通路を歩きながらアンネにそう告げて、僕は壁に立てかけられたアンネの長剣の鞘を、上着の中から取り出して構える。
「――居るのはわかってるぞ! リオール・ロムマークはここだ! 出てこい!!」
階段へと向けて、大声で怒鳴った。
「――ちょっ!? リオールッ!?」
驚き声をあげるアンネに――姿は相変わらず見えないままだったが、きっと恐れなんて吹き飛んでいるだろう?
「――これは、その為の布石……第一歩だ」
それを成す為に、僕はなんとしても生き延びなくては――
「僕を守り切れよ! アンネ!」
彼女がいるはずの方へ笑顔を向けてそう告げて。
もはや忍ぶことを止めたのか、足音荒く階段を登ってくる襲撃者達を待ち構え、僕は鞘を握る両手に力を込めた。




