第1話 15
「――かつて、わたくしはこことはまったく違う世界に生きていたわ」
そう切り出しても、わたくしに前世の記憶がある事をすでに知っていたらしい大人達は、特に驚いたりしなかったわ。
お父様の腕から降りて、リリィと並んでソファに座ったわたくしは、ローザが淹れてくれたお茶を一口飲んで、みんなを見回した。
「その世界は――星は地球と呼ばれていて、この世界とは違って、大小様々な国が――そうね、およそ八十カ国は入り乱れてた」
わたくしの言葉に、マツリ先生が身を乗り出す。
「――星という言葉を知っておるということは、外側から世界を認識できとったんじゃな?」
「はい。地球はこの世界より、世間一般の文明水準が高くて――わたくしが生まれる六十年ほど前に、月まで有人船を到達させる事に成功していました」
逆にこの世界は、フェルノード公爵家のように独自の魔道技術を保有している家を除けば――普及している技術は地球での近世に近いように思えるわね。
「わたくしが生きていたのは、列強――世界の上位に位置する六つの国のひとつ、大和帝国という名の国だったわ」
元々は大日本帝国という名前だったのだけれど、二度に渡る本土特異災害と大怪異の発生によって政変が起きたのよね。
その際に属国の三洲山公国国主だった大公殿下を帝に迎え、国号を旧名に戻して、国内の安定化を図ったというわけ。
まあ、この辺りは複雑な政治も絡んできて、わたくしもよく理解できていないから口には出さずにおく。
「……わたくしが生まれたのは、元旗本の士族――この世界で言う近衛騎士のような上級武家だったのだけれど……」
そこで言葉を切って、わたくしは肩を竦める。
「曽祖父が当主だった頃に没落して、名ばかりの士族家になってたわ」
欧州連合王国や大英帝国から持ち込まれた西洋魔道は、魔術として帝国内に爆発的に広まり、それまで主流だった日本独自の歌舞魔法や、米帝――アメリア精霊氏族合衆帝国から伝わった精霊魔法は、一括りに古式魔法とされて廃れて行ったそうなの。
我が家はその流れ――魔道技術の戦略や戦術の西洋化に乗り遅れて、見事に没落ってワケね。
「……ひとつの惑星上で、複数の魔道体系を築いていたという事か?
その上、知識や技術の交流と淘汰が行われている――まるでより魔道を発展させようと実験しているようにも思えるんじゃが……」
ブツブツと早口で呟くマツリ先生。
「……興味があるのはわかるが、今は黙って続きを聞け」
と、ディアス先生がそんなマツリ先生の頭を小突いた。
「功績を残せない士族が良縁に恵まれるワケもなく、曽祖父以降の当主は魔道器官の弱い子供しか生まれなくて――結果、我が家は元旗本という……家名が立派なだけの、没落武家となってしまったそうよ」
祖父はそれでも努力して主家に認められ、領地守護職の一隊を任されていたそうだけど、父は――あのクズは本当にどうしようもなかった。
「わたくしの父の立場にあった人は、没落した家を、世の中を恨むばかりで自らなにもしようとせず、酒と賭博と女漁りで日々を過ごすような、本当にどうしようもない人だったの」
祖父が縁を繋いだ母をないがしろにして愛人のところに入り浸り、たまに帰ってきたと思うと祖父や母に金の無心をするか、わたくし達に暴力を振るった。
「わたくしはそんなあの男がイヤでイヤで……ああはなりたくないと、祖父に剣を習い、それにのめり込んだわ」
剣を振るっている時だけは無心でいられたから……
魔道器官が弱い自分でも、祖父のようになれたらという一心で鍛錬に打ち込んだわ。
「そうして十四の誕生日……元服まであと一年で自由に将来を選べるようになると思った矢先に――」
あの日の事は、いまでもはっきりと思い出せる。
中学校から帰ると、父親と一緒に軍服を着た人達が家の蔵を開けていて。
――祖父の怒号。
それを嘲笑するクズと軍服達。
――合一できない甲冑を持っていても無駄だろう?
クズは祖父をそう哂って。
――もはや名ばかりとはいえ、アンタも武家なんだ。貴重な武力を眠らせておくのではなく、御国に捧げたらどうだ!?
軍服のひとりが、祖父をそう怒鳴りつけた。
彼らの目的は、我が家に代々伝わる甲冑だったのよ。
「……おまえが魔物調伏に呼び出したとかいうアレか?」
「いいえ。アレとはまた別――ご先祖が大昔に大怪異調伏を成した際に、その功績を讃えられて朝廷――ええと王宮から下賜された特騎だと聞いてますわ」
それだけに合一に要される魔動もまた膨大で、我が家ではずいぶん前から合一できる者のいない――かつての栄華の象徴のような存在になっていたわね……
マツリ先生に応えると、彼女は腕組みして天井を見上げる。
「……兵騎を共通規格で運用するのではなく、合一者側に合わせたワンオフ騎体を拵えとったという事か?
生産的にも軍事的にも効率が悪いだろうに、それが必要な世界だった……というコトなのか?」
マツリ先生が何処に疑問を抱いているのかわからず、とりあえずわたくしは話を続けた。
「御家伝来の甲冑――家宝を父に売られたショックから、祖父は寝込むようになって……そのまま半年後には亡くなったわ。
あのクズはそれを良いことに、今度は家屋敷を売り払って――」
母はついに愛想を尽かして実家へと帰ったのだが、御家の後継として育てられたわたくしは母に着いていく事を許されず――主家のお館様の勧めもあって、遠く房総の東沖にある三洲山公国の撫子女学校へと進む事になった。
「……撫子とは? 確かバンドーの女子にも似た言葉があるが……」
ディアス先生の言うバンドーはよくわからないけれど。
「国防婦人――この世界での女騎士や女魔道士のことです。
男性の事は武士と呼んでいたのですが、後に政変で国号を改めた際、男女ともに防人という共通呼称を与えられました」
わたくしの言葉に、お父様が深く深く吐息した。
「……ここまで聞いて気付いたが……君は前世で、幼少期から戦う術を徹底的に叩き込まれてきたように思えるのだが……」
「ええ。没落した御家復興を目的として、立派な撫子になるべく――決してあのクズな父親のようにはなるまいと、邁進しておりましたわ」
胸を張るわたくしに、お父様は右手で顔を覆ってもう一度ため息。
「それだ。どうも君の話を聞く限り……大和帝国だったか? その国は若者さえも当然のように戦いに投じなければならないほどだったように聞こえるんだが……」
「――ええ。そうですわね」
考えてみれば、この平和な世界に生まれたお父様達にとって、前世の世界は確かにそう感じるかもしれない。
「怪異――いわゆる魔物が発生して異界化する特異災害が日常的に起こっていて……ええと、侵災のよりひどい状況が日常的に起きていたのよ」
特に先代の帝が張っていた<九条>結界が消失した際、蝦夷地や西海道には特級大怪異が生まれ落ち、全域が異界と化して人の住めない土地になったわ。
「そんな怪異や異界の侵攻を食い止める為、士族や華族――貴族家に生まれた者は軍属する義務があったの」
「……僕の解釈がおかしいのかな? 侵災が日常的に起きてたと言ってるように聞こえたよ?」
「間違いなく、そう申し上げましたわ。
もっとも都市部は陛下や領主の方々が張った国防結界が張り巡らされていた為、お父様が考えるほど民に危険はないのよ?」
わたくしが笑顔で応えると、お父様の渋面はさらに濃くなった。
「都市部の外は侵災が常態化していたって事じゃないか。
それなら……結界に守られた民に危険はなくても……そこを守る君達はそうじゃなかったんだろう?」
さすがはお父様だわ。
暗にボカしていたのに、きっちりとそこを追求してくるのね。
「ええ。防人に与えられたお役目――主任務はふたつ。
ひとつは結界の外の異界を払い、人の領域を広げること。
もうひとつは、結界を抜けて都市部に侵入してくる怪異を調伏して祓う事でした」
「――大和帝国帝都守護職という言葉から、お嬢様は都市防衛の任務に着いてらしたのですね?」
「やだ、ローザ。聞いてたの?」
魔物に対して名乗ったのを、わたくしの侍女はしっかりと聞き止めていたみたいね。
「そうね。わたくしは民を――怪異という理不尽に晒される民を守りたかったのよ……」
そう考えられるようになったのは――やっぱり、あの人達と出会えたからでしょうね……




