第8話:沈黙の地下坑道と、記憶を喰う獣
翌朝、鉱山街に淡い朝霧がかかる頃。
私はジークフリートと共に、事件の発端となった旧第七坑道へと向かっていた。
「ここは五年前に崩落事故があって以来、封鎖されていたはずです」
「だが、最近“誰かが中に入った痕跡”があると、村の管理官が報告している」
坑道の入り口には、古びた木の柵と、崩れかけた封印札。
誰かが意図的に破って中に入った形跡があった。
(アルヴィンの仕業か、それとも……)
坑道内部は冷たく湿り気を含み、足元には苔がびっしりと生えている。
照明は魔石のランタンだけ。足音が反響する中、私は耳を澄ませた。
――カリッ。
「……何か、音がしました」
ジークフリートが剣に手をかける。
その瞬間、空気が変わった。
目の前の壁が音もなく“動いた”かと思うと、黒い霧のような影が姿を現した。
「……魔獣?」
だが、それは普通の魔獣とは違った。
頭部は獣のようだが、胴体には“人間の顔”がいくつも浮かんでいる。
その顔は、呻き、泣き、何かを求めていた。
「記憶喰い(メモリーディヴォウラー)……!」
私はとっさに叫んだ。前世の乙女ゲームの裏設定でのみ登場する、
“記憶を食うことで人間を無力化する”古代兵器のなれの果てだ。
「視線を合わせると危険です! 目を逸らして!」
「了解した」
ジークフリートが斬りかかる。だが、刃が影のようにすり抜けた。
「効かない……!」
「これは“精神干渉型”です。物理攻撃では倒せません!」
私は即座に演算能力を発動した。
坑道内の形状、空気の流れ、魔力の偏在を視覚化し、敵の核を探る。
(この霧の中心……!)
「そこです、騎士団長!」
私の指さした岩壁の裂け目――そこに、青白く光る“水晶のような核”があった。
ジークフリートはためらわず、渾身の一撃を振り下ろした。
ガンッ!
刹那、魔獣が断末魔の悲鳴を上げ、体が塵のように崩れ去った。
そして、そこにあったのは――複数の村人の持ち物だった。
「……記憶を喰われた村人たちの痕跡……?」
「いえ。これは、まだ生きている可能性があります。記憶と引き換えに、どこかに“囚われて”いる」
私は恐る恐る水晶の中に手を伸ばした。
すると、微かに誰かの“思念”が流れ込んできた。
《誰か……助けて……ここは、暗い……誰かが、“過去の記憶”を何度も見せてくる……!》
(これは……“記憶操作型の異能”!?)
「ジークフリート。これ、“誰かが意図的に操作している”可能性があります。つまり――」
「アルヴィンか」
「もしくは、彼の“後ろ”にいる組織」
そのとき、坑道の奥から、また新たな気配が近づいてきた。
姿を現したのは、全身をマントで覆った小柄な人物。
だが、そのフードの奥から見えたのは、少女の顔だった。
「あなたが……レイリア・ヴェルゼイド?」
「……誰?」
少女は笑った。あどけない微笑みの奥に、鋭く研ぎ澄まされた狂気を宿して。
「私は“アルヴィン様の道具”。あなたを“試せ”と言われて来たの」
「試す?」
「うん。どこまで“記憶を守れるか”、試してみる」
次の瞬間、少女が指を鳴らすと、周囲の空間が“ぐにゃり”と歪んだ。
――世界が反転する。
気づくと、私は王都の教室にいた。
……違う、これは“記憶の中”。
目の前には、過去の自分。そして、“教師から冷たくあしらわれている場面”。
(これ……私の“前世”の記憶!?)
心を揺さぶる声が、脳に直接響く。
《さあ、壊れて。疲れてるんでしょう? もう、頑張らなくていいんだよ》
「……ふざけないで」
私は手を握りしめた。
そして、精神操作の霧を意識の力で“打ち破る”。
「私は、“平凡に生きたい”から、過去を克服したんです。誰かの道具にされるなんて、まっぴら!」
瞬間、世界が砕け、坑道の現実に引き戻された。
少女は目を見開いて後ずさった。
「……操作を、破った……?!」
ジークフリートが前に出る。
「次は、こちらの番だ」
その気配に、少女は魔道具を使って撤退した。
* * *
坑道に再び静けさが戻ったとき。
私は水晶から最後の声を聞き取った。
《助けを……求めている者が、もうひとり……“王宮の中”に……》
「……王宮?」
「つまり、“黒翼の蛇”は、すでに城内に潜んでいるということか」
私は思わず、深く息を吸った。
(平凡になんて、生きられるはずがない)
けれど。
「なら――私は、誰にも気づかれず、“平凡”の皮を被ったまま、全部終わらせてみせる」
そう心に誓った。