表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

言葉にならない約束

作者: Jiecai

この人のこと、信じたいって思ったのは、自分の意思だった。


 けれど、それを裏切られた瞬間から、全部がグラグラし始める。足元も、胸の奥も、目に映る未来も。たった一回だった。たった一回、「嘘をついた」だけ。女の子と二人で遊びに行ったって、それが体の関係だったかなんて、もう関係ない。ただ、嘘をついた。それがすべてだった。


 そして私は今も、その「一回」の上に立っている。崩れそうな、割れそうな、怖い場所に。



 夜の9時。スマホを握る手が汗ばんでいる。もう2時間以上も「既読」のまま返信はなかった。連絡が取れないだけで、胸がざわつく。これは恋なんかじゃない。疑念だ。恐怖だ。


「また、嘘つかれてたらどうしよう」


 自然にそう思ってしまう自分が嫌だった。信じてあげたいのに、心のどこかが「でも」という言葉で塞がってしまう。彼は以前、「友達と飲んでくる」と言って、別の女の子と映画に行っていた。発覚したのは、その子のインスタグラム。タグ付けされた写真の中に、見慣れた横顔が映っていた。


 彼は言った。


「ほんとになんにもなかった。友達として行っただけで、嘘ついたのは、怒られると思って……ごめん」


 その謝罪にどこまで本気がこもっていたのか、もうわからない。ただ、その日から、私は壊れていった。



 それでも、別れなかった。


 好きだったから。どうしようもなく、彼の声が、笑った顔が、優しく頭を撫でる仕草が、私の中に生きていた。消えなかった。


「別れた方が、楽だよね」


 何度もそう言った。そう思った。


 でも、そのたびに彼は「そんなことない」って言った。「お前のこと、大事にしたいんだ」って。


なら、なぜ最初から裏切ったの?


 口に出せなかった。聞いたって、きっと言葉にはならない。だから私は、胸の中でその問いを抱いたまま、笑ってみせた。何事もなかったように。でも、笑顔の裏で、ずっと自分を傷つけてた。


「なんか最近、疲れてる?」


 そう彼に言われたのは、今日の昼だった。


「そんなことないよ」


 とっさに答えた。ほんとは疲れてた。考えることにも、疑うことにも、期待することにも。


「もしまた嘘つかれてたら、って思うの、苦しいんだよね」


 言えたら、少しは楽になったかもしれない。でも言わなかった。そんなこと言ったら、また「疑ってるの?」って責められる気がして。


 矛盾してる。信じたいのに、疑ってる。信じたいからこそ、傷つきたくなくて、ずっとぐるぐる回っている。


 夜が深くなるにつれて、通知が鳴った。


【いま帰ってきた、ごめん遅くなった】


 ただそれだけの一文が、胸を締めつける。嘘か、本当か。考えることが、もうつらい。


【おかえり】


 そう返して、スマホを伏せた。


 本当は、「どこにいたの?」「誰といたの?」「写真見せて?」って、確認したかった。でも、そんなこと聞いたら、自分のプライドが崩れてしまう気がした。愛してるのは彼なのに、コントロールされてるのは私だった。




 次の日、少し晴れた空の下で、私は彼と並んで歩いた。


「なんか、最近冷たくない?」


 彼が言った。


「そうかな」


「不安にさせてるなら、ごめん。安心させるから」


 

また、それ。


 「安心させる」って言うけど、言葉にしてくれない。なにがどう安心なのか、どうしたら信じられるのか、それを話してくれない。いつも口先だけで、私の不安は「愛が大きい」って流される。


「信じたいの。でも、怖いの」


 ふいに、ぽつりと声が出た。


「たった一回で、全部が変わるの。たった一回で、何年も不安になるの。信じるのに、努力が必要なのに、壊すのって一瞬なんだね」


 彼は立ち止まり、目を伏せた。


「俺、たぶん……それ、ちゃんと分かってなかった。悪気なくて、ほんとに何もなかったって思ってたけど、それでも、傷つくよな」


「うん」


「どうしたら……いいと思う?」


 答えはもう、分かっていた。


 別れるのが、きっと一番いい。私の心も、もうこんな風に疑い続けて、壊れそうだから。だけどその「好き」が、私を止めた。


「どうにもならないと思う。私が信じるか、あなたが変わるか、どっちか。でもどっちも、すごく難しい」


「でも、好きなんでしょ?」


 ――そう。好き。


 だから私は、自分を犠牲にしてしまう。少しずつ、少しずつ、自分を削りながら、それでも「彼といる方が幸せ」って思い込もうとしてしまう。



 数日後、彼は私に手紙をくれた。


『言葉にしなきゃ届かないことがあるって、君が教えてくれた。俺は、君の不安にちゃんと向き合えてなかった。安心させるって言うだけで、何もしてなかった。本当にごめん。

 君がどれだけ勇気を出してくれたか、それが分かってなかった。これからも一緒にいたい。でもそれは、君が無理をしてまで得るものじゃない。

 君が笑っていられるように、ちゃんと向き合うから。信じてもらえるように努力するから。だからもう一度だけ、チャンスをください。』


読んで、涙が溢れた。


 それでも、心のどこかに「また裏切られるかもしれない」という恐怖は残っていた。きっとそれは、しばらく消えない。


 けど、彼の努力が本物なら、私の傷だって、少しずつ癒えるかもしれない。


 簡単じゃない。でも、少しでも前に進めるなら。



 最後に一つ、私は彼に言った。


「私を信じさせて。今のあなたで」


 彼は静かに、頷いた。


 疑いと愛の間で揺れるこの感情が、いつか安らぎに変わることを、私は信じたいと思っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ