第一話:婚約破棄は平凡令嬢への第一歩……のはずだったのに
王宮の大広間に、冷たい緊張が張り詰めていた。
豪奢なシャンデリアの下、貴族たちの視線が一点に集中している。
――私、レイリア=フォン=アルステルへと。
「レイリア・フォン・アルステル。貴族としての品格を欠いたあなたとの婚約は、本日をもって破棄させていただきます」
王太子、エドアルド殿下の宣言が、静寂を切り裂いた。
貴族たちがざわめき、令嬢たちの口元が不謹慎に綻ぶ。
(……きたわね。乙女ゲームでの悪役令嬢断罪イベント)
ここが、原作で“悪役令嬢”レイリアが最初に破滅へ転がり落ちるターニングポイント。
本来ならこのあと、婚約者に裏切られたヒロインが泣きながら登場して、私にビンタを食らわせる予定。
(でも……私としては“渡りに船”なのよね)
婚約破棄? 上等。むしろ大歓迎。
私、ただの元社畜OLだもの。恋愛? 政略? 勝手にやってて。
むしろ、婚約解消されれば王家の目から外れられる。
貴族社会のドロドロからも距離を取れるかもしれない。
(ようやく、“平凡”な生活が始められる……!)
私は顔に出さないよう、うっすら微笑みながら、内心ではガッツポーズ。
しかし――
「それにしても……あまりにも冷静すぎます、レイリア様……」
王太子の隣にいた、金髪巻き髪のヒロイン風令嬢がささやく。
名前は、エリス=ローゼンハイム。原作ヒロインであり、今後“令嬢ざまぁ劇場”を展開していく人物……のはず。
でも、私が冷静にしていたことで、周囲はなぜかざわつき始めた。
「まるで、婚約破棄すら“計画通り”だったかのようだ……」
「やはりレイリア様は……ただ者ではない」
(は!?)
なぜ!? 私は喜んでるだけなのに!?
平穏に暮らす準備してただけなのに!?
なぜ私の心の平穏が、「策士」とか「天才」とかいう方向に誤解されていくの!?!?
「ふっ……恐ろしい女だ……」
(勝手に震えないで!!!)
* * *
それからしばらくして。
私は“謹慎処分”という名目で、自宅のアルステル侯爵邸へと戻されていた。
――が、謹慎とは名ばかり。
私の邸宅は、王宮よりもはるかに静かで優雅。
庭園では鳥がさえずり、メイドたちも丁寧で、誰にも干渉されない。
(最高では?)
お茶を飲みながら読書し、午後は昼寝、夜はハーブティーでリラックス。
これよ、これが私の求めていたスローライフ。
これなら転生バレのリスクも最小限。
(もうこのまま、引退した貴族として静かに過ごしたい……)
だが、その平穏は三日と持たなかった。
* * *
四日目の朝。
執務室に控えていた執事が、深刻そうな表情でやって来た。
「お嬢様、急報です。王宮で……毒事件が起きました」
「……毒?」
「はい。宰相閣下が倒れました。しかし、直接毒を盛った者は捕まっておらず……犯人は不明です」
宰相って、確か王家の財政や軍略を握ってる重要人物だったはず。
(あれ? これって、ゲームの裏ルートでしか出ないやつじゃ……?)
原作でこのルートが発動するのは、プレイヤーがわざと“悪役令嬢を救うルート”に入ったときだけだった。
つまり――この毒事件、私を試してる何かの勢力が動いてる可能性がある。
(まさか、もう“裏の組織”が……!?)
ここで私が関与を疑われたら、転生者バレ+謀略の罪で即死もありえる。
(……仕方ない。ちょっとだけ、やるか)
私はゆっくりと立ち上がる。
「執事、宰相の症状の詳細を。毒の種類と、現場にいた使用人のリストも」
「お嬢様、それは一体……?」
「ただの凡庸令嬢が、趣味で謎解きを嗜むだけですわ」
――裏で事件を解決し、存在感を消して平穏に生きるために。
今日もレイリア嬢は、“ただの凡庸”を装って動き出す。
(頼むから、勘違いしないでよね……!)