第2話 8
お父様はわたくし達を見回す。
「この星――世界を包む<天蓋>とそれを支える<世界樹>の事は、もう知ってるよね?」
わたくしとリオール殿下はうなずいたけれど――
「それはわかんない!」
リリィがお父様に首を横に振って見せたわ。
「ふむ。それじゃリオール。君の理解度を確かめる意味でも、君がリリィに説明してみてくれるかい?」
ディオス先生とマツリ先生に魔道科学を教わっているのをお父様は知っているから、理解度に関しては問題ないと判断されたみたいね。
一方、リオール殿下はがどのくらい学んでいるのかは知らないから、お父様はあえて殿下に説明させることで、それを推し量ろうとしているんだわ。
「はい。それじゃ――ええと……おまえ、名はなんという――じゃない……名前は?」
「リリィだよ、バカ王子」
「――なっ!?」
リオール殿下が目を剝き、お父様とローザが噴き出す。
「ちょっ! リリィ!? 殿下に失礼でしょう!?」
思わずわたくしがリリィの肩を抱いて正面を向かせて叱ると。
「だってあいつ、よく知りもしないくせにフェルノードやお姉様をバカにしてさ。挙げ句にお姉様に大怪我させる事になって……
それなのにまだ謝ってないんだよ? そんなのバカで十分じゃん!」
わたくしが切腹までしたのは、殿下に殴りかかったリリィを諌める為でもあったのだけれど……それを言ったところで、ふたりの間にわだかまりがあったままでは、共に理解してもらえないでしょうね……
……どうしたものかしら――
お父様に助け舟を出してもらおうと視線を向けたところで……
「……そうだな。僕は愚かだった」
と、リオール殿下は呟いて椅子から立ち上がり、わたくしとリリィに頭を下げた。
「すまなかった。父上に言われるがままにこの地を訪れた僕は、ただふてくされて心無い言葉でこの領を――君達の矜持を傷つけてしまった。
……僕だって、他国の者にこの国をバカにされたなら良い気はしない。
――少し考えればわかったはずなのに……」
そうして殿下は、昨日、わたくしが彼にそうしたように正座すると、額を床に擦りつけた。
「――愚かで覚悟のない僕は、アンネローゼ嬢のように腹を切るなんて極まった真似はできやしないが……
どうかこれで許して欲しい」
「――で、殿下! 頭をあげてください! それは王族が臣下に取るべき姿ではありません!」
わたくしは慌ててリオール殿下に取り縋り、頭を上げさせようとしたのだけれど、彼の土下座は思いの外強固で、崩すことができなかった。
「いや、先程聞かされたフェルノード家の来歴を考えるならば、敬われるべきは我らではなく、むしろ君達だ!
――それでも我らロムマーク家が王族で居られるのは、フェルノード家がそれを許してくれているからだと……それくらい、僕でも推測できる!」
言い募る殿下の言葉が正しい事を示すように、机の向こうでお父様が小さく鼻を鳴らして笑った。
「……ライオスが言うように、次男はまだ巻き返しが効きそうだね。
これなら乙女ゲームから大きくルートを外すこともできるかな?」
それは小さな小さな呟きだったけれど、鍛錬の為に普段から感覚強化の魔法を使っているわたくしには、しっかりと聞こえた。
半年前にお父様達に明かしたあの事について、ちゃんと考えていてくれていたという事実に、胸の奥がほんのり温かくなる。
「――いえ、そんなことより!」
殿下が断固として土下座をやめようとしないから、わたくしは彼を見下ろして腕組みしているリリィを振り仰いだ。
――あ~、もうもうっ! なんでこの子、こんな偉そうな態度なの!?
「リリィ、良い子だから、謝罪を受け入れると仰いなさい!
そもそもあなたも殿下を殴ったのだから、ごめんなさいしないとダメでしょう!?」
「――あ、そういえば!」
わたくしに叱られて、リリィは今頃気付いたのか、ペロリと舌を出して椅子を飛び降りた。
「ごめんね。バカ王子――」
と、リリィもまたリオール殿下の前に正座して、頭を床に擦りつける。
「リリィ……リオール殿下でしょう?」
「あ、そうだった。ごめんね、リオール殿下」
「いや、こちらこそすまなかった。
そしてアンネローゼ嬢も……」
そう言ってようやく頭を上げてくれた殿下は、隣に座るわたくしに向けて再び頭を下げた。
「謝罪を受け入れます。
――というか、わたくしも取り乱して、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
王族に頭を下げさせてしまった事に戸惑いながら、わたくしはなんとかそう応える。
「――いやっ!!」
リオール殿下は頭を上げて、真っ直ぐにわたくしを見たわ。
「君は傲慢で愚かだった僕を、命がけで諌め、諭してくれた!
それができる者をないがしろにしてはいけないのだと、僕は父上を見て知っている!
――君のような者を真の忠臣と言うのだ、と!」
「殿下……」
思いも寄らない殿下のお言葉。
前世でさえ、皇族直々にお褒めの言葉を賜った事なんてなかったから、わたくしはわたわたと手を振って戸惑いの表情を浮かべたわ。
その手を取り、リオール殿下は続ける。
「……君が無事で本当によかった……」
心の底からそう仰ってくださっているのが伝わってきて、わたくしは本当に困ってしまう。
切腹したというのに生き残ってしまって、わたくしとしては生き恥を晒しているようで居心地がわるかったのだもの。
「あ、ありがとうございます?」
なんと応えて良いのかわからず、とりあえず差し支えがないであろう礼の言葉を口にしておく。
そんな自分が可笑しくて。
「――ふ、ふふ……」
思わず笑い声を漏らすと、リオール殿下もまた同じように笑みを浮かべていた。
「――あたしは? リリィは?」
と、わたくし達に割り込むようにして、両手を広げたリリィが尋ねる。
「……昨日も言ったけれど、リリィはもうちょっと後先を考える事を覚えるべきね」
「僕が言えた事ではないが、おまえはちょっと……あ~、なんだ~……傍若無人――ではなく、そう! 自由奔放すぎるぞ……」
言葉を選んでくださったリオール殿下の優しさに、わたくしは申し訳なく思ってしまう。
一方、わたくし達にそろってたしなめられた、リリィはというと――
「――むぅっ!? むうぅ~!! なんでふたりして、仲良しになってるの!?
――リリィも混ぜてくんなきゃヤダぁ!!」
不満げに頬を膨らませると、そう叫んでわたくしと殿下に飛びついてきた。
「――わあっ!?」
三人揃って床に転がってしまう。
「――だからリリィ! おまえなっ!!」
「――お行儀よくなさい!」
わたくしと殿下が叫ぶのだけれど――
「あはははは! ゴロゴロー!」
なにがそんなに可笑しいのか、リリィは満面の笑みを浮かべてわたくし達の首に両手を回し、一緒になって床を転げ回った。
「……ふむ、集中力が切れちゃったのかな。
とはいえ、おかしなわだかまりが残るよりは良いか」
机の向こうで組んだ両手に顎を乗せたお父様が、苦笑いしながらそう呟いて。
「こういうのを結果オーライって言うんだっけ?
とりあえずローザ。休憩にしよう。お茶の用意を頼む」
「かしこまりました」
お父様の言葉に従い、ローザが部屋の外に向かって歩き出す。
「……リリィお嬢様、あとで礼儀作法の補習を致しますからね」
と、去り際に小さな声で――背筋が底冷えするような声色でそう呟くのが聞こえて。
「――リ、リリィ! ほら、ちゃんとなさい! あー、もう! ドレスにシワがついちゃってるじゃない!」
わたくしは慌てて身を起こして、リリィを助け起こす。
「あ、あー! ごめんなさい、お姉様! あたくし、今からちゃんと気をつけますわ!」
ローザの呟きはリリィにも聞こえていたみたいで、彼女もまた棒読みな口調でスカートを叩いてシワを伸ばし、ちょこんと自分の席に戻った。
「――なんだ、突然どうした?」
一方、床に腰をおろしたまま、リオール殿下は不思議そうにわたくし達を見上げる。
「しーっ! リオールもちゃんとした方がいいよ!」
口元に人差し指を立てて、そう応えるリリィ。
「ローザはね、お行儀にすっごく厳しいんだ」
その赤い瞳をローザが去っていった扉に向けて、リリィは顔をしかめながら殿下にそう告げた。
途端、殿下は噴き出す。
「なんだ? おまえにも苦手があるのか!」
「……ここにいる間、リオールも思い知るはずだよ!」
「……そう、なのか?」
目を丸くしてこちらを見てくる殿下に、わたくしは重々しくうなずいた。
「……恐らくこの授業が終わった後に、ローザからのお説教が待っていると思います」
わたくしの言葉にリリィがコクコクとうなずき、殿下は部屋の出入り口を見て顔を青くする。
「……礼儀作法に関しちゃ、僕もいまだに叱られる時があるからねぇ」
紙巻きたばこを咥えながらお父様が呟けば、リオール殿下はさらに驚きの表情を濃くした。
「侍女が当主さえ叱り飛ばすとは……やはり恐るべしだな、フェルノード……」




