第1話 14
――初めての戦闘稼働域での魔力運用で、一時的に魔道器官が緊急停止してしまったわたくしは、けれど、翌日には意識を取り戻したわ。
これは限界以上に魔道器官を稼働させて魔力を発揮してしまう事による、肉体や魔道器官が破損、あるいは暴走状態になってしまう事に対する生理反応――防衛本能のようなもので、この世界でも『魔力枯渇』と呼ばれて広く知られている状態だわ。
わたくし自身は前世では何度もこの状態を経験していて慣れっこなのだけれど、わずか九歳の娘が怪異――魔物を相手取って大立ち回りを演じた挙げ句に、この状態になって倒れたとなれば、家族みんなの心胆を寒からしめるには十分だったみたいね。
マツリ先生が寝室にたくさんの医療魔道器を持ち込んで、これでもかと念入りに身体検査や治療が施され、その後はしっかり休むようにと言いつけられたわ。
そんなわけで<廃棄谷>で倒れてから二日目――ベッドから出るのを禁止され、しっかりと身体を休めたさらに翌日、わたくしはローザに、お父様の執務室へと連れて来られたわ。
――連行ともいうわね。
「――お父さん、なんのご用だろーね?」
「そうねぇ……」
と、手を繋いで隣を歩くリリィに、わたくしは曖昧な微笑みを返しておく。
ローザの見ている場で、魔物を倒して見せたのだもの。
こうなる事は予想できていたわ。
……体調が戻るまで待ってくれたのは、公爵家としての体面を考えてか――あるいは仮にも娘だったわたくしへの情けなのか。
ゲームの中での――終盤におけるアンネローゼの家族達の行動を考えれば、きっとこの後は……
部屋に入ると、すでにお父様は執務机に両手を組んで座っていて、マチネ先生、ディアス先生も応接ソファに腰を降ろして、それぞれがお茶やコーヒーが淹れられたカップを傾けていた。
ドアのすぐ横には老紳士然としたたたずまいで直立する、執事長のモーリス。
わたくし達の後から入室して、静かにドアを閉めたローザはお父様に一礼してモーリスの隣に並んだわ。
我が家の重鎮がこの部屋に揃った事になるわね。
「……さて、なぜ呼ばれたかはわかってるね? アンネローゼ」
執務机の向こうからお父様に尋ねられ、わたくしはうなずきを返したわ。
背後の窓から差し込む陽の光で逆光になっていて、お父様の表情はよくわからなかったけれど、無茶をした事を怒っているのは間違いないと思う。
「はい。お騒がせして、申し訳ありませんでした」
と、そう答えながら、わたくしはその場に膝を折って正座し、深々と頭を下げ――額を床にこすりつけた。
「――ちょっ!? アンネ!? なにを!?」
「――お嬢様っ! それは淑女のなさる事ではありません!」
驚愕の声をあげるお父様とローザ。
一方、ディアス先生は鼻を鳴らし。
「……ほう、土下座を知っていたか」
と、妙に感心したような声で呟く。
「――それってアレじゃろ? 北天通商連合南部や大銀河帝国東部にいるバンドーとかいう戦闘民族の最上級の謝罪作法とかいう……」
マツリ先生がディアス先生にそう尋ねると、ディアス先生は肩を竦めて首を振った。
「いや、最上級は切腹だな。自ら短刀で腹をかっさばいて見せるんだ」
「や、ワシ、戦闘民族バンドーについては記録でしか知らんが、頭おかしいんじゃねえか?」
呆れたように目を丸くするマツリ先生。
「――いえ! 切腹とは罰に対する謝罪と覚悟を他者に示す為のもので、ただ唯々諾々と罰を与えられる事を良しとしない武士に残された最後の花道なのです」
思わずあたしはそう訴えていた。
「――罪を犯した者に切腹は許されないのです!
それが行えるのは、重要なお役目を与えられておきながら力及ばず――そのけじめを周囲に示さなくてはならない時のみ!
いわば切腹とは、自らの死と引き換えに名誉を残す――兵たるもののけじめの付け方なのですよ!」
そこまで一気にまくし立てて――
「――あ……」
全員がわたくしに注目していたわ。
「どげざ~? せっぷく~?」
よくわかっていないらしいリリィの楽しげな声だけが、静まり返った執務室に響く。
「――んんッ!」
お父様が咳払いした。
「……随分と詳しいね?」
普段から優しいお父様の声は、今はさらに気遣いまで含まれているような印象を受けたわ。
それが余計に――まるで最後通牒のような印象をわたくしに抱かせる。
お父様の視線は一度、ローザやマツリ先生に向けられたのだけれど、彼女達が首を振るのを見て再びわたくしの方へと戻ってきた。
「君はまだ促成教育――当主としての教育を受けていないのに、私ですら知らない事を知っているようだね?」
「うっ……それは――」
思わずわたくしは言い淀んだ。
当主教育の内容まではまだ知らされてないけれど、お父様やローザから統一帝国時代に守護竜によってもたらされた、超常の知識を身に着けさせられると聞いているわ。
どうやら切腹はその知識に含まれるものだったみたい。
「……僕はね……」
お父様はそう呟いて席を立つと、わたくしの目の前までやってきて床に膝をついたわ。
アールバを圧倒できるほどに鍛えられた、お父様の両手が肩に乗せられる。
「これでもフェルノード公爵家の当主で、魔属に匹敵する知識を持っているという自負があるんだ。
僕は君がこの世に生まれ落ちた瞬間を――エリザが君を授けてくれたその場にも立ち会っているしね……」
先程までとは打って変わって――冷たいものの感じられない、優しさだけが溢れた声色で、お父様ははっきりと告げたわ。
「――だから、例え君の中にどんな記憶があろうとも、君が僕の愛すべき娘であることは疑いようがないんだ」
お母様と結ばれるまでは社交界のご令嬢方を虜にして止まなかったという――小首を傾げてはにかむ仕草をお父様は見せる。
その言葉に、わたくしは思わず息を呑んだわ。
「――え? あ、あの――お父様、ご存知で!?」
想定していた状況とあまりにも違いすぎて――わたくしは目を丸くしてお父様に尋ねたわ。
「気づいたのは先生達だよ。
僕は情けないことに気づけずに居たんだけど、そういう事もあるというのは、知識として知っている」
お父様の言葉を肯定するように、この場にいる大人達全員がわたくしを安心させるように、微笑を浮かべてうなずいて見せた。
「――本当は知らないフリを続けて、君が明かしても良いと思ってくれる日を待つつもりだったんだけどね」
「……それを明かしたという事は……やはりわたくしのような異物――不気味な子供は廃嫡の上、放逐されるのですね」
わたくしがそう問えば――
「いやいやいや! 待って!? なんでそんな考えになった!? そんな事しないよ!?」
と、お父様だけではなく、大人達みんなが――ディアス先生までもが仮面を着けていてもはっきりとわかる戸惑いの表情を浮かべていて、腰を浮かしていたわ。
「でも、そうでなければ、今まで隠していた事を明かす必要もないでしょう?」
そう問えば、お父様は再び困ったような表情を浮かべて。
「……だってさぁ、君……」
肩に乗っていたお父様の右手が、わたくしの頭に上って優しく髪を撫でる。
「リリィに対してそうだったように、誰かを助ける為なら……平気で無茶をしちゃうだろう?」
「――ぐっ……それは……」
……ないとは言えない。
むしろそうありたいと願って前世を過ごし、今の人生でも自らを鍛えているのだから。
「……今回はリリィを助ける為だったけど、君は助ける相手がリリィじゃなかったとしても、やっぱり飛び出したはずだよ」
わたくしは……あたしは、観念してうなずきを返す。
「……誰にも届かない『誰か助けて』に応えられる誰か。
――それがわたくしの目指す、わたくしの理想の姿なのですわ」
――かつて、それを体現した人に救われた。
そして……それはあたしの理想となって、いまも目指すべき姿として心の奥底で強く美しく輝いているわ。
「……あ、キャプテン・セーバーのセリフ。
そっか、お姉ちゃんはキャプテンみたくなりたいんだ……」
わたくし達の邪魔をしないようになのか、リリィが小声でひとり呟くのが聞こえた。
と、お父様がわたくしの目を覗き込んで、優しい微笑みを浮かべる。
「――なら、僕らにも君の理想を実現する手伝いをさせてくれないか?」
そうしてわたくしを両腕で抱き上げて立ち上がった、お父様は――
「例え魔物を倒せるくらいに強くたって、君は僕の娘であり、みんなの家族なんだ。
――頼ってくれないなんて、寂しいじゃないか!」
わたくしを抱きかかえたまま、幼い頃にしてくれたようにお父様はくるくると回る。
「ふ……ぐぅ……」
《《あたし》》は溢れ出る涙を堪えきれず、唇を噛んで泣き声を押し殺した。
こんな歪な娘、バレたら気味悪がられて捨てられると思っていた。
現にゲームの中のアンネローゼは、悪事がバレた途端に廃嫡されて家から追い出されていたもの。
だから、お父様にこの部屋に呼ばれた時も最悪を覚悟したからこそ土下座して見せたのだし、どうしても廃嫡されるにしても、せめて元服を迎えて自分で食べていけるようになるまでは、下働きとして働けないかと頼み込むつもりでいたわ。
……取り越し苦労のいらない心配だったけどね。
アンネローゼの家族は――
「……温かい……」
前世では与えられた事のない、父親のぬくもりに涙が止まらず、わたくしはお父様の首に両手を回して。
「……あのね、聞いてくれる?」
お父様の耳元にそう囁いて、覚悟を決めたわ。
「……覚えてる限りを、みんなに知っておいてもらいたいの」




