第2話 18
「――良いか? そのデカい手……<帝殻>で殴られたら、普通は死んでしまうんだ」
「え? そうなの? レベッカでも第一甲なら結界で弾いちゃうのに?」
……やはりそうか――
レベッカが誰かは知らんが、リリィの口ぶりからフェルノード家の使用人の中でも、恐らくは下位の者なのだろう。
――やはりフェルノード家は使用人までもが、どこかおかしいんじゃないだろうか……
いや、それは今は置いておいて、だ。
「自慢じゃないが王子って立場がなければ、僕は騎士訓練すら許されていない、ただの子供だぞ?
そんなデカい腕なんか持ち出さなくても、大人に殴られただけでも死ねる自信がある!」
情けないことを言ってるのはわかっているが、正すべき事はきっちり正すのが友達としての役目だろう。
――力づくで止められないなら、自らの弱さを使うまでだ!
「……そうなの? でも、同い年のお姉様は平気だよね?」
フェルノード家という、ある意味異常な環境で育ってきたリリィは、信じられないというように目を見開き、僕の隣で困ったように苦笑するアンネに訊ねた。
……そういえばアンネは昨日、リリィが振るった<帝殻>から僕を守ってくれていたんだったな。
その直後の出来事があまりにも衝撃的すぎて、すっかり記憶から抜け落ちていたが……
「アンネローゼお嬢様は、次期フェルノード家当主として教育を受けておりますからね。
――ぶっちゃけ現状でさえ、そこらのボンボン騎士とは比べ物にならないほどに仕上がっております」
と、ローザがきっぱりと断言した。
その真の姿を知った今ならわからないでもないが……この侍女、ちょいちょい口が悪くなるな。
まあ、そう言われても仕方ない――実力をともなわない、家名を頼りにコネで入団した、名ばかりの騎士が王宮騎士を名乗っている――そういう者がいるというのは、事実なんだが……
「じゃあ、ひょっとして昨日、黙ってあたしに殴られてたのも、アールバみたいに油断させて反撃する為じゃなく?」
……あの傷顔の騎士団長は、子供相手にそんな事をしているのか。
いや、リリィやアンネの実力を考えれば、そういう詭道さえも教えるような域にあるという事なのだろうか。
「これもまた自慢じゃないが、誰かに殴られたのもアレが初めてだ。
反撃なんて、まるで考えられなかったぞ」
苦笑交じりにそう告げて、僕はリリィの両肩に手を乗せた。
「なあ、リリィ……
昨日、アンネが死にかけて、おまえは悲しかっただろう?」
僕の言葉に、リリィはあの光景を思い出したのか、紅い目を見開き――それからうなだれて脱力し、それでもうなずいて見せた。
「おまえが持つ力は強大すぎる。
だから、それを振るう前に少しだけ考えて見てほしい。
目の前のその人にも、おまえがアンネが死にかけたのを見た時のように、悲しむ人がいるんじゃないか、とな……」
「……リオールにもいたんだよね?」
思考は幼いものの、決して頭は悪くないリリィは、すぐにそう思い至ってくれたようだ。
「どうだろうな? 母上は間違いなく悲しんでくれると思うが……」
兄上やその傘下の貴族達は、むしろ喜ぶんじゃないだろうか。
アルマーク家のお祖父様も、表向きは悲しんではくれるだろうが……あの人にとって僕や母上は公爵家の権威を保つ為の駒に過ぎない。
潰れたなら潰れたで、きっとすぐに別の手段を模索するだろう。
そういった考えが、思わず自嘲気味な言葉を口にさせた。
「――ライオスは悲しむよ。どんなに継承問題がこじれていても、自分の子が亡くなって喜ぶほど、僕の親友は落ちぶれちゃいない」
「離宮で楽隠居を決め込んでいる、エルメリアお嬢様――王太后陛下も悲しむでしょうね。
あの子はライオスと正妃との婚姻以降に目立ち始めた、ロムレス家の横暴に頭を悩ませていますから……」
フェルノード公とローザが、それぞれにそう教えてくれて、胸の奥でいつもくすぶっている仄暗い想いが、少しだけ晴れたような気がした。
「……ライオス? それにエルメリア?」
不思議そうに首を傾げるリリィ。
僕はそんな彼女の頭を撫でて、微笑んで見せた。
「僕の父上とお祖母様のことさ」
「……そっか……」
と、小さく呟いたリリィは、そのまま崩れ落ちるように床に座り込み――
「……リオール、ごめんなさい……」
流れるようにごく自然に、アンネがしていたように頭を床に擦りつけた。
「――お、おい!? リリィ!!」
「リオールのお母さんも、ライオスもエルメリアも、みんなみんな……ごべんなざいぃぃぃぃ」
――号泣だった。
マンガなんかいうところの、ギャン泣きってやつだ。
……ああ、この娘は……
僕は奥歯を噛み締めて、込み上げてくる感情がこぼれ落ちないように堪えた。
あれほどに複雑な生い立ちと、強大な力を秘めていながら……
「……しっかりと人を想えるのだな……」
周囲が特異過ぎて、己の異常性に気づけていなかっただけで、こうして僕の家族の気持ちを考えて号泣できるほどに、優しい心根の持ち主なんだ。
「それに気づけた君も、十分に人を想える良い子だよ」
と、いつの間にか隣に立っていたフェルノード公が、僕の肩を叩いてそう言ってくれる。
「僕らじゃ、力を振るう前によく考えろと言い聞かせてもさ……言葉でリリィの行動を縛る事はできても、その理由までは理解してもらえなかったんだ」
「……でしょうね。強者や大人からの言葉は、僕ら――子供にしてみれば束縛でしかありません」
フェルノード家に向かうように父上に告げられた時、僕が真っ先に抱いた感情は反発で、次に浮かんだのは諦めだった。
いよいよ兄上の立太子を決めたが為に、僕は辺境に送られるのだと。
「……きっとリリィもそうだったんだと思います。
よくわからない理由で……使える力があるのに、それを禁止されて……」
――決して争う事なく、兄弟で助け合いなさい。
常日頃から父上が僕と兄上に申し付けている言葉だ。
たった一年早く生まれただけで、兄として優遇され、遊び回ってる兄上と。
たった一年遅く生まれた為に、兄を超える事を望まれて、様々な教育を施される僕。
だというのに、父上までもが僕に我慢を強いるのか――と、ずっとそう思っていた。
……でも……だけど――今は少しだけ前向きに考えられる気がする。
「それを察したからこそ、君は自らの弱さを晒すことでリリィに理解を示したんだろ?
そういうトコは、ライオスの子だよねぇ」
――ライオスの子。
父上の子なのだと……そうフェルノード公達が繰り返し言ってくれたから。
そう認めて、今もごく自然に僕の頭を力強く撫でてくれるから。
父上の従兄弟にして親友の彼が、僕を認めてくれるから……
――僕は前より少しだけ、自分を誇れる気がしたんだ。
そして、心に余裕ができたから、周囲にも少しだけ優しい気持ちを与えられて――だから、リリィの心配ができたんだと思う。
――こいつ、このままじゃダメだ、と。
「……せっかくできた友達が、将来怪物扱いされちゃ、僕も困りますからね」
照れ隠しにそう告げれば、フェルノード公は苦笑する。
「そういうツンデレなトコも、君らはそっくりだよ」
もう一度頭を撫でられて、僕は顔が赤くなるのがわかった。
だから嬉しいくせに、その気持ちを隠して、うずくまって号泣するリリィの元に跪く。
「――ああ、もうっ! リリィ! 許すから、その体勢をやめろ! さっきアンネにも言ったが、それをされるとこちらの罪悪感がハンパないんだ!」
という、僕の声にピクリと反応して、リリィが上体を起こした。
「――ぼんどぉ……?」
顔中を涙と洟でぐちゃぐちゃにしたリリィが、縋るような目で僕を見た。
「リリィねぇ……イヤな事するやつはぶっ飛ばせば良いって思っでだのぉ。
イヤなヤツがぶっ飛ばざれで、悲じい気持ちになる人がいるなんて、思って無くでぇ……」
「ああ、だがおまえはもう、それが間違いだと知っただろう? もうしないと約束してくれるなら、それで良い」
「うん……もうしないぃ」
洟をすすりながら、しっかりとうなずいてくれたリリィ、僕はハンカチを差し出してやる。
「ほら、顔を拭け。なんかもう……グチャグチャだぞ」
「ありがと。リオールってさ、思ってたより……」
そこまで告げて、不意にリリィはコテンと後ろに倒れ込んだ。
「――リリィ!?」
慌てて駆け寄るアンネと、突然の事に驚く僕の声が重なった。
「あ~、魔力切れです。
<帝殻>の並列励起ができるようになったのを自慢したかったようですが、持続時間が課題のようですね」
「ああ、高ぶった感情が安堵に変わって、魔道が乱れたのも原因だろうね」
慌てる僕らに、大人達のひどく冷静な分析が告げられた。
室内を占めていた一対の巨腕が、精霊の燐光にほどけて、天井からきらきらと降り注ぐ。
その幻想的な輝きの下で、顔をグチャグチャに濡らしたリリィは、僕のハンカチを握り締めたまま、呑気な寝息を立て始めていた。




