転校生と終わらない蝉の声
今年の夏、私は父の転勤で、母と一緒に山奥の村へ引っ越した。
村の名前は、「空照村」。空がいつも照っているから、そう名付けられたと言われている。
引っ越しはお盆の直前だった。友達と花火をする約束も、お気に入りの図書館も、全部途中で置いてきて、山の奥深く、見知らぬ村に連れてこられた。
最寄りの駅からバスでさらに一時間。くねくねとした山道を登っていくうちに、携帯の電波は途切れ、窓の外には田んぼと古びた家だけが延々と続いた。
バスの運転手がぽつりと言った。
「この村じゃ、夏が長いんですよ」
「え、いつごろまでですか?」
と母が聞いた。
「さあ……人によりますな」
その答えに、母も私も笑ったが、運転手の表情は終始変わらなかった。
村に着いた日のことはよく覚えている。
玄関を開けた瞬間、土と草と何か古い木の匂いがむっと鼻をついた。それと同時に、耳を打つようなセミの声。昼間なら当然のことだけど、夜になっても、それは止まらなかった。
布団の中、目を閉じても、耳にこびりついたように
カナカナカナ……
カナカナカナカナ……
ヒグラシの声だけが、延々と響いている。
私の部屋も、母の部屋も、窓はちゃんと閉まっていた。
でも音は、まるで家の中から鳴っているみたいだった。
「これ……ずっと鳴いてるの?」
「ええ、ちょっと変ね。でも、きっと慣れるわよ」
母の声には疲れが滲んでいた。
私も寝つけなかったけど、母も同じだったのだろう。
次の日の昼下がり。母に頼まれて、近くの商店までひとりで歩いていった。
炎天下の中、セミの声はさらに大きくなっていた。頭がくらくらするほどの音の中、坂道を下っていると、後ろから声をかけられた。
「君、よそ者だよね?」
振り返ると、同い年くらいの男の子が立っていた。少し長めの髪に、どこか冷めた目。麦わら帽子を指で回している。
「引っ越してきたの。相沢陽菜です」
私が名乗ると、彼は少し考えてから名乗った。
「俺は千葉悟。……何日目?」
「え?」
「ここに来て、今日で何日目?」
「昨日来たから、二日目……かな」
悟はうなずき、視線を遠くへ向けた。
「三日目の夜に夢を見るかもしれない。その夢で迎えが来ても、絶対についていかないで」
「なにそれ、怪談?」
「……実話。俺の妹も、三日目に消えた」
風もないのに、セミの声が一瞬だけ止まった気がした。
でもすぐに、
カナカナカナカナ……
空気をかき乱すように音が戻る。
悟は、少しだけ寂しそうに笑った。
「この村では、夏が終わるってことが、あんまりないんだよ」
その夜、私は夢を見た。草の匂い。濃い緑。薄暗い森の中に、誰かが立っている。
白い浴衣の女性。どこかで見たような気がして、近づこうとした。けれど。
「……おかえりなさい」
女の人が差し出した手は、まるで氷のように冷たそうだった。私はその手を掴まなかった。
ばっ、と目を覚ましたとき、まだ夜だった。寝汗でTシャツがびっしょり濡れていた。
カレンダーに目をやると、昨日母がめくったはずの日めくりの数字は十六日だった。
「……あれ? 昨日も、同じ日だったような……」
外では、またヒグラシが鳴いていた。ずっと、ずっと、鳴き止まない声。
私は悟の言葉を思い出す。
「この村では、夏が終わるってことが、あんまりないんだよ」
そうだ。この村は、夏が終わらない。