十三歳 六月二十九日 午前
ジリリリリリリ!!
目覚ましがけたたましく鳴ったおかげで目が覚める。ただ目は冴えない。眠たい目を覚ますためにいつも通り顔を洗いに自分の部屋から出て一階の洗面所にふらふらと向かう。昨日、書き疲れて寝てしまったせいか、頭が冴えるのは早かった。
「おはよう、早いね」
「おはよ、いつも寝坊する訳じゃないよ」
母と軽口をたたき、朝ごはんの茶碗一杯の米をレンチンする。
「いただきます」
味噌汁と、ウインナー、卵焼きをそそくさと平らげ登校の準備をする。荷物を持って降りた所で、
「今日は部活あったんだっけ?」
と母に聞かれた。確かに、無かったか。ラケットはなんとなく毎日持っていくようにしているのが癖になっていた。
「ああ、まぁ、いいよ持ってく。無いけど。今日月曜日だし、学校に置いてくるよ」
適当に理由付けして、相棒を持っていく事にした。明日から四日間は手荷物が軽くなる事を考えたら問題はないだろう。
「そう。気をつけてね。行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
天気が良いと気持ちも良くなるな。雲が若干あるのも風情があるってやつだね。ちょっと暑いけど、朝の吹き込む風は涼しく微少な暑さと汗を飛ばしてくれた。
「柊香は、もう着いてるかな」
いつもなら僕の登校がそこまで早くないから、先に着いているはず。
古びた木製の扉をガラガラと開けると四、五人ほどクラスメートがいたが、柊香の姿はなかった。
「今日は僕が先だな」
ふふんと得意気に鼻を鳴らして席についた。窓側、奥から二番目の席。柊香はその後ろだ。待ち遠しいな。
しかし、何時になっても柊香は来なかった。
今日は休みだろうか。それとも一足早い夏休みか?
朝礼の時間になり、担任がざっとクラスメイトを確認する。
「……?佐々木は来ていないのか?」
担任も連絡を受けてないのか?
悪い予感が頭を過ぎった。
柊香、どこかで事故に遭ったとか?いや、それなら通報されてるか?まさか、誘拐…?いやいや、それも無いだろ。メリットが無い。……よな?
「箕面、何か聞いてないか?通学路方面も同じだったよな?」
担任の教師はクラスの女子に聞くも、「わかりませーん」とか「聞いてないよー」とか、頭に疑問符を浮かべている様子だ。
「うーん、おかしいな…先生、この後連絡だけしてみるから委員長、締めておいてくれ」
担任が慌てだしたせいか少しだけ、クラスに緊張が走る。彼が勢い良く扉を開け閉めして去った後には祭りのようにクラスが騒がしくなり始めた。
「佐々木、どうしたんだろうな」
「いつも真面目だから、こういう時連絡しないのはありえない気がする〜」
「じゃあ、コッチ来る途中になんかあったんじゃね?」
「そういえば、佐々木さんのお母さんとお父さん見た事無いよね。参観日も来なかったんじゃなかったっけ?部活の大会も見にこないし…」
「え!!じゃあなんだ、親がヤベーヤツなのか?」
根も葉もない憶測がクラス中に飛び交う。確かに柊香の親は柊香自身に興味が無いかのように現れる事は無い。が、それは嫌いだからとか、ネグレクトとかそういうのじゃなくて単純に共働きだからだ。早朝から晩まで。そう伝えたかったが、教室内は喧喧囂囂としていてとても僕の声が通るような状態では無かった。
しかし、本当に何があったんだろうか。
とりあえず、胸中の考えは押し殺して一限目の授業を受けよう。
「……固体から気体に変化する事を昇華と言います。逆も同じですね。次に……」
普段なら一限などほとんど頭は睡眠状態なのだが、今日は少し違った。
「………………」
落ち着こうと手は忙しなくペン回しを続けている。何回か床に転がってしまって余計に落ち着かなくなるが。大丈夫なのか……。もしかしたら学校側が何か隠してるんじゃないか?陰謀とか、今時期じゃ時代遅れもいい所だがない話じゃない気もする……。う───────ん…。
そうこう想像に耽っている間に授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。僕はビクッと体を震わせて起立する。
思考を切り替えるべく手洗い場に急行し、顔面に水を浴びせた。眼鏡がびしょびしょになるのなんて、気にしている暇もなかった。とりあえず今は頭をすっきりできれば良かった。
「…はぁっ…はぁ……」
濡れた手で頭を掻きむしる。変な汗が出て、とにかく身体中蛆が湧いてくるような気持ち悪さに包まれてどうしようもなくなっていく。想像は物書きの中だけで留めておきたいのに、膨らんでいく。妄想が。
止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。止めろ。
ポタッ…ポタッ……
「は?」
鼻血まで出てきた。いやいや、いくら鼻が弱いとは言えこれで鼻血出るか?ヤバい…よな。
ダメだ。学校に居られない。今日はもう早退しよう。
フラフラとトイレから出る。足取りおぼつかない状態なうえに鼻血も出してんだ。流石に帰れるだろ。
ティッシュを鼻に詰めて、自分のカバンを手に取って職員室に向かう。職員室が一階で良かった。階段なんて上がってらんねえよ。
「失礼します」
多分だけど、かなり元気が無かったかいつにも増して顔面蒼白だったんだろ。みんなの少しのどよめきの後、社会科の先生がすぐ寄ってきた。
「お、おい大丈夫か?具合悪いなら保健室に…」
「いや、いいです。歩いて帰るくらいは、できます。ただ、具合は良くないので早退したくて」
機嫌の悪さ最上級の顔をお届けして周りを一瞥する。偽善。
「いやいや、それじゃ帰れないだろ。家に電話を…」
「良いですから。さようなら」
我ながら一々人の話を遮ってしゃべるもんだ。今はどうしようもなく諸々の気分が悪いから、とりあえず人間と話したくなかった。しょうがないだろ。
ん、鼻血は…止まったか。つっぺを外して玄関のゴミ箱に捨て、学校を後にした。
足早に、逃げるようにいや、何かを追いかけるように帰路に着く。
その、「何か」には案外すぐに追いつけた。
「───柊香?」
「あれ、〇〇じゃん。どしたの?具合悪そうだけど」
頭がクラクラして、自分の名前はまた聞こえなかった。