第2話 19
……その夜。
わたくしはリリィ、リオールと一緒に城の中央塔に登っていた。
日中にリリィがリオールと約束した、お月見をするためよ。
我が家の真の姿を知ったリオール相手に隠す必要もないと、階段ではなく昇降器を使う事にしたわ。
「――魔道塔に似たようなものがあると、家庭教師から聞かされていたが……実際に乗るのは始めてだ。
……なんというか、変な感覚がするものなのだな……」
昇降器の中で、上昇する感覚に驚きながらリオールが言ったわ。
魔道塔というのは、王宮にある宮廷魔道士達の研究棟の事。
興国当時に王太子妃に請われて招聘された大魔道ゾル様が、王宮内に一晩で建てたという伝説が残る建物で、宮廷魔道士達の研究塔となっているのよ。
「――魔道塔のものは、大魔道様が用意した魔道器……ジーコン? とかいうものが使われていて、この押さえつけられるような感覚はないって聞いたわ」
違和感におかしな表情を浮かべるリオールに、わたくしは笑いながら応える。
魔道塔の昇降器は、宮廷魔道士が使う事を前提として造られているから、魔道で喚起する――魔道器なのよ。
「ウチの昇降器は、緊急時には魔道士以外も使う事を考えられているの」
「――緊急時?」
首をひねるリオール。
「……あ、ひょっとして――」
同行しているリオールの侍女がポツリと呟いたのだけど、すぐにリオールやわたくし達の許可なく発言してしまった事に気づいてうつむいた。
「リンダ。気づいた事があるのなら教えてくれ」
「は、はい。フェルノード領都は魔境に隣接しているので、その……魔獣の氾濫なども起きやすいのではないかと。
そういう危急の際は前線に立つ騎士に代わり、魔力のない衛士などもここで監視役をする事もあるでしょうから――だからあえて、そういう造りにしてあるのでは?」
「――すごいわ。その通りよ!」
リンダと呼ばれた侍女に、わたくしは素直に称賛の拍手を送る。
初めてお父様とこの塔に登った時、前世の記憶があったにも関わらず――いいえ、逆にだからこそ、それに慣れ親しみすぎていたから――、わたくしは昇降器にさして興味を抱けなかった。
お父様は不思議そうな顔をしていたけれど、今にして思えばアレは昇降器に驚いてもらいたかったのかもしれないわね……
きっとわたくしが幼すぎて、昇降器のすごさを理解できなかったとっでも思っているかもしれない。
一方、リンダは注意深く塔の建設理由を考察していた。
子爵家の三女だと紹介されたけど、その立場で王宮侍女――それも第二王子付きとして、遊説先まで同行を許されているのだから、かなり優れた人物なのかもしれない。
そういえば昨日、リリィがリオールに殴りかかった際も、王宮騎士より先にリオールを庇っていたわね。
学園を卒業したての十八歳だったかしら?
ちょっとおどおどしたところがあるけれど、<帝殻>を振り回すリリィからリオールを守ろうとした土壇場の度胸は目を見張るものがあるわ。
……鍛えればすぐにレベッカに追いつけるんじゃないかしら?
そんな事を考えながら、わたくしはリンダとリオールに説明する。
「ウチの昇降器はね、金属をより合わせたワイヤーで箱を吊って、錘を上下させることで動いてるの」
前世のエレベーターと同じ原理ね。
「錘は軌道に接続されていて、上下動で箱の速度が出過ぎないように制動装置が付いているわ」
「む? つまりこの昇降器はすべて機械で動いてるということか?
……いや待て。だがさすがに機械式では、制動装置が動作する動力が思いつかんぞ」
「さすがリオール。よく気づいたわね。
この昇降器も全部が機械式ってわけじゃなくて、一部には魔道が使われてるわ」
と、わたくしは入り口そばに設けられたパネルの「▲」と「▼」のボタンを指差す。
「はいは~い! リリィ知ってる! それを押すと軌道の刻印が霊脈に接続して、せーぎょそーちが動くんだよ!」
リリィが手を挙げて、ふたりにそう説明した。
リオールとリンダの目に理解が広がっていく。
「ああ、つまりこの昇降器は、最小最低限にまで簡略化された魔道鉄道なのか!」
わたくしはうなずきを返したわ。
「――正確には鉄道王ダルギニア卿は、古代遺跡で遺棄されていた昇降器の痕跡を見つけて、鉄道を思いついたと――彼の伝記で読んだわ」
ダルギニア卿――グリント・ダルギニア男爵は八十年ほど前の人物よ。
魔道士でありながら――いいえ、魔道士だからこそ、その好奇心が抑え切れずに城務めを断り、在野に下って冒険者として各地の遺跡を巡っていたと、伝記には書かれている。
今言ったように遺跡で昇降器の遺物を発見した彼は、その構造を調査し、霊脈によって動作する制動装置を見出し、魔道鉄道を発明した。
彼がすごいのは、霊脈から魔力を吸い上げる制動装置の刻印から、動力車を動かす動力装置――霊脈炉を生み出してしまったところね。
完成したそれは、前世の歴史における機関車と同じ原理で、あの世界と同様に様々な乗り物の原型となったわ。
ダルギニア家の彼の子孫は、グリント氏の研究を引き継いで、魔動車や魔動二輪、飛行船といった交通革命を起こして、現在は伯爵まで陞爵されているほどよ。
もっともダルギニア家は商売にはそれほど興味がないようで、グリント氏が冒険者の時代から懇意にしている商会に販売権利を与え、特許料を受け取ることで新たな研究費としているみたい。
現在、ダルギニア伯爵家はグリント氏の孫が当主となっているそうだけど、三代目になったいまでも、霊脈炉の小型化は魔道二輪に搭載されるものが精一杯で、昇降器の錘に付けられているサイズは再現できてないのだそう。
王都にほど近い農村を領地として封じられている彼の御家の屋敷には、昇降器実験用の高い塔が建てられていて、ちょっとした名物になっていると聞くわね。
……なぜ、ここまでわたくしがダルギニア家に詳しいのかというと――
「そういえば知ってるか? ダルギニア伯爵には僕らと同い年の令息がいるんだ。
兄上の側近候補だから僕は面識を持たないようにしているが、錬金学と刻印術の天才と言われているそうだ」
リオールが何気なく放った言葉で、胸が激しく脈打った。
――知ってるわ。いいえ、覚えていると言った方が正確ね。
「そ、そうなのね。あ、あたし達と同じ歳で、そんな風に言われるなんてすごいわね……」
あたし今、うまく笑えてるかしら。
「お、おい? 君、なんか顔が真っ青だぞ?」
……だって彼――エリオット・ダルギニアは……
リオールがあたしを支えようと手を伸ばしかけ、けれど――きっと紳士として婚約もしてない淑女の身体に、触れていいのか迷ったのだと思う――あたしの肩の少し上でその手を彷徨わせる。
「……お姉様?」
リリィも不安げな表情であたしを見上げてくる。
「ひ、久しぶりに昇降器に乗ったから、酔っちゃったのかも……
……もう、大丈夫よ」
あたしは心配してくれるリリィとリオールにそう応えて、額に浮かんだ汗をハンカチを取り出して拭った。
――深呼吸。
大丈夫、わたくしは大丈夫。
いつものように、そう自身に言い聞かせる。
「なら良いけど……ムリしないでね」
「ふふ。いつもと逆ね。心配してくれてありがとう」
そう言って銀髪を撫でてやると――
「んふ。どーいたまして~」
リリィは安心したのかにっこりと可愛らしく笑って見せてくれた。
――と、ベルの音が室内に響いて、最上階への到着を知らせてくれる。
ドアが左右に開いた。
入り口そばに立っていた我が家の騎士――まずベンとクリスが手持ち晶明を灯して、昇降器から降りる。
それに続いてリンダが恐る恐るという体で外に踏み出したわ。
「――とうちゃ~く!」
お父様に言われた通り、もこもこの白いポンチョで厚着したリリィが両手を広げて飛び出したわ。
リオールもその後を追って――
「――はぁ……」
わたくしは独り昇降器内に残って、内壁に身体をもたれかけて大きく吐息する。
音もなく昇降器のドアが閉じようとした。
――と……そこに手が差し込まれて、強引に押し広げられた。
「……おい、やっぱり平気じゃないんじゃ……」
わたくしが後ろに続かないのに気づいたのか、リオールが戻ってきたようだ。
「――リオール、安全装置がついているけど、ドアを開けたい時はボタンを押してちょうだい」
万が一にも安全装置が働かなかったら、指を挟まれて怪我をしてしまうわ。
「む、そうなのか。次からはそうしよう……
――それより君だ」
彼は意を決したようにわたくしの手を取って、昇降器の外まで連れ出した。
塔の最上階は階段の昇降口と、昇降器の出口があるだけで、物見に使う見晴らし台への出入り口は、昇降器の搭乗口の丁度真裏にある。
薄暗い通路の内壁にわたくしをもたれかからせて、リオールはすっと息を吸い込んだ。
「目覚めてもたらせ。<水精>」
そうして紡がれた喚起詞は周囲の精霊に干渉して魔法となり、リオールが胸元で伸ばした右手人差し指に拳大の水塊を生み出した。
「ほら、ちょっとそれを貸せ」
リオールは恥ずかしげにそっぽを向きながら、わたくしが握り締めたままにしていたハンカチをひったくると、魔法で喚起した水塊でそれを湿らせた。
「ほ、本当にもう平気なのよ?」
「――いいから」
まだうまく魔法を扱えないのか、リオールは濡らしすぎたハンカチを軽く絞ってから、わたくしに差し出したわ。
リオールが壁に背を預けてしゃがみ込み、わたくしにもそうするようにと、自分のすぐ横の床に上着を敷いて叩いた。
「……早く座れ。今ならば礼儀作法でうるさく言う者はおらん。
リリィには三人もついているのだ。おまえが少しくらい離れていたところで問題ないだろう?」
わたくしを気遣って、あえて命令口調で言ってくれるリオールに思わず苦笑が漏れた。
会釈して、彼の隣に腰を下ろす。
王族の上着に座るなんて普通の令嬢なら考えられないのでしょうけど、わたくしを友人として扱ってくれている彼の気遣いを断る方が失礼に当たるでしょう。
「――で?」
声のトーンを落とし、リオールは天井を見上げてそう切り出した。
「……察するに、酔ったというのはウソで……
不調の理由はエリオット・ダルギニアにあるんだろう?」
彼を所詮は子供と思って侮って……完全に油断していた自分を叱り飛ばしたいわ。
王族が施される教育は、相手の表情を読む――洞察力を養う事も含まれるのだと、わたくし自身も先生達から教わって知っていたというのに……
「ふむ。どうやら言いづらい内容なのか?」
そんなわたくしの内心には気づいているのかいないのか。
リオールは腕組みして鼻を鳴らすと、天井を見上げたままに続ける。
「無理に聞き出すつもりはないが、話せば楽になるという事もあるだろう。
……ああ、そうだ。こういうのはどうだ?」
と、リオールの視線が天井から降ろされ、わたくしに向けられた。
「まずは僕の秘密を話そう」
「――は?」
「それに見合うと思ったら、君の悩みも聞かせてくれ」
そう告げたリオールの表情は、どこにでもいる男の子のいたずらの相談を切り出す時のようなもので、わたくしは戸惑いながらも気づけば頷いていた。
「では、とっておきだ――」




