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第7章

 俺とレイナは、遺跡の入口に立ったまま、息を殺して内部の暗闇を窺っていた。

 先ほどの咆哮から数分。

 不気味な静寂が、逆に俺たちの恐怖を煽る。

 

「……行くしかない、か」

 

 沈黙を破ったのはレイナだった。

 彼女はごくりと喉を鳴らし、決意を固めた目で俺を見る。

 

「何が目覚めたのか分からないけど、このままにしておくのはもっと危険な気がする。正体だけでも確かめて、すぐに逃げるよ」

「ああ……分かった」


 口ではそう返しながらも、俺の膝はガクガクと笑っていた。

 正直、今すぐ踵を返して町まで全力疾走したい。


 だが、ここで彼女を一人で行かせるなんて選択肢は、俺の中には存在しなかった。

 俺たちは、互いの覚悟を確かめるように頷き合うと、意を決して遺跡の内部へと足を踏み入れた。


 中は、完全な闇だった。

 

 ひんやりとした空気が肌を撫で、何千年もの間、閉ざされていたであろう濃密な埃の匂いが鼻をつく。

 俺たちが数歩進んだところで、壁に埋め込まれた青白い水晶が、ぽつ、ぽつ、と順番に明かりを灯し始めた。


 まるで、俺たちを歓迎、あるいは誘い込んでいるかのように。

 照らし出されたのは、想像を絶するほど広大な、ドーム状の大空間だった。


 天井は遥か高く、霞んで見えない。

 古代の神殿、とでも言うべきか。


 そのスケール感に、俺はただただ圧倒される。


 そして、俺たちの視線は、その大空間の中央に釘付けになった。

 小高い祭壇のような場所に、巨大な何かが横たわっている。

 

 黒い。


 闇よりもなお深い、全てを吸い込むような漆黒の塊。

 それは、巨大な獣の姿をしていた。


 俺たちがその存在に気づいたのと、それがこちらに気づいたのは、ほぼ同時だった。


 ピクリ、と獣の耳が動く。

 そして、ゆっくりと、二対の、燃え盛る溶岩のような瞳が開かれた。

 

 地獄の底から這い出てきたかのような、純粋な殺意と憎悪に満ちた光。

 その巨体が、ギシギシと音を立てながら立ち上がる。


 それは、狼だった。


 牛ほどもある巨大な体躯を持つ、二つの頭を持った、漆黒の狼。

 その全身からは、陽炎のように黒と赤の炎がゆらめき、周囲の空間を歪ませている。

 

 その圧倒的な威圧感に、俺は呼吸すら忘れていた。

 隣で、レイナが震える声で呟いた。

 

「これは……やばい」

 

 彼女は既に背中の大剣を抜き放ち、構えている。

 だが、その剣先が、俺にも分かるほど微かに震えていた。


 無理だ。

 勝てない。


 ゴブリンとは、次元が違う。

 生物としての「格」が、根本的に違いすぎる。


 あれは、俺たちが対峙していい相手じゃない。


 グルルルルル……。


 魔獣は、喉の奥で唸り声を上げながら、俺たちを品定めするように見ている。

 その瞳には、知性が宿っていた。

 俺たちを、ただの餌としてではなく、排除すべき侵入者として認識している。


 やがて、片方の頭が、ゆっくりと、その巨大な顎を開いた。

 口内に、灼熱のマグマのような光が収束していく。


「伏せて!」


 レイナの絶叫が響く。

 彼女は俺の体を突き飛ばし、自分も横に跳んだ。


 次の瞬間、俺たちがさっきまで立っていた場所を、紅蓮の炎の奔流が焼き尽くした。


 ゴオオオオオッ!


 石畳が、熱で爆ぜ、融解する。

 空気が焦げる匂い。

 鼓膜を破るような轟音。

 掠めただけで、俺たちは塵も残さず消し炭になっていただろう。


「ぐっ……ぁっ!」

「レイナ!」


 俺をかばったレイナが、炎の余波を受けて壁際まで吹き飛ばされていた。

 俺は慌てて彼女の元へ駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

「なんとか……でも、ちょっと、マズいかも……」


 彼女の革鎧はあちこちが焼け焦げ、腕からは血が流れている。

 顔は苦痛に歪み、呼吸も荒い。

 

 俺は、自分の無力さに奥歯を噛み締めた。

 彼女が戦っているのに、俺は突き飛ばされて、見ていることしかできなかった。


 クソッ! クソッ! クソッ!

 なんで俺は、こんな時に限って、ただの役立たずなんだ!


 魔獣は、俺たちの絶望を楽しむかのように、一歩、また一歩と、ゆっくり距離を詰めてくる。

 その赤い瞳は、完全に俺たちを「詰み」の対象として捉えていた。


「逃げて……レン……」

 

 レイナが、途切れ途切れの声で言った。

 

「私が……なんとか、時間を稼ぐから……!」


 彼女は、震える腕で、近くに転がっていた大剣に手を伸ばそうとする。

 その姿を見て、俺の頭の中で何かがブツリと切れた。


「ふざけるな!」

 

 俺は、自分でも驚くような大声で叫んでいた。

 

「そんなのできるわけないだろ! 君を一人置いて、俺だけ逃げられるわけないじゃないか!」


 そうだ。逃げられるわけがない。

 この、誰よりも優しくて、誰よりも強い女の子が、俺のために命を張ろうとしている。


 そんなの、絶対に認めない。

 認められるもんか。


 だが、どうする? 俺に何ができる?


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