第6章
俺とレイナは、顔を見合わせた。
足元の石版から放たれる淡い青色の光は、まるで生きているかのように、とくん、とくん、と心臓のように脈打っている。
「……どうする、レン?」
レイナが、ゴクリと唾を飲み込みながら尋ねてくる。
彼女の表情には、好奇心と、それと同じくらいの警戒心が浮かんでいた。
普通の薬草採取依頼なら、ここで引き返すのが正解だ。
未知の魔法陣なんて、どう考えてもトラブルの匂いしかしない。
だが、俺の心は別の答えを叫んでいた。
行け、と。
この光の先に、俺が知るべき何かがある、と。
この奇妙な感覚は、俺がこの世界に来てからずっと感じていた、根源的な疎外感とは全く違う、もっと確信めいたものだった。
「……行ってみよう。これが何なのか、確かめたい」
俺の言葉に、レイナは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに力強く頷いた。
「分かった。あなたがそう言うなら、付き合うよ」
その信頼が、今は何よりも心強い。
石版の魔法陣は、俺たちが立ち上がると、その光を一本の細い光線に変え、森の奥深くを指し示した。
まるで、道案内をするかのように。
俺たちは、その頼りない光の道筋を頼りに、再び歩き始めた。
進むにつれて、森の様相は一変していく。
さっきまで聞こえていた鳥の声は途絶え、代わりに不気味な静寂が支配している。
木々はより一層鬱蒼と生い茂り、昼間なのにまるで夜のようだ。空気は重く、冷たく、肌にまとわりついてくる。
どれくらい歩いただろうか。
光の道筋が、不意に開けた場所に突き当たって消えた。
俺たちは、茨の茂みをかき分け、その場所に足を踏み入れる。
そして、息をのんだ。
そこに鎮座していたのは、巨大な石造りの建造物だった。
この森の木々と同じくらい古く、苔と蔦にその全身を覆われている。
ヴェルデの町で見たどんな建物とも違う、直線を基調とした、どこか無機質で、異様な威圧感を放つ建築様式。
素材は、黒曜石のように滑らかで、光を全く反射しない黒い石材。それが寸分の狂いもなく組み上げられている。
「……遺跡?」
レイナが、呆然と呟いた。
「こんな場所に、こんなものが……」
「ああ……これは、古代魔法文明の遺跡だ」
俺の口から、ごく自然にその言葉が滑り落ちた。
なぜかは分からない。
だが、そうだと確信できた。
この場所は、現代の文明とは断絶された、遥か昔の、忘れ去られた時代の遺物なのだ。
俺たちは、吸い寄せられるように遺跡の正面へと歩み寄る。
そこには、取手もなければ蝶番もない、一枚岩でできた巨大な扉がそびえ立っていた。
表面には、さっきの石版や森の入口の石碑で見たものと同じ、複雑な幾何学模様がびっしりと刻まれている。
その模様を見ていると、頭の奥がズキズキと痛んだ。
知らないはずなのに、知っているような、奇妙なデジャヴ。
「何か、すごい魔力を感じる……」
レイナが、警戒を強めて呟く。
俺も感じていた。ビリビリと肌を刺すような、濃密な魔力の残滓。
そして、それとは別に、俺はこの扉から、奇妙な「呼び声」のようなものを感じていた。
まるで、扉の向こうにいる誰かが、俺の名を呼んでいるような。
「レン?」
俺の様子がおかしいことに気づいたのか、レイナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
だが、俺にはもう彼女の声が遠くに聞こえていた。
気づけば、俺の右手は、まるで自分の意志とは無関係に、ゆっくりと扉に向かって伸びていく。
やめろ、危ない。
頭ではそう思うのに、体が言うことを聞かない。
そして、ついに俺の指先が、千年の時を刻んだ冷たい石の扉に、そっと触れた。
その瞬間。
バチッ! と激しい静電気のような衝撃が、腕から全身を駆け巡った。
「うわっ!?」
そして、俺の体そのものが、淡い銀色の光を発し始めた。
「えっ? なんだ、これ!?」
自分の体が発光するという超常現象に、俺はパニックに陥る。
「レン! あなた、光ってる!」
レイナの悲鳴のような声が聞こえる。
俺を包んでいた光は、すぐに収まった。
だが、代わりに、俺が触れていた扉の紋様が、同じ銀色の光を放ちながら、脈動を始める。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ。
地鳴りのような、重い音が響き渡る。
石と石が擦れ合う、耳障りな音。
目の前の巨大な扉が、一ミリ、また一ミリと、ゆっくりと横にスライドしていく。
千年の沈黙を破り、固く閉ざされていた遺跡の扉が、今、開かれようとしていた。
やがて、人が一人通れるほどの隙間ができたところで、扉の動きが止まる。
その漆黒の闇の向こうから、ヒュウ、と冷たい風が吹き付けてきた。
それは、ただの風じゃない。
何百年も澱んでいたかのような、濃密なカビと土の匂い。
そして、何か、得体の知れない獣の匂いが混じった、死の気配をまとった風。
俺とレイナは、思わず一歩後ずさった。
ゴクリと、喉が鳴る。
心臓の音が、うるさいくらいに耳元で響く。
俺たちが開けてしまったのは、ただの遺跡の扉じゃない。
開けてはならない、パンドラの箱だったのではないか。
俺の脳裏にそんな予感がよぎった、まさにその時だった。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
遺跡の奥底から、先ほどとは比べ物にならないほど巨大な咆哮が轟いた。
それは、腹の底に直接響き渡るような、世界の終わりを告げるかのような絶叫。
立っているのがやっとなくらい、地面が激しく振動し、遺跡の天井からパラパラと石片が落ちてくる。
レイナが息をのむ。俺も、呼吸を忘れていた。
思考じゃない。これは、直感だ。
理屈を超えた、魂レベルでの理解。
――何かが、目覚めた。
俺たちは、ただの遺跡を発見したんじゃない。
この森の最深部で、千年の間眠りについていた、古代の厄災を、この手で叩き起こしてしまったのだ。