第2話 20
「では、とっておきだ――」
そう告げて、リオールは視線を再び天井に向けて告げたわ。
「――僕は王后陛下と兄上に嫌われていてな……」
それは王都から遠く離れた、このフェルノード領にまで届いている有名な話で、だから宮廷事情に疎いわたくしでも知っていた。
「……僕と母上が離宮で暮らしているのも、王后陛下が父上に頼み込んだからだと思ってたくらいだ……
だから今回フェルノード領に送られたのも、同じように……王位継承者である僕を母上の元から離す事が目的だと、そんな風に考えたりもした」
その表情があまりにも寂しそうで……
「――リオール、それは違うわ!」
思わず口を挟んだわたくしに、リオールは左手を出して押し留める。
「わかってる。いや、わかったというべきだな。
――フェルノード公に教えてもらったよ。
王后陛下はそんな方ではないとな……」
そう。王后陛下――イザベル様はそんな方ではない。
少なくともお母様から聞かされているイザベル様は、暗躍なんて好まない清廉潔白な人で、嫌な事は真正面から否定なさる方だと聞いているわ。
そもそもイザベル様と側妃殿下――ルーシア様のお輿入れはお二方が幼い頃、ご本人達のご意思とは無関係に決まっていた事よ。
はっきりとものを言うイザベル様と、ほんわかした雰囲気のルーシア様は一歳違いということもあって、学園ではまるで実の姉妹のようだったと――わたくしはお母様から教えてもらっている。
「……王后陛下は、僕と母上を守ろうとしてくれていたそうだな……」
継承戦争という戦乱の時代が終わり、平和が長く続いているロムマーク王国の貴族は、ふたつの譜代公爵家――ロムレス家とアルマーク家を筆頭として派閥を形成しているわ。
これは王家と譜代公爵である御三家の思惑によるもので、臣籍降下した旧王族を旗印に貴族達がまとまるのを防ぐのを目的としているみたい。
対立するふたつの派閥を維持する事で、宮中の貴族達の動きを監視し、婉曲的に制御しようとしてるのね。
宮中におけるそのふたつの派閥の争いは、王陛下の婚約者が両派閥の家から選ばれた事から激化し、王后陛下が先に御子を授かった事により、さらに加速したみたい。
――次代の王だとしてレオン第一王子を担ぎ上げ、横暴に振るまうようになったロムレス派閥と。
――立場が弱くなったからこそ、他方面で挽回しようと試みるアルマーク派閥と。
宮中の雰囲気は最悪だ――と、お仕事で登城して帰ってくるたびに、お父様が愚痴っているわ。
そんな王城で、リオールやルーシア様の扱いがどんなものか……想像するに難くない。
だからこそ、王后陛下はお二人を離宮に移したのでしょうね。
様々な貴族や、その派閥に属する者達が入り交じる王城と違って、離宮であればアルマーク派の使用人だけに限る事ができるから。
気の休まる事のない王城より、安心できる離宮で暮らした方が良いと、王后陛下はそう考えたのだと思うわ。
リオールはお父様に、それらの真実を教わったのでしょうね。
「今回のフェルノード領に送られたのも、建前は<能力検査>だったが、実際は僕の気晴らし目的が大きかったのではないかと公爵に教えられたよ」
危険こそないものの――離宮での暮らしは、ひどく不自由なのだとリオールは語る。
誰もがリオールを次の王に押し上げようと必死で、王に必要な様々な勉強を幼いリオールに強いるのだという。
加えて、王城で行われる授業では、レオン第一王子やロムレス派の貴族と出くわす事もあり、密かに嫌がらせされることも少なくないのだという。
「公爵は言ってたな……このままでは僕が歪んでしまう――いや、歪み始めたのを察したからこそ、父上と王后陛下は僕を城からも離宮からも引き離したんだろうってさ。
だが……お二方の想定外の事が起きている」
そこで言葉を切って、リオールはわたくしを見た。
「昨日、リリィが僕に<帝殻>で殴りかかった時、騎士のハインツは動かなかっただろう?」
「……言われてみれば……」
一部に名ばかりの騎士も居るとはいえ、王宮騎士の大半は侵災の際には魔物を相手にする屈強な戦力だわ。
あの時、リオールに同行していたハインツもまた、その魔道器官から放たれる魔動から考えて、フェルノード公爵家の騎士達とまではいわないけれど、衛士程度の戦闘能力を持っているはず。
少なくとも身体強化を必須技能とされる王宮騎士なら、リリィの<帝殻>を弾くなんてワケないと思うわ。
――だって、わたくしでもできた事だもの。
「恐らくハインツはな……僕を見殺しにしようとしたんだ」
「――そんなっ!?」
驚くわたくしに、リオールは自嘲気味に笑う。
「王宮の主流は今、ロムレス派だからな。
ハインツもそうなのだろう。
……この地で僕が害され――あわよく死のうものなら、連中は対立するアルマーク派だけではなく、中立を貫くフェルノード公爵家を叩く口実を作れることになる」
「だから、あの護衛騎士はあえてリリィを止めなかった、と?」
わたくしの言葉にリオールは首をひねったわ。
「まあ、アレにしてみればあの件は偶発的なものだっただろうからな。
……単純に幼いリリィがあんな力を持っている事に驚いて、動けなかった可能性もあるだろう……
――だが……」
と、リオールはアゴをしゃくって、昇降器の向こうの見晴らし台へと続く入り口を示す。
「ここに来るのに、ハインツら護衛騎士が同行していないのを、君は不思議に思わないか?」
「ウチの騎士が止めたのかと思ってたわ」
領城の中はヨソには見せられない、様々な仕掛けや魔道器がある。
それを知っているウチの騎士達は、基本的にヨソから来た人が自由にうろつくのをよしとしないのよね。
「それでも同行を強行するのが本来の王宮騎士だ。
――ハインツのように、その職責を誇っている者ならなおのことな。
だが、今日、僕が書庫に呼ばれた際も、今ここに来る際もハインツはもちろん同行してきた他の四人の騎士達も、アールバ殿に止められると実に素直に従っていたぞ」
「……つまり、また事故が起こる事を期待していた、と?」
昨日のリリィの無礼は子供のしたことであり、さらにわたくしが切腹を強行したことで不問にすることになったのだとお父様が言っていたわ。
王宮騎士達は不満げだったそうだが、治るとしても痛みはあり、それは罰として考慮されないのかと、お父様がうまく言いくるめたみたい。
――治ればなかった事になるなら、殿下の怪我も治ったのですから、なかったことになるのでは?
ローザがそう告げたのが決定的だったとか。
わたくしは聞いただけだけど、あの蔑むような目で口元に笑みを浮かべる――騎士団に訓練を施す時に見せる表情で言ったに違いないわ。
「……たぶんな。
書庫に同行しなかったのは、それが当たり前の状況だったという事例を作る為だと僕は睨んでいる。
恐らくこれから……直接ハインツ達が動くことはないにせよ、なにかしらのトラブルが起こると思うんだ」
「なっ――!?」
驚くわたくしに、しかしリオールはいたずらめいた表情で告げる。
「――御家をなにより大切に思う君らだ。当然、守ってくれるだろう?」
そう言われてしまえば、わたくしは歯噛みしながらも否やとは言えない。
幼いながらも王子の立場にある彼は、自身の弱さを自覚して……ズルさを覚えたと思う。
要するに自分と我が家を人質に、庇護を求めているのよ。
「……リオール。明日からはわたくしの鍛錬に付き合ってもらうわ……」
「――む、待て! なんでそうなる!?
騎士達から聞いているぞ!? 君の鍛錬って、新入りがナメてマネして、ぶっ倒れたんだろう?」
目を剥くリオールに、わたくしは笑顔を向けたわ。
「ええ、ええ。友人ですもの。優しいリオールはきっと付き合ってくれるわ」
「い、いや確かに騎士の鍛錬は望むところだが、物事には順序というものがあってな!」
と、リオールは慌ててそう言い募ったのだけれど、鍛錬自体を嫌と言わないことにわたくしは好感を覚え、その必死な様子に思わず噴き出してしまう。
そんなわたくしを見て、リオールもまた笑い出し。
「ようやく、調子が戻ってきたようだな」
そう言って、自分の顔を指差して見せた。
「――顔色も戻ってきたみたいだ」
「あ……」
わたくしは頬に手を当てて、いまさらのように先程まで感じていた恐怖と焦燥感が薄れている事に気づく。
リオールが苦笑した。
「……アンネはやはり、騎士の気質を持っているのだな。
普通は僕の話を聞いたなら、余計に顔を青くするだろうに……」
「それを承知で話したリオールに言われたくないわね」
呆れ混じりに応えると、リオールは肩を竦める。
「こういう話の方が、君は奮い立つだろう?
……昨日出会ったばかりだが、君やリリィは離宮に来る貴族子女と違って、すごくわかりやすいからな」
「……む、素直だと褒められたと思っておくわ」
わたくし自身、前世では女学校の出で男子の友人なんておらず、今世ではそもそも同年代の男子と接したのはリオールが初めてだけど、リオールは立場や性別を超えて話しやすい男の子だと思う。
もちろん、わたしの心の奥底はいまだに婚約者への想いが占めているし、肉体的にはともかく心の年齢もあって、リオールを恋愛対象とは考えたりはできないのだけれど、リオールはわたくしなんかには、もったいないくらいにデキた友人なのでしょうね。
……だから。
「――それで……話してみる気になったか?
君が顔色を変えるほどに思い悩む理由、を……」
そう言われたわたくしは、覚悟を決める事にした。
きっと彼は――信じてくれるはずと、そう願って。




