第2話 14
「――守護竜の声だって!?」
僕は思わず立ち上がってローザに訊ねた。
「あなたはさっき、守護竜は己を消去して<世界樹>になったと言っていたではないか」
守護竜がどのようにしてそれを成したのか――僕には想像もつかないが、ローザがそう語った以上、それは実際にあった出来事なのだろう。
「ええ。ですから、ハナが私を訪ねて来た時は、彼女がついに壊れたのかと思いました」
機属であるローザの同胞というからには、そのハナなる人物もまた機属なのだろう。
ローザの言葉通りならば、彼女達は統一帝国が興るよりさらに以前――アルマーク王国が存在していた時代から生きているという事になる。
およそ四百年に迫るほどに長い時は、純血魔属以上に長命を誇る機属にとってさえ、寿命を考えても不思議ではない時間なんだろう。
「ちなみ<世界樹>は、現在その魔道権能を発揮する為に、ステラという人格は消去されてはいるものの、いっさいの感情が排除された管理用人格『システム』によって運用されています」
「……魔法は、心なき者には扱えない――だな?」
魔法学の基礎中の基礎を、僕はローザに答える。
「はい。<天蓋>を含む、この世界に施された大魔法を維持し、霊脈を管理する為にも『システム』の存在は不可欠なもので、私達<六銘華>は、彼女の声を聞き、あるいは指示を与える権限を与えられています」
つまり<六銘華>とは、<世界樹>を管理する『システム』とやらを外部から監視、維持する役目も持っているという事だろうか。
もっと真面目に魔道学の講義を聞いておくべきだった。
恐らくローザが語っている言葉は、家庭教師達ですら知り得ない魔道の深淵に迫る話のはずだ。
だが、浅学な僕には彼女の言葉を言葉通りにしか受け取る事ができない。
「……ああ、つまり<世界樹>って、皇室秘蔵の<天之大釜>を大規模にしたみたいなもの……なのかしらね?」
と、アンネローゼ嬢がなにやら納得したように、小さく呟いた。
「――え?」
僕だけではなく、ローザやフェルノード公も不思議そうにアンネローゼ嬢に視線を向けた。
彼女は僕らの視線に気づくと、慌てたように両手を振りたくって――
「――あ、ごめんなさい。こちらの話よ。続けてちょうだい」
そう告げると、ローザに話の続きを促した。
そんな彼女にローザとフェルノード公は顔を見合わせ、すぐにうなずき合う。
「……こちらの話ね」
「そ、そうなの。ちょっと考え事をしていて……」
フェルノード公はため息を吐いたものの、結局はそれ以上はなにも言わず、彼もまた手の平を向けてローザに続きを促した。
「と、とにかく――私ははじめ、ハナが聞いたという守護竜の声とは、システムの声を聞き違えたのではないかと思いました」
まるで強引に話題を変えるかのように――恐らくは先程のアンネローゼ嬢の発言から、僕の意識を逸らそうというのだろう――、そこまでを一気に早口で告げた。
……アンネローゼ嬢が呟いたこちらの話を、僕は知る立場にないという事なのだろう。
だから僕は納得している事を示す為に、ローザとフェルノード公それぞれにうなずいて見せる。
ふたりとも表情には出さないものの、わずかに緊張が緩んだのがわかった。
内心はきっと安堵しているのだと思う。
「――私の考えを、けれどハナはすぐに否定し、自身が正常である事もまたローカル・スフィア……魂を同期させる事で示して見せました。
そうして彼女は、守護竜の呼び声に応える為に<廃棄谷>をしばし留守にする事を告げ、<世界樹>へ向けて旅立っていったのです」
「――<世界樹>へ!? あそこはいまや大陸最大の魔境だろう!?」
統一帝国が王国であった時は守護竜の庇護の元、大陸でも有数の発展都市だったそうだが、それ以前の彼の地は<嘆きの森>と呼ばれる大魔境だったのだという。
統一帝国の興隆によって遷都された際、住民はすべて新都へと移住を促され、旧都は守護竜がもたらした魔道施設が悪用されるのを恐れた始祖女帝によって封印されている。
その封印の一環なのか、あるいは元の<嘆きの森>に戻っただけなのか、現在<世界樹>のある旧都周辺は魔獣――それも赤眼や金眼ばかりが生息する、<廃棄谷>以上の魔物の巣窟になっているのだと聞いている。
高位冒険者が腕試しに挑み、百メートルも進まないうちにドラゴンに出くわして命からがら逃げ帰った、という新聞記事を父上に見せられた事もあった。
「元々ハナとロミのふたりはご主人様――始祖女帝直属の護衛としてセッティングされていまして。
二人がかりでならば、守護竜との模擬戦に勝利した事もあるのですよ」
口元を手で隠してコロコロと笑うローザに、僕は思わず息を呑んだ。
「それはまた……」
呟きながら僕はチラリとリリィに視線を向ける。
そんな人物に育てられたから、リリィはあそこまで強かったのだろうか?
僕は殴り合いの経験なんてなかったけれど、騎士達の訓練を観るのは大好きで、近接格闘の訓練も何度か観せてもらった事がある。
その時に拳闘術の一端を騎士に教えてもらったんだが、リリィの拳はあの術理に適った腰の入った良い拳だった。
……なにせ頭ふたつ分大きな僕がぶっ飛んで、地面を転がるほどの威力があったんだからな。
「――結論から言うと、ハナは半年ほどで無事に<世界樹>へと辿り着き、そして帰ってきました。
……その手に、<世界樹>に成っていたという<実>を携えて」
「<実>だって?
だ、だが<世界樹>というのは、あくまで樹木のように見えるからそう名付けられただけで、実際の樹木ではないのだろう?」
空飛ぶ魔獣もいる為に飛行船であっても<世界樹>には辿りつけず、だから実際に間近で<世界樹>を見た事がある者は現在はいないとされている。
だが、魔獣が反応しないギリギリの距離まで飛行船で接近し、様々な観測魔法を用いて調査した結果、<世界樹>とは見た目はともかく、兵騎に近い組成をしているらしい事がわかっている。
だというのに、樹木のように実を付けた?
「私も驚き、マツリやディアス――我が家の長命種だけでなく、<六銘華>にも連絡を取って話し合い、徹底的に調べました」
「……確かロミさんだけは不参加だったよね?」
と、そこでフェルーノド公が尋ねる。
「ええ。あれから何度も連絡を試みているのですが、いまだに音信不通です。
統一帝国崩壊後、発展し過ぎたセイノーツ一族を南極都市へと導く役目はとうに果たしているでしょうに、あの子はいったい何処でどうしているのやら……」
ローザは頬に手を当ててため息をひとつ。
――発展し過ぎたセイノーツ一族。
そして、南極都市……
なにやら気になる――オカルト雑誌などで散見されるような名称が連続していたが、これは僕に聞かせる為のものではなく、あくまでふたりの会話だ。
訊ねたところで答えてはもらえないだろう。
「まあ、あの子の事はさておき――調査の結果、ハナが持ち帰った<実>は、卵なのだろうと私達は結論づけました」
「――そういえば、戦闘用機属の中には、胎内ではなく卵生で次代を成す者もいるんだったか」
たしか生物学の講義で、そんな話を聞いた事がある。
「はい。この段階で私達は、その卵が――守護竜ステラがずっと待ち望んでいた……ご主人様との御子を成す為に産み出したのだと推測しました。
あのトンデモ、ついにやりやがった――と」
砕けた口調ながらも、そう語るローザの表情はどこか誇らしげで、眩しいものだった。
「ですが、大切な――真実、私達の次の主を育む<実>だからこそ、外部の者も出入りするこの城に置くわけにも行かず……ハナは自らの領域である<廃棄谷>の深淵で、それを守る事にしたのです」
そう告げて、ローザはリリィに微笑みを向けた。
リリィはというと、僕の袖を引いて。
「――そうして生まれたのが、あたしってワケ!」
立てた親指で自分の顔を指し示しながら、銀髪赤目の幼女は鼻息荒く胸を張って見せた。




