第3章
冒険者ギルドに併設された食堂「冒険者の胃袋」は、昼時を迎えて戦場のような賑わいを見せていた。
肉の焼ける香ばしい匂い、エールジョッキのぶつかる音、そして冒険者たちの自慢話や下世話な冗談が飛び交う喧騒。
そんな活気の中心から最も遠い隅のテーブルで、俺は一人、絶望的な気分で黒パンをかじっていた。
さっきの公開処刑が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。
『魔法が使えない賢者』
そのパワーワードは、あっという間にギルド中に広まったらしい。
俺がこの食堂に入ってきてからというもの、遠巻きのヒソヒソ声と、好奇と侮蔑が入り混じった視線が絶え間なく背中に突き刺さってくる。
マジで針のむしろだ。
前世の、失敗したプロジェクトの報告会議より気まずい。
目の前にあるのは、硬くて味のしない黒パンと、具が申し訳程度にしか入っていない薄いスープ。
これが、魔法適性ゼロのFランク冒険者に許された、ささやかな昼食だ。
「これから、どうしようかな……」
この町を出て、俺のことを誰も知らない場所でやり直すか?
いや、どこへ行っても、このポンコツな体質は変わらない。
賢者を名乗る限り、同じことの繰り返しだ。
いっそ、冒険者なんてやめて、日雇いの肉体労働でも探した方がマシなんじゃ……。
俺がそんなネガティブ思考の沼に沈みかけていた、その時だった。
「ここ、空いてる?」
カタン、と俺の向かいの席に、勢いよく食事の乗ったトレイが置かれた。
顔を上げると、そこにいたのは――太陽のような笑顔を浮かべた、赤髪の少女、レイナだった。
彼女のトレイの上には、湯気の立つ肉厚のビーフシチューと、ほかほかの白パンが二つも乗っている。
俺の貧相な食事とは、まさに天と地の差だ。
「え、あ、どうぞ……」
なんで俺のところに?
さっきの失態を見て、物珍しさから話しかけてきたのか?
それとも、笑いものにしに来たのか?
俺の脳内で、疑心暗鬼の嵐が吹き荒れる。
コミュ障の思考は、いつだって最悪のシナリオから想定を始めるものなのだ。
レイナは俺の内心の葛藤などお構いなしに、「いただきまーす!」と元気よく言うと、シチューをスプーンで大きくすくって口に運んだ。
「んー、おいしー!」
もぐもぐと頬張る姿は、小動物みたいで少し可愛い。
気まずい沈黙が流れる。
俺はひたすら黒パンをちぎっては、スープに浸して口に運ぶ作業を繰り返す。味がしない。
「さっきは、大変だったね」
不意に、彼女がそう言った。
その声には、嘲笑の色は微塵もなかった。
むしろ、どこか気遣うような響き。
「……まあ」
俺は、曖昧に頷くことしかできない。
「実は私も、色々うまくいってなくてさ」
レイナはスプーンを置くと、ふぅ、と小さなため息をついた。
「見ての通り、剣の腕にはちょっと自信あるんだけど、ランクが上がらなくて。父さんの……仇を探してるんだけど、Fランクじゃ大した依頼も受けられないし、情報も全然集まらないんだ」
「お父さんの、仇?」
思わず聞き返すと、彼女は少しだけ表情を曇らせた。
「うん。父は元騎士団長だったんだけど、五年前に『古代魔獣キマイラ』に殺されたの。だから私、そのキマイラを見つけ出して、この手で倒すために冒険者になったんだ」
目の前の彼女が、こんなにも重いものを背負っていたとは。
俺は、自分の悩みがひどくちっぽけなものに思えてきた。
「そうか……大変なんだな」
「まあね! でも、絶対へこたれないけど!」
彼女はすぐに笑顔に戻ると、力こぶを作るようなポーズを取った。
その切り替えの早さ、少し羨ましい。
彼女の率直な言葉に、俺も少しだけ心を開く気になった。
「俺も……その、魔法が使えなくて、困ってるんだ」
本当は、「賢者タイムにならないと」という枕詞がつくのだが、さすがにそれは言えない。
すると、レイナはエメラルドグリーンの瞳で、じっと俺の目を見つめてきた。
その真剣な眼差しに、俺はたじろぐ。
やがて彼女は、確信に満ちた声で言った。
「魔法が使えなくても、あなたには何か特別なものを感じる」
「……え?」
特別なもの? この俺に?
公開処刑されたばかりの、役立たずの賢者に?
意味が分からず固まっていると、彼女は身を乗り出して続けた。
「さっき、ギルドの外でゴブリンを倒した時、見てたでしょ? あの時、あなたはただ見てただけじゃなかった。あなたの目、すごく悔しそうだった。自分も戦いたいって、そう言ってるみたいだった」
「……!」
見られていたのか。
あの、情けない姿を。
「それに、さっきの適性テストの時も。みんなに笑われてたけど、あなたは逃げなかった。ちゃんと、最後までそこに立ってた。それって、すごく勇気がいることだと思う」
彼女の言葉が、ささくれだった俺の心に、温かい軟膏のように染み込んでいく。
この子は、俺のことを見てくれていたのか。
強さだけじゃない。
俺の弱さも、情けなさも、その上で。
「だから、どうかな?」
彼女は、とびっきりの笑顔を俺に向けた。
「私と、一緒にパーティ組まない?」
その一言は、まるで天からの蜘蛛の糸だった。
絶望の淵で、もうダメかと思っていた俺の目の前に、すっと差し伸べられた救いの手。
断る理由なんて、どこにもなかった。
俺はこみ上げてくる何かを必死にこらえながら、力強く頷いた。
「……俺でよければ、ぜひ。よろしく、お願いします。俺はレンっていいます」
「わたしはレイナよ。こちらこそ、よろしくね、レン!」
俺たちは、テーブルの上で固く握手を交わした。
彼女の剣ダコだらけの手は、驚くほど温かかった。
こうして、俺の異世界生活も、ようやく一歩前に出たのだった。