第2章
さっきの少女が向かった先を追い、俺は冒険者ギルド「蒼き剣」の前に立っていた。
見上げる建物は、石と木材で組まれた重厚な造り。
この辺りの建物の中では頭一つ抜けて大きい。
ここが、この町の、そして俺の冒険の拠点となる場所だ。
俺は一つ深呼吸をして、覚悟を決める。分厚い木の扉に手をかけ、押し開けた。
「うおっ……」
中に足を踏み入れた瞬間、凄まじい熱気が俺の体を包み込んだ。
汗と土の匂い、エールの香ばしい香り、そして多種多様な人々が発するむせ返るような活気。
鎧の擦れる金属音、酒場での陽気な歌声、依頼の成功を自慢し合う大声。
その全てが渾然一体となって、俺という異物に向かって叩きつけられるようだ。
壁には、ワイバーンやオーガといった凶悪な魔物の手配書が所狭しと貼られている。
俺は圧倒されながらも、目的を見失わないように視線を彷徨わせる。
受付カウンターは……あった、一番奥だ。
と、そのカウンターに、見覚えのある鮮やかな赤色を見つけた。
間違いない。さっきの少女だ。
彼女は受付嬢らしき女性と何やら話している。
その背筋はピンと伸びていて、自信に満ち溢れているのが後ろ姿からでも伝わってくる。
「――ってわけで、今日もばっちり依頼完了! でもさ、ミラさん。この報酬、やっぱり安すぎじゃない?」
彼女の声は、この喧騒の中でも不思議とよく通った。
太陽みたいに明るくて、快活な響き。
「規定ですからね、レイナさん。Fランクの薬草採取依頼としては最高額ですよ。あなたの実力なら、すぐにランクアップできるとは思うんですけど……」
受付嬢のミラさんと呼ばれた女性は、やれやれと肩をすくめながら苦笑している。
亜麻色の髪をきっちりまとめた、知的な雰囲気の美人だ。
レイナ、というのか。彼女ほどの腕利きが、Fランク?
俺と同じ、最下級の冒険者。
なんだか、少しだけ親近感が湧く。
いや、実力は天と地ほど違うけど。
俺は彼女たちの会話を邪魔しないように、そっと新規登録の列の最後尾に並んだ。
「まあ、いっか! 地道にコツコツやってくしかないもんね! じゃ、また明日!」
レイナは報酬の入った革袋を受け取ると、ぱん、と景気のいい音を立ててカウンターを叩いた。
そして、くるりとこちらに振り返る。
その瞬間、俺たちの視線が、真正面からぶつかった。
「……!」
息が、止まる。
彼女の瞳は、陽光を透かした森の湖面のように、深く澄んだエメラルドグリーンだった。
吸い込まれそうな、力強い瞳。
まずい、見惚れてしまった。
カァッ、と顔に血が上るのが自分でも分かる。
なんで俺は、こういう時いつも赤面しちまうんだ。
前世からのコミュ障スキルが、異世界でも絶好調で発動している。
俺が挙動不審に固まっていると、彼女は小首を傾げ、次の瞬間にはニカッと人懐っこい笑みを浮かべた。
「新人さんかな? もしかして登録待ち?」
「え、あ、はい。そうです」
「そっか! 大変だろうけど、頑張ってね!」
彼女はそう言うと、応援するように軽く拳を握って見せ、颯爽とギルドの出口へと向かっていった。
残された俺は、心臓をバクバクさせながら、その場に立ち尽くす。
……なんだ、今の。天使か?
強くて、綺麗で、性格まで良いとか、神様はどれだけ彼女にステータスを全振りしたんだ。
それに比べて俺は……。
いや、落ち込んでいる場合じゃない。
俺は俺のやるべきことをやるだけだ。
「次の方、どうぞー」
「は、はい!」
ミラの声で我に返り、俺はカウンターへと進み出る。
「あの、冒険者の新規登録をお願いします」
「はい、承ります。では、こちらの用紙にご記入ください。職業は……?」
「……賢者、です」
俺がそう告げると、ミラのペンを持つ手がピタリと止まった。
彼女はまじまじと俺の顔を見て、何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐにプロの笑顔に戻って「承知しました」とだけ言った。
書類に名前や年齢を書き込み、いよいよ最後の関門がやってきた。
魔法適性テストだ。
ミラがカウンターの下から、バレーボールほどの大きさの水晶玉を取り出す。
「では、レン様。こちらの水晶に手を触れて、魔力を流し込んでみてください」
「……はい」
周囲の冒険者たちが、面白そうにこちらを窺っているのが分かる。
賢者という珍しい職業名が聞こえていたのだろう。
期待に満ちた視線が、針のように突き刺さる。
やめろ、そんなキラキラした目で見ないでくれ。
お前たちが期待しているような奇跡は、万に一つも起こらないんだから。
俺は覚悟を決め、恐る恐る水晶玉に手を置いた。
心の中で、念じる。
頼むぞ! 俺の魔力!
せめて、ホコリが舞うくらいの微風でもいい!
ちょっと光るだけでもいいから!
結果は、無慈悲なまでの「無反応」。
水晶玉はただのガラス玉のように沈黙を保ったままだ。
「あれ……?」
ミラが不思議そうに水晶をコンコンと叩く。
「故障でしょうか……。すみません、もう一度お願いします」
「……はい」
二度目も、結果は同じ。完全なる沈黙。
さっきまで俺に期待の眼差しを向けていた周囲の空気が、急速に冷え込んでいくのが肌で感じられた。
ひそひ、そと囁き声が聞こえ始める。
「おい、見たか? 全く光らねえぞ」
「賢者なんだろ? 伝説の職業が聞いて呆れるぜ」
「魔法が使えない賢者って、何の冗談だ?」
嘲笑。侮蔑。憐憫。
様々な負の感情が込められた視線と声が、容赦なく俺の心を抉っていく。
顔が燃えるように熱い。
今すぐこの場から逃げ出したい。
だが、ここで逃げたら、本当に終わりだ。
俺は唇を固く引き結び、カウンターに突き刺さる全ての視線を、ただ黙って受け止め続けたのだった。